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細川興元が細川ガラシャに横恋慕してた説の元ネタを探る


細川興元は細川藤孝の次男。
細川忠興の弟です。
細川ガラシャは細川忠興の正室。
興元から見ると義理の姉です。

いつ頃からできたのか分からないのですが、現代の創作作品の中には一部、興元がガラシャに片思いしていた、という設定があります。
しかもこれがまあまあな数ある。


なぜ興元はガラシャに横恋慕し始めた描写が出てきたのか


ぶっちゃけよくわからない。
けれど、興元とガラシャは二人とも「キリシタン」です。
そして興元がキリシタンになった理由はあまり知られていません。

その史実の余白が「横恋慕」という創作を産み出しているのではないかと推察しています。

が、キリスト教に改宗したガラシャのことについてかなり細かく記載されている『伽羅奢細川玉子夫人 : 貴理至端之精華』という本があります。

この本では興元がキリスト教に改宗した理由として
義姉ガラシャの感化を考えるが、どの文献を見ても、夫人が興元を教化して入信せしめたという記事は見当たらない
と、一番ありそうな線もないわって言い切っています。

細川家の資料でも興元とガラシャの関係性については言及されている史料は全く出てきていません。
出てこないのに、現代では通説になりつつあるこのネタ。


個人的な予測ポイント


個人的にこれが片思い設定の原因かな?と思うのがいくつかあります。

・ガラシャが美人(という通説)
・忠興と興元の不仲
・興元と正室の間になかなか子が生まれなかった     
・興秋を養子にもらっている
・ガラシャと同じキリシタン

こういった点が通説というか、現代で創作として尾ひれがついてしまうのかなあと思ったりします。

そこで今回は細川家のことを調べていく中で見つけた、興元とガラシャの感性性について言及しているものをまとめていきます。

時系列で小説・学術書・その他作品も対象です。分かり次第順序更新。

2016/5/3がらしあ・細川夫人の原作判明したので詳細追加。





◆綿考輯録


「又大坂屋敷は七月十七日戌の刻はかりに火かかり、御庫中様御自害被成申けれハ、玄蕃殿(興元)を始め御前様御義心を感し、各落涙仕」

綿考輯録に載ってる間接的なガラシャと興元について。
7月27日に、細川軍が上美濃の方へ向かっていると、小出吉政から家康への使者が下馬。
興元は吉政と仲が良く、使者もかねてから知っている者だったので口上を聞いてみたところガラシャ自害の報だったとのこと。

流れ的に興元が一番先に使者から聞いてびっくりして泣いたんかなーと。「御前様の義心に感じ入り」皆で泣いてるので別に思慕うんぬんではないような気がします。


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