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【おじさんvs甥っ子】細川忠興vs細川興昌
細川興元は細川藤孝の次男、細川忠興の弟。
細川興昌は興元の嫡男、忠興から見ると甥っ子です。
今回は興元の長男・興昌にガチギレしてる忠興の書状について紹介。
興元が立てた谷田部細川藩は大名じゃなくて小大名。
なのに興昌が小大名なのに大名だけしか乗っちゃいけない輿に乗ったらしく、それを知った忠興が忠利にあいつなんなんだ!て感じのお手紙を送っています。出典は『大日本史料細川家史料』より。
◆寛永8年2月15日
一.乗物にむさと乗候由承付、よひよせぢきにいけん申候て、りのすみ申候に我々上り申候あとに、又のりありき候由、筆をすて申候、絶言語候、ぶさいかくなるものはせめてりちきをたて申候てこそ少之とり所も可在之に、我々なとにやくそく申候事、さやうにちかい候はゞ世上へうしろゆひさゝれ候ほとのちかい数多有へく候、中々の儀、もはや我々はいけん申ましく候、其方(忠利)何とぞいけん候て可被見候、のり物の儀に我々申いけんは公儀の事を申、年より候者之申事なとさよう候へは、人の内にてはなく候事
一.物いまいの事きやうきよて候、きつねかつきたる物にて候、人のしにたる事をきく度にみゝを百度もあらい候はゞ、数人しに候を見候はゞみゝをそきてすて可申候哉、物をきくはみゝにかりの事候や、かほとの事存わけさる事は三ツ子も有ましく候、にくき儀候事
一.前より物申候事の後不合事はおやゆづりと見へ申候つる、されとも我々申候事なとは少はたもち有へき事候、しかも公儀の事をちかへ候事、せともひ共不被申候、恐々謹言
ざっくり現代語訳
また興昌が軽率に乗物に乗ったのが耳に入った。
興昌を呼び寄せて忠利から直に意見を通してくれ。
(一度注意して?)理解したと言ったのに、我々が京へ上ったあとにまた乗り歩いてると聞いて筆を捨てた。
もうかける言葉がない。才覚のない者はせめて律儀であってこそ少しの取り得もあるだろうに、我々などに約束したことと違う行動取るとはなんということだろう。世間が後ろ指差して身の程違いだとうわさしている。
これらの儀、我々(忠興側?)はもう何も言わないから、忠利から何とか説得してくれ。乗物の儀に我々が注意しているのは公儀のマナーのことを言ってるのであって、これを「年よりの言う事だ」とか言うなんてもう人じゃないんじゃないのか。
物忌みのこともそうだ。狐かなんか憑いてるんじゃないか。人が死んでる事を聞くたびに耳を百回洗って、人が死んだ所を見たら耳を削ぎ捨てるべきだと思う。物事を聞いていても耳に何となく入れているだけで理解してないのではないだろうか?こんな事もわからないなんて。三歳の子どもじゃないんだからみっともない。
前から思っているが、発言したことが後から違っているところは親譲り(興元譲り)だ。だけど我々が注意してることは少しは長続きさせるべきだと思う。しかも公儀を違えてるんだから、あんなこともうするなってちゃんと言っといてくれ。
ざっくり考察
この書状、同じ時期に書かれた書状と比べてひらがなが少し多いんですね。
それがまあ、怒りと勢いにまかせて書いたかんじがします。
あとボロクソに貶してるよね!笑
本当に頭にきたんだろうなあ…という印象。
ちなみにこの時興昌27歳。
ボロクソに言われてもしゃあない。
個人的に比較されてる興元の行動がすごくきになります。前から言っていたことと後からいう事が違う(要するに嘘つき?)人物だったのか…
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