旅立ちの日のその前に(不登校日記4&離婚調停3)
山村留学が正式に決まった。
いや、実を言うとまだ夫からのクレームは続いているのだけれど、決まりましたよね、決まっていないと困りますよね、という今日はもう三月下旬。
三月の調停は、転出手続きをとらなければならない2週間前という日程で、ここで決まらなければ次の調停は四月以降、つまりもう新学期に間に合わない、という、かなり危ない橋を渡るスケジュールだった。
そしてその三月の調停から遡ること一週間前。裁判所からは「子の特性を理解している母親が監護することが望ましい」という意見書が提出された。
これは、裁判所の調査官が、夫と私、それぞれ聞き取りを行って、更には学校や関係事業所にも足を運んで面談して書いてくれたもの。お仕事とはいえ、丁寧な仕事と分かりやすい文章で、私達夫婦のためにここまで時間を割いてくださったことに感謝してもしきれない。
この判断は今後、新たな事件でもない限り、ひっくりかえることはない。親権は母親という判断なので、予想していたこととは言え、私は少しほっとしたし、夫がどこまで本気で親権を主張しているのか定かでないけれど、夫にとっては不服というところだと思う。
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いよいよ調停当日、調停員は夫の説得にずいぶん難儀していたようで、私と私側の弁護士は、かなり長い時間、別室で待機した。
調停員も裁判所の調査官も、立場は中立であるけれど、こどもの願いを叶えてやりたいという熱意を感じたし、今日ここで話を決める、という強い意志があるようだった。
絶対にこどもの利益を守る。調停の場にいた人達がそう思ってくれていて、詳細はわからないけれど、夫も渋々とではあるが承知をしたという。説得が終わった調停員が、「大変でしたが、決まりました」と言った様子から、なんとなく推察されるものがあった。
私は何度もお礼を言って、「いってらっしゃい」と見送られ、裁判所を後にした。家庭という閉ざされた空間で、どうやっても解決出来なかった事が、公の場に出てみたら、たくさん協力してくれる人が居て解決に向かい、こんなにも暖かく送り出してもらえるとは、思ってもみない事だった。
法律は完璧ではないけれど、今回に関して言えば、私とこどもは救われた。もし今後改悪される事があれば、私は助けられた身として恩返しする必要があると思う。
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改悪、というのは、最近話題になっている「共同親権」についての事。話題と言ってもテレビなどではあまり見ることがない。ネットで当事者が問題提起しているだけで、でももう異例の速さで法改正の方向へ話が進んでいる。私も当事者なので強い恐怖を感じる。
実質、「離婚禁止法」と言う人もいるが、真っ最中の私から見たら、その通りだと思う。今回の件で言えば、もし強制的な共同親権がまかり通っていたら、こどもの転校は認められず、いっちゃんは来年も不登校の一年を送ることになっただろう。
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2024年3月29日金曜、18時から19時の間、国会前でデモがあるそうだ。DV被害者や小さな子を育てている人は、国会前に来る、という事がとても困難だと思う。それほど人数は集まらないかもしれない。
今までの私は、政治に最低限の参加しかしてこなかったけれど、そういった事情が重なって、生まれて初めて、デモというものの参加意義を考えている。ただ1時間その場に立つ事の重みについて。