立命館を蹴って、東大を目指した話③(高校生時代 後編)
②は下のリンクから
1学期をもって、担任を辞任します
ホームルームで配られた紙には、そう記されていた。
彼女が担任を辞めさせられた理由は一つ。
授業アンケートの評価が低かったからだ。
クラスメイトほぼ全員に嫌われていたので、無理もない。
ちなみに、担任の座からは退いたものの、古文の教科担当は彼女のままだった。
そういうことがあり、2学期からは新しい担任が就くことになった。
担任が変わってから、授業中はさらにうるさくなった。
口うるさい前の担任とは対極の、物静かな人だったからだと思う。
そんな2学期のある日
古文の時間に、以前受けた進研模試の話になった。
元担任は突然、僕に向かって「あんた、第一志望東大って書いてるけどなにこれ」と言って笑った。
クラスメイト全員が僕の方を振り向いた。
(うわ、最悪や......ネタで第一志望東大って書いたのをまさかバラされるとは......)
ところがなんと、これが大ウケした。
クラス中が笑った。
めちゃくちゃ気持ちよかった(大阪人あるある)。
それはさておき、当時、友達の中でクラロワや荒野行動が流行っていた。
僕は毎日、夜中まで友達と電話しながらゲームに耽った。
そのせいで、高1のころより成績はさらに低下し、単位を落としかけるまでに至った(最後のテストで一夜漬けして、ギリギリで回避😅)。
【高3】
高3になっても、相変わらず勉強はしなかった。
授業中は寝るか、友達と喋るかのどちらかだった。
席替えして周りに喋る人がいなくなったときは、基本ずっと寝ていた。
英語の教師に「みなさんは、こんな風にならないように」と嫌味を言われたこともあった。
高3の夏休みは、受験生なら猛勉強する時期である。
だが、僕はずっと高校野球を観ていた。
金足農業の試合に心を揺さぶられたものだ。
そして9月・・・
依然として、僕は勉強を始めない。
そんなある日のこと。
高3の時は帰宅部(ギター部は半年で辞めた)で、いつもは授業が終わると、友達とダラダラ喋りながら帰っていた。
ところがその日、友達は学校の自習室に向かった。
僕は驚いた。
彼は、普段全然勉強しない子だったからである。
(普段遊んでるあいつが勉強始めたって、もしかして結構ヤバいんじゃね......)
焦った僕は、とりあえず志望校を決めることにした。
当時の僕が知っていた大学は、東大・京大・阪大・早稲田・慶應・同志社ぐらい。
入学当時は阪大に行きたいと思っていたが、流石に今の学力と残り時間を考えて、無理なことはすぐにわかった。
結局、上記の大学で一番易しい&校外学習で行ったことがあるという理由で、同志社大学を目指すことにした。
次に、受験に必要な科目を調べた。
私立文系だったので英語と国語は確定。
選択科目は「数学・日本史・世界史・政経」のうちから一つ選ばなければいけなかった。
数II・Bと政経以外は一応授業でやったものの、まったく聞いていなかったので初学に近い状態だった。
数Aは割と得意だったというのもあり、僕は数学を選択しようとした。
そんな時だった。
友達から突然、「これ、もう使わんからあげるわ」と言われ、東進日本史一問一答を譲り受けた。
数学に気持ちは傾いていたが、教材を貰ったことが決定打となり、僕は日本史とともに、受験という溟に飛び込んだ。
下の写真は、高3の9月に受けた進研模試の成績表である。
3科目偏差値は40.1、日本史に至っては36.3(しかも、適当にマークしたところもあるので実際の偏差値はもっと低い)しかとれなかった僕にとって、進研模試偏差値77の同志社は3科目とはいえ、あまりにも高い壁だった。
ここでようやく本格的に焦り始めた僕は、日本史ばかりやるようになった。
だが大学入試において、配点も低いうえに短期間で点数を伸ばしやすい日本史に最初に手をつけたのは、大きなミスだった。
(英文法とか勘でいけるし、現代文は母国語やから余裕www 古文とかフィーリングで読めるやろ!)と思っていたが、まさに愚の骨頂である。
下の写真は11月に受けた進研模試
1ヶ月ちょいで、日本史の偏差値が36.3から53.6に上がっている。
ピンチなのには変わりなかったが、ワンチャン受かるやろ! と思っていた。
さらに、教材をほとんど持っていなかった僕は、とんでもないことを思いつく。
友達から、使わなくなった教材をタダで貰う、通称無課金受験である。
は?
挙句の果てには、合格したら「なんで、私が無課金受験で同志社に!?」という合格体験記紛いの本まで出版しようと考えていた。
今考えたら、頭おかしすぎる
だが、現実は甘くなかった。
日本史はそこそこ伸びたものの、英語と国語がまったく上がらなかった。
それもそのはず、僕は基礎が固まっていないのにもかかわらず、過去問ばかり解いていたのだ。
さらに、文法や単語はフィーリングでいけると思い込んで、全捨てしていた。
一向に、周りに追いつけないことから焦燥感に駆られ、どんどん沼に嵌っていった。
そして年が明け、センター試験当日を迎えた。
成績開示請求をしていなかったので自己採点しか残っていないが、採点ミスはしていないと思う。
日本史はなんとか7割をとることができたが、国語と英語は6割ちょいしかとれなかった(古文とかは結構勘で当たってるところもあるので、実際の点数はもっと低い)。
この結果を踏まえ、龍谷と同志社の二本で勝負することにした(おかしい)。
学部に関しては、周りの友達が経済学部ばっかり受けていたので、僕も同じところを受けた。
各試験の思い出を語ってもしょうがないので、ここはサクッと結果だけお届けする(上から受験した順)。
惨敗である。
同志社に至っては、驚異の131点差落ち。
もう伝説だろこれ。
前期全落ちということで、龍谷の後期も受けた。
だがはっきりいって、前期で受からない人間が後期で受かる可能性は低い。
3つの学部に出願したが、見事に散った。
言葉が出なかった。
中学のことが友達に知れ渡ると、「お前、中学めっちゃ賢いところやし絶対地頭いいやろ!」と言われるようになった。
中学受験は、何年もコツコツと積み上げてきたうえでの合格だったことは自分でもわかっていたが、次第に「俺は周りより地頭がええんか! 本気出せばできるんか!」と思うようになっていった。
だが、それは"過去の栄光"という、錆びた刃をいつまでも掲げているだけにすぎなかった。
これまでの人生で、まさか自分が浪人するなんて考えたこともなかった。
卒業後、色んな予備校を巡り、最終的に河合塾に入塾することにした。
大きな挫折を味わった僕は、今年は心機一転頑張ろうと心に誓った。
こうして、僕の長い浪人生活が始まった。
次回第4話「一浪目 前編」