立命館を蹴って、東大を目指した話②(高校生時代 前編)
①は下のリンクから
【高1】
入学したばかりの頃、僕はこんな目標を掲げた。
「中学の同級生と大学で再会する」
見返してやろうという気持ちだった。
別にバカにされたからとかではない。
単純に、「お前、中学の時あんなに成績悪かったのに大学受験頑張ったんやな!」と言われたかっただけなのかもしれない。
僕が入学した高校は、大きく分けて4つのコースが存在する。
以下、簡単に紹介。
詳しい進学実績などは、下のリンクを参照↓
特進コースは入学時の成績でグレードとノーマルの2つに分けられる。
僕は後者に入学した。
ノーマルの主な進学先は、摂神追桃〜産近甲龍(河合塾偏差値42.5〜55.0)。
入学当時の僕の志望大学は、大阪大学(センターボーダー83%)だった。
もちろん僕が大阪出身というのもあったが、当時、大学に疎すぎた僕でも知っていた、数少ない大学のうちの一つだった。
阪大に受かりたいと担任に伝えたところ、2年時に選抜特進コースに行くことを推奨された。
高1の成績次第では、どのコースからでも上がることが可能だった。
1学期中間の成績表。
場合の数や確率は割と好きだったというのもあって、数Aはクラス2位、特進コース全体では20位と、好調な滑り出し。
しかし、それ以外の科目の半分以上が平均以下の点数で、全体で見るとクラス42人中31位、特進コース256人中183位と、なんとも残念な結果に。
こちらは1学期全体の成績表。
相変わらず数Aは255人中17位と、他の科目と比べるとずば抜けていいのがわかる。
2学期中間は全体的に成績がいい。
これまでクラス半分以下の順位だったのが、急にクラス7位にUPしている。
2学期の最初に、担任に色々言われて勉強したからだと思う(記憶不鮮明)。
まだ舞える!
ここから本気出せば、クラス上がれる!
諦めるなワイ!
〜そして月日が流れ〜
時は来た。
ついに、学年成績表が手元に渡される...
クラス順位はいかにッ!
_人人人人人人人_
> 下から2番目 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
「42人中41位ってお前、クラス上がるとかいう話どこいってん」とツッコまれかねないレベルで悪い。
ていうか最下位誰やねん
【高2】
クラス替え楽しみやな〜
メンバー誰おるやろ^^
僕は友達と一緒に掲示板を覗いた。
高1の時、仲良かった友達のほとんどが違うクラスに流れてしまった。
とりあえず、自分のクラスのメンバーを一通り見る。
「いや、誰やねん......」
うおおおおおおおおお
そして担任もまた、知らない人だった。
古文の担当だった彼女は、初回の授業の最初にこう言った。
「私ね、以前教えてたクラスの偏差値25上げたんですよ。この一年で、あなたたちの偏差値も25上げるから。いや、マジで」
????????????
まず、この発言に対して言いたいことが2つある。
①いったい、何の模試の偏差値のことを言っているのか
ベネッセ進研模試偏差値60と東大模試偏差値60は、当たり前だが全然違う。
前者は関関同立MARCHですら合格できるか怪しいレベルだが、後者は東大受験者の平均を上回るレベルである。
東大模試偏差値40でも、普通の模試だと成績は上位なんてこともザラにある。
②偏差値いくつから、いくつにまで上げたのかが不明
一言で偏差値を25上げるといっても、30から55に上げるのと、55から80に上げるのとでは労力が段違いに異なる。
偏差値30は、はっきりいってほとんど勉強していない状態なので、ちょっとやればすぐに50くらいまでは伸びる。
だが、後者の場合はそうはいかない。
それこそ、75から80まではたった5しかないが、この5を上げるためには途方もない勉強が必要となるのである。
話を戻すと、彼女はなんでもバラす人だった。
僕も被害者の一人で、授業中に突然、「あんた、ハイレベルな中学通ってたんでしょ。これくらい答えなさいよ」と、みんなの前で言われた。
当時、中学のことを話していなかった僕は、唐突すぎる暴露に困惑した。
また、めんどくさい性格というのもあって、彼女はクラスメイトほぼ全員に嫌われていた。
そして、1学期最後のホームルーム
この日僕たちは、担任の口からあることを告げられる。
次回第3話「高校生時代 後編」
クラスに衝撃が走る。