胸打つ『イッショウケンメイ』
求めてる結果に辿り着けるなら
それが一番かもしれない
でも
それだけがすべてではないんだ
自分が一番育つのは
結果が出た時ではなく
結果が出るまでの『途中の道』
『出来ない』が
『出来る』へ近づいていく
その時の
胸の奥の『嬉しそうな騒ぎ』を
何度でも求めて
『無力探し』にまた出掛ける
すべてを極めることが出来なくても
自分のやりたいことを
高く高く
天に届くまで重ねていく
そんな『楽しみ』を
共に生まれる『苦しみ』を
愛してたい
無力を恨み
至らなさを憎みたくなるほど
一生懸命やってる自分に
優しさと励ましを
一生懸命やってる誰かの
苦しみを想像しながら
寄り添うような
優しさと励ましを
結果どこまでいけたかよりも
やりたいことをやり続ける君の偉大さを
時々でもいいから誉めてあげてほしい
どんなことでもいい
それがお金にならなくても
自分や
誰かの人生に
『無形の富』を与えられたなら
それでいい
君の『一生懸命』は
誰かの『生きる』に
価値あるモノを気づかせる『教え』であり
誰かの『やりたいこと』の推進力となる
強い『感動』なんだ
君の一生懸命に
胸打たれた人の心から
『君がいてよかった』が鳴っている