『ゴールデンカムイ』家父長制と戦った尾形百之助
作中で一番綺麗な終わり方をしたキャラクターは、尾形だと思います。が、実はメインプロットと絡んでいるようで、別の方向性を向いているようにも思える。
ゴールデンカムイ尾形百之助のルーツと因縁を考察!薩摩と水戸の関係は? https://bushoojapan.com/historybook/historycomic/2022/01/28/115704
拙記事です。
尾形の目的は金塊じゃない
彼は家父長制と戦っていると思えた。
こういうキャラクターは2010年代の最先端なのでしょう。似た人物として『ゲーム・オブ・スローンズ』のラムジー・ボルトン。
『魔道祖師』および『陳情令』の金光瑤(きんこうよう)がいます。父の性的な逸脱の結果生まれた子が復讐を遂げるという造形です。
人類はずっと男系の血統だけを重視したわけでもない。双系、男女双方の血統を重視した方が生存率が高かった。それが都市や財経済が発展していくと、様相が変わってゆきます。
財産を持つ男が女を囲いこみ、畑に種をばら撒くように子を作る。そういうことができるようになる。その場合、畑のことなんて気遣わなくていい。家父長制とは、そうやって種を気ままに撒くことを肯定して完成します。
大河ドラマでも考えてみましょう。
中世の女性である北条政子は、夫である頼朝の浮気に怒りを表明した。ところが近代の女性である渋沢栄一の妻・千代は、ため息をつきながら妻妾同居を認めるしかなかった。女性の権利とは近世に向けて低下してゆく。『青天を衝け』の主人公の妻であった千代はそうした女性の典型例です。
家父長制は近現代に向かうにつれ強化されてゆきます。明治時代は日本史上でもその頂点でした。
幕末のころはスキャンダルとして、
「あの幕臣が妾を囲う?」
なんていうものがありました。妾を囲うことは恥ずかしいことではあった。大名には側室が当たり前だとか。徳川大奥ハーレム三昧とか。そういうものはフィクションで増幅されていることは念頭に置いてください。
それが明治時代になると、国のトップがともかく下半身にだらしがないのでどうにもならない。伊藤博文はじめ、明治政府の上層部はしばしば明治天皇から釘を刺されています。松方正義が天皇から子どもの数を聞かれ、調べてから答えると回答したなんて話も。
牛鍋チェーン店で財を成した木村荘平なんて、子どもの名付けが面倒になって「荘十三」だの「十七子」とつけていたそうですから。
ともかく明治の子沢山、庶子は凄まじいものがありました。
明治ならではの悲劇
当時はそれが常識だという擁護もありますが、それはどうでしょうね。西洋諸国、ことプロテスタント国からすれば恥ずかしいから対面を誤魔化そうとしていた形跡はあります。
明治の厄介なところは、プロテスタントの影響も大きいことでして。日本はカトリックとプロテスタントが混同されがちですが、明治以降はプロテスタントが台頭しています。カトリック優勢の韓国ともまたちがいますので。
尾形百之助と花沢勇作には、このプロテスタントの影も実はさしています。庶子であることを恥じること。童貞を重んじること。それをここまで意識するのは、プロテスタント思想あってこその時代ゆえといえます。
もしもこれより前、あるいは後だったら、この兄弟はそこまで悩まなかったかもしれません。
2010年代から2020年代ならではの問題提起ともいえる。日本ではそこを恥じる意識が低いし、明治維新礼賛からの流れもあるし、ミソジニーが根底にありますから。庶子の苦しみ、庶子が復讐することがこうも真剣にはとらえられなかったのではないかと思います。
ピンと来ていない人も多いんじゃないかと思うのは、渋沢栄一が顕彰されているあたりからも感じることではありまして。
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