知らないままで愛してる
不安定になると他人の視線が過剰に気になる傾向がある。この1年はそれが酷く、SNSを定期的に消さないと自分を保てなくなったし、いいね機能も既読機能も煩わしくて、ストーリーも全員非公開にして思い出としてだけ投稿する日が増えた。
生身の人間について書く自分を不気味に感じて過去のnoteもしばらく下書きに戻していたし、人の目につくXで言語化することはかなり減ってリポストばかりになった。
また段々と、自分のことを話せなかった日々に逆戻りしているように感じて、必死に抗おうとしてた。
それでも好きに忠実でいたくて、昨年からフォロワー0のアカウントを作ってひっそりと言葉を残している。好きなだけ愛を表現する自分を見てると、生き生きしていて清々しいし、アイドルを好きでいることは本来こんな気楽さでもよかったことを思い出した。もう苦しくならないように、大好きなままでいられるように、私は私のペースで愛したい。
1年ぶりにnoteの下書きを覗いてみると、ミンハオさんへの書きかけのファンレターが溜まっていた。海城がリリースされたときや昨年のお誕生日……生まれる感情を必死になって残そうとした跡があった。
考えるたびに胸がはち切れそうになって、どうしようもなくしあわせで泣きたくなること。
ただ共に生きていきたいと思うこと。
それしか分からず、でもそれだけでじゅうぶんなのに、そのあまりの漠然すぎる愛が雑に感じて、愛が足りないんだと思った。
でも書きかけのファンレターを読んで、ミンハオさんのことが大好きな自分を無かったことにしてしまうのはかわいそうだと思った。分からないなりにnoteにだけでも残してみたくなったし、今なら勢いに乗って自分のことも話せる気がした。数日前からまたnoteを更新しているのは、こんな経緯があったから。
防弾くんのことはあちこちで言語化してきたから今は書きたいという欲もあまりないけれど、SEVENTEENのことは言語化するのを諦めていたぶん書きたいことがたくさんある。
ミンハオさんはこんなときまで背中を押してくれるね。誰かに向ける愛は、ときに自分のことも強くしてくれる。アイドルを好きな理由の1つはこれだと思った。
自分の言葉を不気味に感じたのは、防弾くんのことを知りすぎていたからなのかも。KPOPに初めて飛びこんだあの頃の私は、アイドルを推すことで命を繋ぎ止めていて、ファンになるもっと前のことまで知り尽くしたいというエネルギーがあった。毎日のように夜更かしをしてはYouTubeや記事を漁っていた。こんな人だと決めつけたり、過大評価したりしてアイドルの首をしめることはしたくないと強く思うようになったからこそ、過去の自分に違和感があったのではないか。漠然とした愛が雑さに繋がるわけじゃないことは今ならわかるし、むしろ言葉にできないほど漠然とした愛のままのほうが健やかでいられるのかもしれないね。