私という輪郭を明確にしてくれる小説/吉本ばなな「キッチン」
揚げ物をしている時の、次々に浮かんでは消えていく小さな泡と、カラカラという小気味いい規則的な音。微塵切りの爽快感。洗い終わった後に並べられている皿達の秩序。そういうものを五感を駆使して体内に摂取すると、気持ちが落ち着いてくる。ピカピカに磨きあげたコンロやシンクを見ると、私自身の存在を許されたような安心感を感じる。
私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。
そういうわけなので、みかげが台所が一番好きな場所だと語るこの一文から始まる物語が私の心を一瞬で掴んだのは、必然だったと思う。
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私の身近な人は、いつもうっすらと死の気配の纏わせていた。
父、母、それから昔の恋人。
父は、まるで好物を語るかのような明るい口調で、死にたい時がある、と告げた。まるで地獄に叩き落されたかのような、体の芯が凍るような恐怖を未だによく覚えている。
それから母。彼女はいつも自死をちらつかせて私を繋ぎとめようとした。実際に行動に移す事はないと知りながら、私は母がチラつかせる“死”の影に幼い頃から昼夜問わず怯えた。
そして昔の恋人。彼は“死”と言うより“失踪”を匂わせた。多忙をきっかにに何週間も連絡を絶った。彼の不在がもたらす不安は、私から眠りを奪った。
彼らといる時、私は酷く疲れていた。「死なないでいてほしい」と願っていたから、頑張って、繋ぎとめようとしていたから。三者三様に死を匂わせ、そして私の前からいなくなった。それは死という去り方ではなかったのだけど、私は死を憎み、恐怖し、遠ざけたかった。
それなのに、私自身は時折、強烈に死を意識してしまうことがある。吸い寄せられるかのようであり、呼ばれているかのようでもある。
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三年前に今の家を建てた。
「キッチンを広くしてほしい。」
夫に拘りたいところはあるかと聞かれて、そう答えた。広い作業スペース、ちょっと無理して(いや、大分無理をした。予算的に)設置したハイスペックなコンロ、オーブン、グリルが手に入った時はうっとりした。
家の中で一番好きな所はキッチンだ。
料理をしている時は考え事が捗る。考え事をする為に料理をしているのかもしれないと思う事すらある。思考はネガティブな方向に進行していく事も大いにあるのだけれど、例えばサバの竜田揚げや角煮なんかが出来上がる頃、這い上がることが出来る。
どうしても、自分がいつか死ぬという事を感じ続けていたい。
でないと生きている気がしない。だから、こんな人生になった。
闇の中、切り立っ崖っぷちをじりじり歩き、国道に出てほっと息をつく。
もうたくさんだと思いながら見上げる月明かりの、心にしみ入るような美しさを、私は知っている。
迫ってくる死のイメージが私を飲みこもうとするとき、私の輪郭はぼやけて薄れていくように感じる。料理しながら死にたがりの父を、私を傷つけた母を、恋人を想って眠れなかった夜を、思い出す。沢山考える。死について、自分について。そうしてこんがらがった頭の中の思考の紐が少しずつ解けていく。思考の深い所、解けたひもの奥に、本音が見えてくる。
それは真っ暗な闇の中に光る月明かりのような、“生きたい”という、本音。
キッチンを愛しているのは、生きたいという意思を一番実感できる場所だからなのかもしれない。
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そういう私なので、死なない人がいいと思っていた。生のエネルギーに満ち溢れていて、死の影など微塵も感じない人。
先の元恋人とお別れした後、お付き合いを開始した恋人と過ごしていたある日、あの大震災が起きた。彼は被災地へ、それも大破した原子力発電所へ事故収束の任に赴く事が決まった。
またか、と思った。またこの人も死に近い場所にいるのか、と思った。事故現場にいる間は連絡は一切取れないからと、彼が出発前に手紙をくれたのだけれど、私にはそれが遺書のように見えてしまって、絶望した。
人生のすべてと決別しようとしていた雄一が思いとどまってみかげの滞在するホテルに電話を掛けるシーン。
「どこから、かけてるの?」
私は笑った。心が、ゆっくりと緩み始める。
「東京。」と、雄一が言った。
それがすべての答えだ、と私は感じた。
そうして二人は再会する約束をするのだけれど、この時のみかげの気持ちは、彼からの手紙を読んだときの私のそれとリンクする。死の気配が消えていくのを感じる。
彼からのあの時の手紙にはこう書いてあったのだ。
「絶対に死なないからね。」
その数年後、彼は夫になった。
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雄一を踏みとどませるきっかけになったシーン、みかげが出張先で食べたかつ丼を雄一に届けるこのシーンは、あまりにも愛だと思う。
夫と息子は、私が沢山の考え事と共に生み出した料理を、毎日美味しいと言ってモクモクと食べる。思い悩んで大量に作られたパーティのような料理を喜んで食べてくれる。私はそれが、とても嬉しい。彼らからは生きる力を感じるからだ。
食べることは生きる事だ。どんなに辛くて悲しい事があったとしても、食べるという行為を省いてはいけないと思っている。そして美味しいものを食べさせたいと思う気持ちは、なによりも愛だと感じる。そういう事を生み出す場所であるキッチンは、やっぱり特別な場所なのだ。
「どうして君とものを食うと、こんなにおいしいのかな」
「きっと家族だからだよ」
再会したみかげと雄一は、どんな形でいるのだろうと想像する。みかげはあのキッチンで料理を作り、家族として雄一と過ごしていくのだと思う。
小説キッチンは、生きる事と愛する事の教科書だ。この本を読むとき、私は私自身の輪郭を明確にすることが出来る。