PARCO ART WEEK 2021 - Jean Jullien(紙から生まれたひとがともだちをつくるまで)
渋谷パルコにて、「SHIBUYA PARCO ART WEEK 2021」のアート展示『Jean Jullien Exhibition - PAPER PEOPLE』を小学5年の娘とみてきた。
アートウィークは、9月17日(金)〜10月3日(日)までの17日間だった。
▼ 麒麟 川島明さん支配人 #ホテルカワシマ (ほぼ日曜日,渋谷パルコ) - 体験型展覧会
◾️PAPER PEOPLE (紙のひと)
手で触れてはいけないので、紙(なのか?)の強度をかんじることはできなかったが、こんだけピッ!と固まっているんだから、かちんこちんなのだろう。
▼ まゆげと耳とちくびとヘソとヘアは、ない。紙からニョッキッキしているため、足首から爪先までは紙に埋まっている。足が紙から生えているかんじ。生殖器がないのは、絵的に卑猥なものを外したかったからというよりそれが不必要な存在だからかもしれない。
▲ 背中(背面)がどうなっているか、身体の歪み具合はどうか、骨はありそうかなど、考えだすときりがないくらいふしぎなのが PAPER PEOPLE である。
▼ まじまじと覗き込んでいる先を、「おもちゃがいっぱいあるこども部屋の絵」と捉えるべきか、「〜の絵」を省いて考えるべきか悩む。なぜなら本人は、誰かが描いた絵から生まれた存在だからだ。リアルの世界をじーっと観察しているのか、この絵がホンモノになればいいのにとおもっているのか、まだわからない。
▲手首のしなりがすごい。……っていうか、アッ!足首から爪先まである!さては、それらがないと直立できず不便なのを、紙ながらに悟ったのか。
▼ なにかを悩んでいる。落ち込んでいるようにもみえる。まわりにあるいくつかの部屋を覗いて、情報を収集して、足りないものがあるとかんじたのか。じぶんの存在を疑っているのか。観る側の想像がふくらむ。
▼ 座っている PAPER PEOPLE の後ろにあるものだが、よくみると本人が寝そべっている。道具はあるのに使いかたがわからない、ひとりでなにをしたらいいかわならない、疲れたから休もう、というかんじだろうか。
▼ こどもにとって魅力的な恐竜やモンスター系のフィギュアに、戦闘機のようなクルマがずらり。これだけみると「たのしいでしょう?」「どれがすき?」とポジティブな問いかけをされた気分になるが、PAPER PEOPLE の姿をみると、なんだかきもちが晴れない。
▼ 物理的にはペラッペラの紙人間だが、心が薄っぺらいヤツではないようだ。「疑問」とか「喜怒哀楽」の感情があること自体にもおどろく。
▼ 悩んだ末の発想がすごい。また、どういうことを考えていた結果こうなったのか?のストーリーもみえてくるシーンだ。
▲ できるかどうか?という疑念を抱くよりもまずやってみる!という姿勢が伺えてよい。この場合の失敗とは、「紙にじぶんと同じ PAPER PEOPLE を描いても実際にはうごきださない」ことだろうけれど、やらなきゃわからない。
▼ めっっちゃ成功している。PAPER PEOPLE は、じぶん以外の存在(他者)をつくりだした。それが「ともだち」なのか「こいびと」なのかは不明である。
▲ じぶんと似ているけど違う、という存在なのがいい。まったく同じような見た目にしないのは、なぜなのだろうか。PAPER PEOPLE 自身がじぶんの姿を客観的にみてわかっているから描けるビジュアルだとおもうから、あえて差異をつけているのか。
◾️こども部屋に
▼ フィギュア(人形)の大きさがわりとバラバラで、パッと見の印象で「ほしい!買って〜!」と言うこどものようすが想像できる。
▼ 同じサイズ感の恐竜は、シリーズもので本人の「お気に入り」グッズなのだろう。形や大きさの雰囲気がある程度揃っていて世界観を作りやすいと、こども視点でもうっすら気づいてくる。
◾️大人の不安が「希望」になる絵画
▲ なにか不満を抱えてりんごの皮むきをしているひと、に見える。が、蛍光っぽいオレンジ色が、なんとなくそのモヤモヤした霧をふきけしてくれそうなかんじ。
▼ 漫画『名探偵コナン』に登場する、犯人の犯沢さんかな……? 暗闇でどん底に落ちているかんじだか、なにか閃いてしまった目だ。
▼ 誰かが彼をみているのか、彼自身が鏡を覗いているのか。いずれにせよなにをしていてもじぶんより彼のほうが悲惨な状況にあるような気がして妙に希望をもってしまう。励ましたくなる。
▼ なぜ不安になるかというと、なかよく肩を抱き合いながら歩いているふたりの道が先細りしていて行き止まりにみえるからだ。Y字に分かれているようにもみえる。なにをしにいくのか知らないが、本人たちはそれに希望をみいだしている気がする?
◾️波をうつす
▲ パキッとしたピンクがいい、とはおもうがそれ以上に重なりあう波の白がいい。
▼ こういう海をみると葛飾北斎の「波」をおもいだすが、あちらは左から波がくるしサーファーでなく船乗りがいる。
▼ 水のなかでは、みんな形をとどめていられなくなる。自由だ、このままいきたい。でも、型破りは型通りを覚えてからというし、ただ形がないってだけはいやだな。
▼ 眺めているだけじゃもったいないので、浜辺にでたくなる風景。
展示作品は、もっともっと3倍はあった。うちに飾りたくなる絵画ばかりだったなあ。意味深なものほどずっと眺めていたい。
◾️おまけ - ほぼ日曜日
渋谷パルコほぼ日カルチャんに『増田セバスチャンと6% DOKIDOKI 1995→2021』が開催されていたのだが、まじでこれが似合うわたしでいたかった……。もうあかんわ……。