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かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう
トップ画は「リアリティのダンス」です。
ヨーロッパ系の漫画の原作者やカルト映画監督として有名なアレハンドロ・ホドロフスキーの子供の頃を映画化したもの
映画は途中から父親の人生話しになってゆく。
自分の過去と言っても
ファンタジーな部分は多いし
やはり子供(本人)が見た目線の世界
そして本人の知り得ない世界なので、寺山修司の書く戯曲や「田園に死す」と同じ。
虚像と事実を絶妙な匙加減で混ぜて良質なモノを作ってくれた。
このホドロフスキーの父親は息子に
「強くなれ!男ならこうなるのだ!」
と日頃言う。
髪が長いと「女みたいだ」と息子を床屋に連れていきバッサリと切る。(ような…儀式?…)
意味もなく息子を殴り強さの鍛錬をしているうちに息子の歯がとれて、それでも泣かさず
歯医者に連れて行き
「麻酔無しで耐えろ!」
と、とにかく男になるように鍛錬を欠かさない。
だが、みんなが寝静まると怪しいお店に行っては何かをやらかしている。
時にはかなりぽっちゃり系巨乳の女の子にも抱きつき
やりたいことはやっている。
子供の前では威厳を持ち、実は貧しい人のために助けたいという志も持っていた…
そんな父親が家を出てから…
もう、父親像が皆無で…最後まで
なさけない人生を歩んでくれる。
これは監督であり息子ホドロフスキーの父親への復讐か?
と…いう訳ではなく…
そんな父親を愛しむように描いている。
監督本人は、「父はこんなに人間くさくは無かった」と舞台で言っていた。
息子も息子で、自分が新しい靴を履いていたら貧乏な子供がそれを見て泣き出し「靴が無いよぉ」と言うので不憫になってそのチリ人の子供に自分の靴をあげてしまう。
そして自分は裸足で帰り父親から
「返して貰うまで絶対に帰るな!」
と怒鳴られたので外で座って夜遅くまで靴をあげた子供が通りかからないか待っていると…
なんと……
な展開で。
これはもしかしたら本当の事で懺悔の気持で入れたエピソードなのかなと思ったりした。
そしてホドロフスキーの今までの宗教観が何となくわかった映画だった。
母親はロシア系?の神秘主義
父親はロシアからアルゼンチン、チリに渡ったユダヤ人。そしてスター◯ン主義の無宗教。
そんな家庭でホドロフスキーは行者と出会う。
行者は不思議な感じで
「1つの神が3つを結ぶ」という事を言い
三大宗教のイコンをホドロフスキーに渡す。
![](https://assets.st-note.com/img/1716947147962-1t6Tc7KsHL.jpg?width=1200)
怖いというより、楽しそうに行者の話しを聞くホドロフスキーはそれを持って家に帰る…
「ホーリー・マウンテン」「エル・トポ」「サンタ・サングレ」等のカルト映画を観て私はホドロフスキーって、フリーメーソンでしょう?
と思いましたがもしかしたらホドロフスキー独自のものかもしれない。
ところで話が変わって小津安二郎の
「生まれては見たけれど」
という映画を観たことがあるだろうか
![](https://assets.st-note.com/img/1716947478650-fPAQihkWuK.png?width=1200)
子供達が主人公なのだが、
やはり父親は家では威厳を持たせて偉そうにしている
それなのに実は平社員なので上司にはペコペコとしている毎日。上司の子供にも情けない態度をとって
それを主人公達が目撃してしまう話しだと思った…
そうやってお父さんは子供達を育てているんだよ
と言いたい父親だが、子供達は父親が情けなく子供心に裏切られた気がして反抗をする。
1度見ただけだが、こういう内容だと思った。
ストーリー的には小津安二郎の中では好きな映画です。
割と私は格好いい系よりもそういう人間の面を描ける映画を好きだったりします。
「怪物」も大人はそういう人間ばかりでしたね。
そして子供は反発をする。
余程の地位が無い限り、プライドを捨て無ければ人間は生きていけない。
プライドを全て捨てよ
とは言わないが、そうやって人間は生きている…
子供のうちはがっかりするものですが
自分が大人になればわかりますよ。
子供と同じ
大人も弱い部分情けない部分があるんだなと
許せる範囲というのもありますけど
今日の「虎に翼」の父親の情けないほどの懺悔っぷりを見てふと書きたくなりました。
![](https://assets.st-note.com/img/1716957742688-oNutjEis6c.jpg?width=1200)
情けなさを見せるという事は本当は自分を全てさらけ出しているという事で
それは怖いこと
時には見ているうちに愛しくなるモノなのですよ。
本当はそういう人の方が格好良かったりする事もある。
早川義夫作曲作詞の
「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」
の逆…ですが、意味は同じですね。
ホドロフスキーのDUNE
ホドロフスキーの人脈がいかに多いか予告で物語る。
追記∶本題から離れて漫画の話についてです。
アンカル | アレハンドロ・ホドロフスキー, メビウス |本
![](https://assets.st-note.com/img/1716951706037-DE7r6WYJVx.png?width=1200)
メビウス画
ホドロフスキー原作
のバンド・デシネコミックス
私はとても買えないので、知り合いのツテから借りて一応全巻読みました…SFです。
バンド・デシネの漫画はアメコミとはさほど変わらない見せ方です。ただ、アメコミよりはテーマがマニアックというかアート的なのです。
漫画を楽しんで読みたい日本人には敷居が高い。
ただしその中でメビウスはメジャー漫画家です。
そして日本の漫画はメビウスを取り入れてからガラッと変わったと云える。
それまでの子供漫画や劇画の絵柄が一斉にメビウス調になった時があったのだ。
始めたのは大友克洋 そして鳥山明 現在はチェンソーマンの漫画家 藤本タツキだと私は思っている。
「ジョジョの奇妙な冒険」も、最初の頃は劇画調でしたがバンド・デシネのような描き方になったような気がします。
*このページ、また加筆修正するかもしれません