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◆この事件は想定可能だったか否か

 私はずっと前から再三言っているけれども、今の社会はいろんな意味で「維持すること」そのものに逼迫しているような状態で、これまで取れてきたバランスも崩れつつある中で、資格そのものの信用が加速的に低下してきているということを、こうした事件から感じ取れるものだと思っている。

 医師免許は言わずと知れた国家資格。勉学において優秀で、良い大学も出て資格を取得したのだろう。ところが、人々を助ける職に就いていながらこういうことをする人間が出てきてしまうのは、少なからず認識のズレがあるからであって、理屈で考えずとも明らかにおかしなことをしても「バレなければいい」という軽視をしているからではなかろうか。

 こういう事件が発覚する度にメディアが口を揃えて訴えるべきなのは、「おかしいですね」「理解に苦しみます」とかいうことではなくて、「能力を持った者は、それを正しく行使する責務がある。」ということではないかね。小説、映画、ドラマなどの作品は、ただ面白おかしいという感覚で観るのではなくて、そこから学び得ることがないかを意識しながら観ることが大事だと思う。白い巨塔で財前五郎が言い遺したこの言葉は、資格を持って職に就いている人たちすべてが正しく認識する必要がある。

 肩書が大事だと陶酔して資格を取ってみたものの、職種にも差はあるかもしれないが、現実として体感する苦痛や不満といったものも大いにあるのだろう。

 国家資格に限らず、あらゆる資格も含め、資格を仕事に活かす者はその仕事において法を犯してはならないわけだけれども、やっぱり人間が扱うものは何でも、いつ悪用されても不思議はないという点において、現行の資格制度は影が多く、抜け漏れが散見される。

 国からの補助金も支給されているはずの病院が金目当てでワクチン接種を偽って生理食塩水を投与するというのは誰が見てもおかしい行為なわけだけれども、本当の問題はそこではなくて、たとえ国家が許可した資格を持っている者であっても世間にバレるまで裏で悪さを続けている者たちが存在しているという現実が問題なのではないかな。

 仮に、ワクチンを接種したと思っていた患者がコロナに感染し、基礎疾患がなく、ワクチンとの因果関係も不明な状態で死亡に至ったとしたならば、今回逮捕された船木容疑者は、市からの業務委託料搾取による詐欺容疑に加え、純粋な殺人容疑もかけられることになる。そのことを本人が想定して今回の事件を起こしているとはどうも感じられない。

 景気が悪化すればするほど、資格を必要とするどの職業もパフォーマンスが悪化しても不思議はない。きっと資格を取得したことに後悔している人たちも少なからずいるんじゃないかな。そういう人たちの中から、業務上知り得た情報の漏洩だったり、データ改ざんだったりを隠れてやってしまう人たちが出てくるのかもしれない。

 そういう人たちを生み出しているのは、間違いなく社会そのもの。資格取得権限の是非については再考する必要があると思う。こんな状態では若い世代たちの未来を潰しかねない。

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