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無作為の美ということ

人は何かをする時に熟慮することもあれば全く意識しないこともある。

千利休が朝鮮の雑器を茶道具としたところに考えがあったかどうかは素人の私には判断がつかないが、その道具を作った本人にはまさか海峡を渡った異国の地で値千金で愛でられるという意識はなかったと思う。

無作為の美は己れで見つけるからこそである。
もちろん、美術館に飾られていても良い。ただし、美術館に飾られているから美しいのではなく、自分が見つける美が美しいのであり、見つけるのが楽しみなのだ。
美術館に飾られている茶道具には先人達が見つけた美が写し出されている。きっと本来は自分で(たとえ茶の湯をたてられずとも)触れて持って、そして、美しさを愛でるのだと思う。
白州正子の著書のいくつかには名物と言われる茶道具に実際触れた時のことが書いてある。
私もいつか無作為の美に触りたい。願わくは少しの時間でも手元に置きたいものである。

タイトル写真 2017年5月東京の空(白鼠色)

#美 #茶の湯 #無作為 #白州正子

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