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ルックバックを見返す。

〜エンタ★ニカ学習帳について〜
こちらは、僕が表現物に触れた時、
「これは使えそう」と思ったことを
書き記した学習帳です。
中にはネタバレもございます。ご了承ください。



【4時間目】
ルックバック

監督・・・押山清高
原作・・・藤本タツキ





どもりはセリフ以上に感情を語る。

不遜なことを書いていこうと思う。

「いやっ、あっああ、え、えーと」などのように、相手との会話に緊張すると、人間は発語する前に助走が必要となってしまうことがある。それが吃りだ。そして、この症状が常態化すると身体障害者手帳の4級に相当する「吃音症」となる。

本作に出てくる登場人物、京本もその傾向がある。
特に表れているのは藤野が京本の家に卒業証書を届けにいった時だ。

4コマ漫画名人としてクラスに持て囃されていた藤野は、京本が持つ描写力の高さに愕然とし、努力を積む。だがそれでも全く敵わず、漫画を描くのを辞めてしまう。つまり、藤野はこの時、プライドがへし折れた状況で、へし折った張本人の家へ卒業証書を届けに向かっていたのだ。

家に上がったものの、嫉妬に似た憧れを感じた藤野は嫌味のつもりで四コマ漫画を書いた。その一枚が偶然、京本の部屋へと続くドアの隙間に入ってしまい、慌てて彼女は家を飛び出す。

その背中を追ったのが京本だ。

上の写真は自宅の前で京本が藤野を呼び止めるシーンだ。
ここは、サムネイルにしている藤野が田園の中を傘も刺さず走るシーンの次に僕が好きなシーンで、初めて漫画を読んだ時に感じたあの熱度と瑞々しさは映画の中にも再現されていた。

そんな一瞬に感動を覚えながら僕は思った。
「伝えたいことがその人にとって大事であるほど、吃りって出るよな」と。


この体験をしたのはルックバックだけではない。
今年、9月に公開された、奥山太史監督の「ぼくのお日さま」という映画を鑑賞した時もそうだった。

この映画は吃音症の少年、タクヤが一つ年上の少女、さくらとアイスダンスを通じて心を通わせていく映画だ。
内容と賛美に関しては割愛するが、タクヤはどんな時でも言葉がつかえてしまい、また自分が大切にしたい事柄であるほど、吃ってしまう。
僕にはそんな彼の姿がとても愛おしく見えた。なぜならタクヤは感情の比重を誤魔化せないからだ。

吃りは確かに障がいかもしれないが、その人間が何に重きを置いて、どんなことが大切なのかがダイレクトに伝わってくる。また言葉はいくらでも繕えてしまうが、吃りには嘘がない。

不器用だからこその誠実さがあっていいと僕は思う。

そして吃りは感情を表す言語であるため、小説というフィールドで使える。この発見は僕にとって、とても有意義な経験だった。





ただし、点Fは動かないものとする。

数学の証明問題などで、よくこんな条件付けを目にしたので使ってみる。
この場における点Fとは、藤野という表現者のことを指す。

ルックバックで何より印象的なのは、まるでタイムラプスのように時間や景色が移ろっていく中、微動だにせず机に向かう藤野の背中を写したカットだ。そしてそのカットは彼女のライフステージが変わる度に反芻される。

彼女の後ろ姿は創作者にとって、どれほど強かに映るだろうか
他の人間のことは知らないが、少なくとも僕はコマの中、あるいは映像の中に描かれた彼女の背中にどれだけ励まされてきたのかわからない。

作中、藤野は「漫画を描くのは疲れるし、地味だし、辛い」と言っている。まぁ、それだけではないからこそ、彼女は創作に耽ってしまうのだろうが、そういった倦怠感は創作者であるなら必ず持っている要素だろう。

好きなことがいつも楽しいわけではない。
むしろ、創る側に回ったことで、
表現を嫌いになる時だってある。それでも、やってしまう。


まるでDNAの配列に因子が組み込まれてしまっているかのように、辛くても、泣きべそかきながらでも、作り出そうとしてしまう。

そんな循環にはまって抜け出せない人々にとって、藤野という表現者の奮起は心を震わせるものがある。

側から見れば「えっ、そんなことで凹んでんの?」と思えることでも、当人にとっては絶望を感じたり、嫉妬に狂ったりするほどのエネルギーを持つことはよくある。

僕も例外なく、誰かの成功に嫉妬し、落ち込み、負の感情が体調にまで影響を及ぼすことが多々ある。まるで創作の傀儡のように思えることだってある。

それでも机に向かってしまう。

出来上がったものはそれなりに華やかに見えるが、机に向かっている時間、目の前に映るのはただの文字の羅列だ。
小説は映画や漫画のようにキャラクターの表情で受け手の感情を誘引することができない。可視化されづらい分、小説の執筆は漫画以上に地味で根気のいる作業といえる。

これ以上書いたところで苦労自慢にしかならなそうな気がするので、割愛しよう。

まとめると、ルックバックは全創作者に向けての讃歌だと僕は思っている。

あるいは、創作だけに拘らず、何かに打ち込む人々が挫けそうになった時、第一走者となってくれる作品だろう。




藤野の背中を追って今日も僕は物語を綴っていく。

その、

少し丸まっていて、

貧乏揺すりと供に小刻みに揺れる背中を追いかけていく。






音楽を担当したharuka nakamuraの楽曲で
個人的に好きなものも貼っておく




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