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ワルツ・フォー・デビィ
「お前にとっての音楽ってなんだ?」
「そういうことはあんまり考えたことがない。考えないようにしてるってのが近いかもね」
この曲を作った時、そう答えたのを今思い出したよ。
あれは、3月頃だったかな。
兄夫婦に一人娘が生まれた。それはもう嬉しくてさ、赤ちゃんてすごい温かいんだね。僕びっくりしちゃってさ、気づいたら泣いてて、それを見た兄さんたちが笑っててさ、それで3人でひとしきり祝福しあったんだよ。
それからさ、なんとなくだけど、ここからは夫婦の時間だろうと思って、病室を出たんだ。
それで僕は売店横の自動販売機でホットココアを買ってね、長椅子に座りながらもうひとつの人生について考えていたんだ。
そしたら兄さんが僕の隣にいて、そう尋ねたんだよ。
まるで下手なインタビュワーみたいな質問で、あ、これは君のことを言ってるわけじゃないんだ。気を悪くしないで欲しい。
ええーっと、どこまで話したかな。
あ、そうそう。
僕にとっての音楽とは? と兄さんに訊かれたところだったね。
その時の僕は、温泉とかスパとかそういったリラクゼーション施設のプロモーション映像につけるBGMばかりをつくっていたんだ。
その界隈では割と定評あったし、今のところ収入も安定してるし、もうこんな感じでいっかって、諦め? に似た感情があったんだ。
だから兄さんにそう訊かれた時、音楽ってものに向き合うのが急に怖くなった。
そこからはもう下り坂さ。
前まで通っていたコンペも落とすし、もうね、詳しくは思い出せないけど、散々だったのは確かだよ。
僕の作る音楽には必ずクライアントがいて、抽象的にしろ、具体的にしろ、方針ってのがある。だから僕は音楽家であり、デザイナーでもあるんだ。
そういう自負が当時の僕にはあったんだと思う。
つまり、相手にとっての正解があるんだ。厳密に言えば最適解かな。
お互いのアイデアを提出しあって、言葉を重ねて、またアイデアを見せあって。そうやって課題に対する折り合いをつけていく。この過程は僕が楽団を抜けてフリーランスになってからずっと続けてきたことだから当然慣れている。でも、慣れすぎてしまったんだろうね。
そのせいで僕は創作ができなくなっていた。
これならプリセットのほうがましだよって、よく落ち込んだよ。
それでだんだんと仕事が手につかなくなってきて、日常生活もままならなくなってきてさ、兄さんたちに娘が生まれて二年が経ったある日、飯でも食わないかって電話がかかってきたんだ。
兄さんたちは父さんと母さんと一緒に住んでいてね。
その日、僕は久々に実家に帰った。
駅前で買ってきたお茶菓子を3人でつまんでいるとさ、兄さんの娘がリビングを行ったり来たりするんだ。忙しなくね。
その度兄さんの奥さんがその子を注意して、僕に向かってうるさくてごめんねと謝るんだけど、僕はなんとも思わなかった。
それは歩くことを彼女が心の底から楽しんでいるように見えたからなんだ。
兄さんの奥さんが叱っても、叱っても、彼女はリビングの往復をやめなかった。次第に奥さんが呆れて注意するのをやめても彼女は止まらなかった。その間彼女は終始、笑顔だった。
それを見て、僕はね、
ただ楽しめばいいんだと思ったんだよ。
いてもたってもいられなくなって、僕は二階に上がったよ。そして部屋にあるアップライトピアノの蓋を開けて、鍵盤に手を置いた。目の前には譜面も、もちろんクライアントの意向も、会社の方針もない。あるのは、白鍵と黒鍵と今の心地だけでさ、
僕は彼女が走り回る姿を思い浮かべて、鍵盤を叩いた。
歩いている時ね、一緒に彼女の頭が左右に揺れるんだ。無意識なんだろうけどバランスを取ろうとして両腕をあげたり、でも時々バランスを崩しそうになったりもしてさ、それでも彼女は歩くんだよ。笑いながらね。
夢中になってピアノを弾いていると、僕の後ろで彼女が踊っていた。踊っていたといっても、ただ回っていただけだけどね。それでも、こんな衝動的に作った音で誰かを踊らせられている。誰かの気持ちを僕だけの手で動かすことが出来た。そう思うと無性に嬉しくてね。なんか届いたって確信があったんだ。
ああ、この気持ちを忘れなければ生きていけるってそう思えたんだよ。だからファーストアルバムのタイトルは彼女に捧げることにしたんだ。
長いインタビューの最後に記者は尋ねなければならない質問をした。
「あなたにとっての音楽とは?」
カウチに寄りかかりながら彼は笑って答える。
「贈り物かな」と。