多肉植物

親として接する

娘が通う学校は1~2か月に一度、発達障害理解に役立つセミナーを開催している。

先日のセミナーは、カウンセリングを受けるハードルを下げるという目的のものだった。
カウンセリングを受けにくる親は「どうすればいいか教えてください」というが「答えはクライアントの中」にあるのであり、カウンセラーが解決策を示すわけではない。
講師の話は基本的な内容が中心でありながら、発達障害者や被虐待児、不登校児の支援の現場にいるだけに迫力と説得力がある。

質疑応答で、私は娘の話をきく難しさについて質問した。
娘は学校の課題をしながら「なんで私がこんな目に遭わないといけない」などと、とにかくぐだぐだ言う。
仕事で人の話を聴く分にはいくらでも耳を傾けられるが、わが子となるとそうはいかない。「そりゃ、あんたの課題だから当たり前でしょうよ」と、批判的な言葉を返した結果、娘の逆ギレという修羅場が展開される。
どうすれば穏やかな会話の上で、娘が気持ちよく動けるのか…。

「親として接する事ですよ」
「なんらか、支援をするお仕事をしていらっしゃるのでしょうが、それとは完全に切り離した方がいいですね」
「お母さんのモヤモヤした気持ちを吐き出すところがいりますね」
「カウンセリングを受けるというのも一つでしょう」
「答えは、あなたの中にありますよ」

そうか。確かに、カウンセラー然として娘の話を否定せずにきくことが、娘を丸ごと引き受けることでは決してない。
そんな明らかなことに、私は迷ってしまっていた。

そして、そこで途方に暮れる。
親に子どもが反抗するのは当然だと知識としてわかっているが、子どもの頃は、いや母が亡くなるまで、私はそれを許されていなかった。
私の育った家庭は、母の感情の荒波に、家族も、母自身も常に揉みくちゃになりながら暮らしていた。
一方父は、外では人当たりがよかったようだが、家では何を考えているのか分からない沈黙の人だった。

「親として」どう振舞えばいいのか、私は今更ながら戸惑っている。
一つだけ言えるのは、私と私の親との関係を、私とわが子の間に繰り返してはいけないということ。

セミナーが終わったあと、「学校に心理士がいますよ。利用してください」と先生から声をかけられた。
何かが生まれるかもしれない。

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