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暴力の連鎖について

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祖母、母、私。ふた周りずつ離れた親子間の、暴力の連鎖を振り返ります。
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梨

梨を口にほおばった子どもが、それを呑み込まずに吐き出せと言われた時の気持ちを想像してみる。

サクッという音と共に、果汁が口の中いっぱいに広がる。

「よく噛みなさい」と言われ何度も噛まないうちに、砕けた梨の実は舌の動きに伴って喉の方へ移動していく。

そこへ母親が口元に手のひらを添えて「出せ」という。「消化が悪いからおなかを壊す。呑み込んではならない」と。

おなかの空いた子どもにとって、それは

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優しい軍人

優しい軍人

祖父のことはよく知らない。
陸軍の軍人で、祖母と出会う前に妻がいたが、その妻は病弱で里に返されたと聞いている。それが、私の母が生まれる前だったのか、後だったのか。祖母も母も他界した今となっては詳しく知る手だては、もはや無い。

ほんのひと時、親子三人、東京で何不自由なく暮らした時期もあった。
優しい人だったらしい。
妻が娘に手を上げると、泣かんばかりになって庇ったという。祖母がその様子を思い出し

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鬼子

鬼子

母の母、つまり私の祖母は、女6人、男1人のきょうだいの上から2人目、次女として生まれた。

祖母の妹にあたる大叔母がまだ元気だった頃、小声で私に教えてくれた話では、祖母は子どもの頃から激しい気性の持ち主だったらしい。

時は大正末期から昭和の始め。煮炊きはかまどで、洗濯は井戸端でという暮らしだった。子ども達は皆、当然のようにせっせと手伝いをしたものだった。

その中にあって少女だった祖母は、幼い妹

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見捨てられる恐怖

見捨てられる恐怖

3年前、76歳で亡くなった母は、最期まで「母親」になれない人だった。

晩年、私たち姉妹と母とで温泉を訪れた事があった。しばらくお湯に浸かったあと、長湯が苦手な母は一足先に上がった。ところが私と妹が上がってみると、母がどこを探しても見当たらないのだ。
しばらくして、目に涙を溜めて怒りに震えながら現れた母は
「どこにいたのよ!私を置いて帰ったのかと思ったじゃないの!」
と怒鳴りあげた。
そんなことが

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懐かしい狂気

懐かしい狂気

地方都市の役場で、生活保護受給者と間近に接する仕事をしていた時期がある。(ケースワーカーではない)
保護課のカウンターには、実に多彩な人々が入れ替わり立ち替わり訪れる。
そのほとんどが失望している。沈んだ顔、怒った顔、不安な顔。
「がんばれ」という言葉を、おいそれとは掛けられない。このカウンターの前にたどり着くまで、どれほどの苦渋があったことか。

関係者なら誰でも知っている有名人もいる。
何年分

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