ありがとう、東京国際映画祭2024
6日に閉幕した第37回東京国際映画祭、会期が家族の用事と重なったので、わたしが観られたのは4本。そのどれもティーチインがつかない上映だったので、映画祭体験としては寂しいものになってしまった。ただし、映画鑑賞体験としては極上だった。個人的な年間ベストに入れたい作品が2本も見つかってほくほく。
それと客席が心地よかった。エンドロールでスマホを光らせる人が(少なくともわたしの周りには)皆無。いつも、それやるぐらいなら出て行ってくれたらいいのになと思っていて、今回その棲み分けができていた。エンドロールが終わって劇場が明るくなるときには、関係者の登壇がない回なのに、どの回も拍手が沸き起こった。ティーチインがなくても映画祭は映画祭。
会場では、学生ボランティアの皆さんの対応もすてきだった。電子チケットをもぎるシステムの動作が、人間が心地よく感じるテンポより一拍二拍遅いのだけど、「少し認証にお時間を要しております」など、言葉で適宜フォローしていて、すばらしいと思った。
そして、TIFFJP2024について、ひとつ絶対に書き残したいことがある。
今年は、チケットが、買いやすかったー!!!
東京国際映画祭といえばチケットが買いづらい、チケットが買いづらいといえば東京国際映画祭。これまでは、オンラインのチケット販売システムが非常に脆弱で、販売開始から1時間ほどクリックを繰り返してやっと買える(あるいは完売して買えないことが分かる)ようになっていた。それが今回は、10分で2作品分のチケットが買えるペース。チケットはいつも土曜日に販売するので、貴重な週末がつぶれずに済んでうれしかった。
以下、観た作品の感想を書く。
ホアン・シー監督『娘の娘』
1本目は『台北暮色』のホアン・シー監督作品。主演はシルヴィア・チャン。主人公のジンには16歳で産んで里子に出した娘がいて、それとは別に自ら産み育てた娘がいて、その子は同性愛者で人工授精に挑んでいたさなかに事故で死んでしまう。残された受精卵をどうするかの選択を、主人公は迫られる。一方、かつて主人公に対して絶大な影響力を持っていた主人公の母親は認知症を患い始める。
一つの家族の中で、祖母と母、母と娘、母と養子に出した娘という三組の親子関係が描かれていた。“毒親”とまで断じることはできないけど、娘への干渉が強かったり、かと思えばいきなり放り出すような態度に出たり、はじめから関心を持てないままだったり、不全な母親の心にスポットライトが当たる。観客たるわたしが見て「不全」と感じることによって、無意識に母親という母親に完全を求めがちだった自分のアンコンシャス・バイアスに気づかされる。こういう観客に対して“そっと厳しい”映画に、自分の心が最近、反発しなくなったかもしれない。
エマ(カリーナ・ラム)が、自分を里子に出したときの母・ジンの気持ちを聞き出して泣きながら煙草を吸うシーンがよかった。エマは別のシーンで、ジンといるとき、「NOT SELFISH」と書かれたTシャツを着ている。大人になろうと、母になろうと、誰もが“愛されたい、愛されたい”と願って人生をふらついている。
最後、ジンが乗っていた車を降りてなんだかんだしているロングショット、あれだけ引いた画なのに、おしゃれフェイドアウトというよりはしっかり内容があっていい。ジンの母親は娘が16歳のときに言ったのと同じことを、ざっと半世紀経って認知症のために繰り返すけど、ジンの反応は鮮やかに軽やかに違っているのだった。
ペドロ・アルモドバル監督『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』
2本目はスペインの巨匠ペドロ・アルモドバルの初の英語作。原作はシグリッド・ヌニェスの小説。マーサ(ティルダ・スウィントン)ががんに冒されたことを知ってイングリッド(ジュリアン・ムーア)が何十年ぶりかで入院先まで会いに行き、旧交を温める。マーサの頼みで、二人は森に囲まれた一軒家を借りてしばらく住まうことになる。
驚くべき展開は何もないけれど、驚くほど心動かされる映画。画づくりもストーリーテリングも洗練されていて、確たる美学に基づいて撮られた映画だと感じる。豊かな森を望むウッドデッキに置かれた大きくてシンプルなバルコニーチェアが二脚ある、あの色の取り合わせが忘れられない。
誰だって、苦痛はなるべく少なく、最後までその人らしく、穏やかに世を去りたい。それは当たり前の願いだけど、とても難しいことで、願いがかなわない人もたくさんいる。その厳しさを改めて思うし、だから寄り添う人の友情にぐっとくる。マーサとイングリッドは若い頃に雑誌社で同僚だったけど、マーサの元彼とイングリッドが付き合ったりしたのもあって、ずっと大親友というわけではなかった。お互い、もっと親しい人が別にいる。それでも、年月が経って魂が共鳴するようなことがあるのもまた人間だし、救いのようにも感じる。
マーサのように経済的に豊かで、聡明でセンスがよくて、ホスピス以上の環境を自分で整えることができても、なお苦しく悲しいんだから、死っていうのはとんでもないなと、子どもみたいに思ったりもした。それが待ち受ける生をわたしたちが今生きているなら、なんかもう、死に至ること以外でくよくよするのごめんだよなと思ってしまう。気を回したり責任を感じたり、本当は自分ひとりで解決しなければいけないことではないのに考えこんだり、そうやって自分から“苦しみにいく”のをやめたくなったし、これからちょっとやめられそうな気がする。
本作のジュリアン・ムーア、わたしがときどき一緒に遊ぶフリーランスの編集さんによく似ていて、だからなのか、イングリッドが無尽蔵に優しいのを不自然に感じなかったけど、ほかの人にどう見えていたかはちょっと気になる。映画の都合に見えたりするんだろうか。
マーサは雑誌社勤務の後、戦場ジャーナリストになって、イングリッドは作家になったので、古いのから新しいのまで、カルチャーの引用が多いのも楽しかった。例えば、ジェイムズ・ジョイスの短編集『ダブリン市民』の一篇「死者たち」、それを映画化したジョン・ヒューストン監督の『ザ・デッド』(1987年)。エリザベス・テイラーとリチャード・バートンの関係を描いた伝記本『Erotic Vagrancy』(著者はロジャー・ルイス、2023年10月刊行)。エドワード・ホッパーの版画『A Woman in the Sun』(1961年)。
来年1月末に日本でも劇場公開されるので、もう一度観ると思う。
ジェシー・アイゼンバーグ監督『リアル・ペイン~心の旅~』
3本目はジェシー・アイゼンバーグが脚本・監督・出演したロードムービー。祖母を亡くしたいとこ同士の男性二人が、祖母が生前暮らした家を訪ねるために、ポーランドのユダヤ文化とホロコーストの歴史を巡るツアーに参加する。人なつこくて感受性が豊かでルールやマナーを守らない無職で独身のベンジー(キーラン・カルキン)と、良識があって優しく礼儀正しく、ネット広告の会社に勤める妻子持ちのデイビッド(アイゼンバーグ)が、ツアーガイドやほかの客と交流しながら旅をする。
キーランはマコーレーの2つ違いの弟。8歳からずっと俳優をしている。映像作品を休んだ時期もあるけど、そのときは舞台に立っていて、演技はやめていない。
とてもラブリーな映画だった。スケジュールのやりくりが難しくて観るのを一度迷ったけど、観て本当によかった。『最強のふたり』とか『スリー・ビルボード』とか、面白いシーンがたくさんあって、かつ一つのきれいなストーリーラインを持った映画って、CSなんかで放送されていると何度目でもつい観てしまう。これもきっとそうなる。
ベンジーとデイブの、漫画みたいに好対照な二人に魅せられる。変てこなオレンジ色のハーフパンツの男がやたらチャーミングに見えてくる。ベンジーは自由奔放で悩みなどなさそうに見えてやっぱりそうではなく、デイブはベンジーのことが好きで嫌いでうらやましくて心配。ホロコーストツアーと重ねながら、二人それぞれの生きづらさが描かれる脚本が巧みだった。
ベンジーが自分でホテルに送っておいた(!)ハッパを吸いに、デイブと二人で屋上に出るシーン、少年のように青春をきわめていて、ずるいほど綺麗。ホテルのツインベッドルームで、オレンジのパッケージのプリングルス的なスナック菓子をそれぞれのベッドの上でパリパリ食べるシーンも、どうということもない場面だけど好きだった。二人が二人でいることで子どもに帰ったみたいな感じがさりげなく出ていて(もっとも、ベンジーは大人になど、そもそもならない)。
ポーランドが舞台ということで、劇伴がショパンのピアノ曲の数々で、それもよかった。これも『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』と同じ2025年1月31日公開。きっとまた観る。
アントネラ・スダサッシ・フルニス監督『灼熱の体の記憶』
最後は、コスタリカの38歳の女性監督がプロデュース、脚本も務めた長編2作目。60代、70代の女性3人が語る、若い頃の生理、性教育、性行為、夫婦関係、家庭生活。彼女たちの若い頃は女性が性に関心を持ったり積極的になったりすることがタブー扱いされていて、抑圧的な教育を受けていた。それでいて結婚すれば夫の求めにいつでも応じなければならない。若い頃の再現シーン、インタビューのシーン、そして自立した現在の生活シーンを行き来する。
見て愉快な“記憶”ではない。特に、DV夫に殴られて病院にかつぎこまれてベッドに横たわる娘に実の母親が「(DV夫が)泣いていたよ。許してあげられない?」などと言い出すシーンは、観ているこっちが、目から血の涙が出そうだった。誰が誰に何を諭しているのか。1メートルでも離れたところから自分を見たら、この母親も自分の醜悪さに驚いて心臓が止まるんじゃないかと思った。教育も環境も、時に魔物、怪物。
今では、彼女たちは“わたしの身体はわたしのもの”を成立させていて、セックスも含め、恋人とのデートを楽しんでいる人もいる。「今が一番。悪魔に『好きな年代に戻してやる』と言われても断る」と誇らしげ。恋人に「絶対に結婚はしない」と言い渡し、緊張感を活用してときめきを維持している逞しい姿に敬服する。最近のセックスについて「貯金箱にマシュマロ」と言って大笑いするところは、映画序盤だったのもあって、ちょっとギョッとした。
◇
今度の映画祭で訪れた劇場は、ヒューマントラストシネマ有楽町、TOHOシネマズ シャンテ、シネスイッチ銀座。TOHOでCokemixのストロベリー&マンゴーをアイスティーに入れてもらって飲むのがめちゃくちゃ美味しいという発見があった。