私は今、誰かの曲が心に響く。 私は今、ドキュメンタリー番組に感情が揺れる。 私は今、勉強したい、成長したいと思う。 私は今、生きる意味なんてものは考えていない。 「将来の選択肢が広がるから」 親の言葉通り勉強して、姉や周りと同じように高校・大学と進学した。 「あなたしっかりしてる(=めんどくさい)からリーダーやって」 真面目に務めて。親、教師、生徒から嫌われて。 「(いつも一緒に居る友達が休みだから)一緒にご飯食べよ!一緒に授業受けよ!一緒に帰ろ!」 嫌われないように周
というか、私の今の決意、に近い。 「 生きろ 」 なんて、これ程無責任な言葉はないよなあ。 私は、生きることが必ずしも正しいとは思わない。 何故、死んではいけないのか という問いに対して、大体はこう返って来る。 「死んだら周りが悲しむ」 「生きていたらいい事がある」 そんなこと知ったこっちゃない。 それで生きられたらとっくにそう生きてる。 そう思う人も少なくないのではないだろうか。 少なくとも当時の私には、誰の、どんな言葉も、一ミリたりとも響かなかった。 寧ろ、それ
他者からのアドバイスが、 自分の中で上手く消化出来ないことがある。 「あなたに何が分かる?」 「そんなこと言われなくても分かってる」 なんて、心の中で突き返したりもする。 また、それに応えられない自分に嫌気が差すことも。 でも、今になって思うこと。それは、 そうやって感情が揺れ動くということは、 少なからず何かしら意味はあるということ。 また、直ぐに消化しなくても良いということ。 極論、 死にたい時に生きるためのアドバイスをもらっても、何も響かない。寧ろ、分かっても