「自分に優しく」とは?
精神疾患に関する情報の中で、あるいは一般的な情報の中でも「自分に優しく」という言葉をよく見かける。
しかし、曖昧なものや抽象的なものが苦手な自分にとって、その「自分に優しく」するという概念を理解するのは簡単ではない。
今から5〜6年前、カウンセリングを受けていた時期があり、その中で「休む」という宿題を出されたことがある。
「自分に優しく」と同様、自分にとっては、かなり難解な問題だ。
風邪で学校や仕事を休む、疲れたから走るのをやめて休む...などはわかる。
だが、仕事もしていない、特にしなければならない用事もない状態の中で「休む」ってどういうことなんだろう?
ものすごく自分を悩ませる宿題であったことを記憶している。
結果的に自分がどう過ごしたのか?
それは古いスマホの過去の記録を見ないとわからないが、電源が入るかどうかもわからないスマホの、さらに100件はあるであろう膨大な数のカウンセリングの記録の中からそれを見つける気力は、残念ながら今の自分にはなかった。
たしか答えを見つけられないまま、あるいは上手く「休む」ことができないままで、次のカウンセリングを迎えたような気がする。
では「自分に優しく」を、自分にとって大きな問題である食事の面から考えてみよう。
神経性大食症であり、もう入らない...というところまで食べないと気が済まない「過食」という一面と、数字へのこだわりが強く「痩せたい」または「体重を〜kg台でキープしたい」というASD的あるいは強迫性障害的な一面を併せ持つ自分が、「食事の量」という点から「自分に優しく」を見るとどうなのか?
「食べたい」という衝動に駆られ過食する時、そこには「太りたくない」「体重を増やしたくない」という抑制の気持ちも混在している。
「食べたい」という視点で捉えれば、「満足いくまで食べる」というのが「自分に優しく」なのか?
いっぽう、「太りたくない」という視点で捉えると「適度な量に抑える」というのが「自分に優しく」になるのだろうか?
ただ、自分には0/100(白黒)思考という極端な物事の考え方があり、時に「まったく食べない」という選択肢を取ることもあるのだ。
そもそも、自分の意思というものを意識したり、表出したりしてこなかった自分にとっては、このような葛藤が生じた場合はもちろん、日常における選択や行動においても、どれが自分の意思なのか、どれが自分の望むものなのかがわからないことも多い。
そうなると、「満足いくまで食べる」「適度な量に抑える」「まったく食べない」のうち、いったいどれが「自分に優しく」に該当するのだろうか?
しかし、これはまだ選択の余地がある場合である。
単純に「自分に優しくしてね」と言われても、具体的には何をすればいいの?と思ってしまうのだ。
たとえば、(絶対イヤではあるが)監視カメラを設置して自分の生活の様子をすべて見てもらい、それぞれの場面において「自分に優しく」の正解が何をすることなのかを教えてもらいたいくらいである。
正直、人に対する優しさも消極的なもの(嫌がられることをしない)は比較的マシだが、積極的なもの(相手がしてほしいことをしてあげる)は得意とは言えない。
ましてや「自分に優しく」など、やるべきことがわかっていたとしてもできないような気がするが...。
皆さんは「自分に優しく」できていますか?
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