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プライドを捨てる?

さっきまでいい書き出しを思いついていたのに思い出せない。

明日は何故かいつもより1時間半早く起きなければならない。
昨日もいうほど早くは寝られなかったし今日はすごく疲れたのだけど、書くよ!
ちなみに書くことは決まってない。
絞り出してまでアウトプットをすることで何かいいことがある気がしている。心の断捨離だ。頭でっかちで思考は放っといても巡るんだからアウトプットはしすぎなくらいやってもバランスが取れるはず。

昨日の今日でうんこ!だけ書いて終わればそれはそれでおもしろさはあるのかもしれないけど、プライドが許さない
プライドが高いなぁって自覚はあるんだけど、プライドの高さの功罪ってよくわかってない。
気さくに話しかけにくくて友達ができにくい…みたいな?

プライドを捨てろと言ってきた人で覚えてるのは大学の頃によくしてくれていた教授、もう何留もしていて同級生は社会人として頑張っているころ。
僕は専攻の授業を一緒に受ける機会が多い下の世代の人たちと仲良くなる必要があったのだけど、顔を合わせる前に教授に
「お前は生まれたての小鹿だ!もはや一人で生き抜くことは出来ないのだからプライドを捨てて仲間に入れてもらいなさい。」
と言われたのを覚えている。

小学校の先生になろうという人間はたいていは人が良くて、場に行きさえすれば仲良くしてくれるし、励まして応援もしてくれる。
そんな中で学期の後半には行けなくなるのをずっと繰り返してきたのは自分の力不足に他ならないのだけど…。

20代、タイミングが違えばもしかすると生涯の仲になっていたかもしれないなという人が数人いる。みな素敵な人だった。


めちゃくちゃ恥ずかしい話をすると、授業に行けなくなるきっかけはいつも宿題でした。
とにかく宿題が提出できない。課題が完成しない。
とりあえず書き始める。とりあえず手を進めるみたいなのが苦手で見通しが立たないとものが進められない。
そこに自己管理能力の低さが組み合わさって1歩目を踏み出せず課題に取り掛かれない。
満足度0か100か満足度にしかならなくて、課題が出来なかったときは当然出席もできなかった。

そうすると授業についていけなくなって、課題の有無に関わらず授業にいけないわけで…
本当に愚かだと思う。でもそのときの僕は解決法がわからなかった。

いつか、保健管理センターの人にオススメされた心療内科に行ったときにカウンセラーに「課題が出せないんです。」と振り絞って伝えたことがある。
でも、カウンセラーに「それは大学で解決することなので、私が何かすることではない。」と突っぱねられてしまった。

『話を聴いて応える』という方面に関しては本当に無能なカウンセラーだったなと思うし、運が悪かったなと思う。
伝える力がなさすぎるだろと思うかもしれないけれど、藁にもすがる気持ちで行った大学オススメの心療内科にはそれくらい期待させてくれよ。
大学に行けないから頼ってるのに大学行くことが解決ってプロの言うことなのかよ?
当時は気持ちも体も立ち尽くしてしまって死ぬことが少し、リアルだった。

でも、多分本当に必要だったのは、
『課題を終わらせる能力』ではなくて『課題が出来てなくてもとりあえず授業に出る能力』すなわちプライドを捨てることだったのかなぁと思います。

それで、そこにいる人と一緒に解決に向けて動ければきっとよかった。


とりあえず書き始めたら今日もnoteを書けはしたね。
今でも見通しのつかないものをはじめたり、満足いかないものを人に見られるのが苦手は苦手なんだけど、よくなってきてると思う。
それと、今日は投稿を押すのがやっぱり恥ずかしくて億劫で、このプライド君とはずっと付き合っていくんだろうなぁと思います。

あるものを捨てようってないがしろにするのは自己否定だ。
つまり…どうすればよかったんだろうね?


今日も読んでくれてありがとうございます。
いつか、うんことだけ書いた記事あったら笑って許してください。

また明日。

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