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自分を知るためのツール

こんにちは!四月一日庭の車田です

今回は、私が算命学をどういうツールとして使っているか、そして私を通して算命学を知る皆様にどんなふうに活用していただきたいかということをお話しさせていただきたいと思います。


きっかけは漢方相談

私にとって算命学は、当てにいくものではありません。
算命学を使っている方々はたくさんいて、皆さん算命学の持ついろんな側面をいろんな形で活かしていらっしゃると思います。

私が算命学を使いたいと思った理由の一つに、そもそもずっとやってきた漢方相談があります。
漢方相談をしていく中で、その方の体質を見極め薬を出し、改善した部分とそうでない部分とを定期的にお話を伺いながらみていって、季節や生活環境によってどこに変動が起きやすいかなどもわかっていきます。
それは、私だけでなくお客様にもわかっていただき、自分で早めに手当てできるようになってもらうことが、私のやり方です。

人間は常にバランスボールの上に立っているようなもので、つまり季節や食事、生活環境によっていつでも傾く可能性があるものです。
健康でい続けるということは、日々の体調管理をこまめにやり続けるということ。
でも、そんなことわかっていてもできない人たちがたくさんいます。

せっかく整ったかなと思っても、やはり一定の条件によって定期的に崩してしまうという方も多いですし、自分ではどうしようもない出来事に見舞われてしまって、精神的な面から崩れるということも本当に多いです。

そして、私は心と体、精神と肉体というものの強固なつながりを感じずにはおられませんでしたし、さらに分解すると、精神のところにある思考と感情の強烈さにも度々落胆させられてきました。

この思考と感情の話は別のマガジンにまとめてあるので、そちらをご覧いただきたいのですが、そこでなぜ算命学を使うことにしたのかというお話です。

人はこの世界の約束事の範囲で生かされている

私は、中医学を学んできた人間なので、自然界と人間の体のありようの一致は十分理解してきたつもりです。ですが、人々が精神をやられる時というのは、先ほども書きましたが「自分ではどうしようもできない出来事に見舞われる」ときです。
正確には、「どうしようもできないと思い込んでいるとき」です。
しかし、自然界を見れば、「人間にはどうしようもできないことしか起こりません。」
科学の発展によって、雨を降らせようと思ったら一部の地域に降らせることはできるでしょう。地震もあえて起こしているなどという話があるくらい理論的には可能ではあると思います。
でも、それと自然界で起こる現象の規模とは比較になりません。
そして、自然の前では人間はそもそも圧倒的に無力です。
だから自然を神として崇める文化が世界各国にあるのだと思います。

私は、人の人生においても同じではないかと思うのです。
算命学では、人間もこの世界の調和を成り立たせる存在の一つです。
人間はそもそもどこか欠けて生まれてくるものとされています。
そうでなければ完璧な男女が一組いれば世界は事足りるはずだからです。
これだけたくさんの人間が存在しているということは、いろんな形の凸凹があるということですし、そもそもただ存在しているだけでこの世界の調和を図る重要な任務を果たしているといえます。

そして、この世界の調和を図る存在の一つということは、この世界の約束事の範囲内で生きているということになります。
人間より先に存在していて、限りある命と肉体を持って生きるというこの世界の環境を作り、圧倒的な力で物理的世界の調和を図り続けているのが自然です。
そこには一定の法則のもとに気流があり、世界の構成はそれを生み出す5大元素(木・火・土・金・水)というエネルギー的要素に還元されていきます。

人の気質

この世界の約束事を、人の気質性質に落とし込んだものが算命学です。それによって何がわかるかというと、自分の気質と万人共通のこの世界の気の流れによって個人個人に起こる現象を天気予報のように予測することができるようになってきます。
ただし、大前提として、そもそも自分の気質を知らなければ意味がありません。そして、その気質を活かす環境を自分に用意してあげることが大切だということに気がつくはずです。

自分は雨が苦手なのに、雨が降りやすい地域に住み続ける意味があるでしょうか?(時には必要ですが)
そもそも、自分は雨が苦手だということにすら気がつけていない方もいらっしゃいます。そうなると、同じ環境にいて雨が平気な人と比較して、自分がダメなのだと思い始めます。
こういうパターンは本当に多いのです。

”当てもの” ではなく ”自分を知る”ために

算命学を天気予報のように活用するのが占い的な当てにいくものとしての使い方だと思います。
それはそれで必要なのですが、私が特に重要だと思うのは、やはり自分自身の気質性質を知ることだと思うのです。
そして、それが腹落ちすれば、毎日天気予報を見なくても、ポイントを押さえて見れば十分生きていけるはずです。
それに、自分の手に負えないと思い込んでいる現象に対しても、一旦受け止めることができるようになります。
「これでいいのだ」の精神です。

雨が降ったからって、誰に怒ることができるでしょうか?
風が強いからって怒れば怒れるだけ自分のエネルギーを消耗するだけです。
嵐のようなものを、受け入れることができた人は強いです。
でもそれは自分自身を知っているから。信じることができているからこそ、できることです。

私は、算命学をそんな自分で自分を支えることができるツールとして使いたかったのです。
そして、できればこの話を読んでくださったみなさんにも、そんなふうに活用していただけたら、本当に嬉しく思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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四月一日庭 - Tsubomi Tei -
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