厨二病なセリフを吐くことは簡単だけど、厨二病であり続けることは難しい
昔から、と言ってもおそらく一年ほど前からですが、『シュタインズゲート』というアニメにハマっています。
なんというか、わたしはこのアニメを、タイムリープアニメの金字塔だと思っていまして……一度見た人なら、納得はまだしも、理解くらいはしてくれるんじゃないかな、と勝手ながら思ってます。
なので、今回はそのシュタインズゲートについて書いていきたいのです。
でも、ネタバレは申し訳ないので、できるだけ、この物語の主人公に焦点を絞って、話を展開していきたいと思います。
それでも、ネタバレが嫌な方はブラウザバックしてくださると、助かります。
そして、シュタインズゲートを見てもらえると、もっと助かります(^o^)
それでは、あらすじの解説に入ります。
この物語は、総勢三人で構成された発明サークル「未来ガジェット研究所」が、ひょんなことからメールを過去に送るタイムマシン、「Dメール」を開発してしまったことから始まります。
そのラボのリーダーであり、物語の主人公、岡部倫太郎は、そのDメールの魅力に取り憑かれ、過去を改変しようと、さまざまな実験を繰り返します。
そして、途中でラボに加入したわずか十七歳の天才科学者、牧瀬紅莉栖の知恵を借りて、記憶を過去の自分に転送するタイムリープマシンすら開発してしまいます。
しかし、それが悲劇の始まりでした。
岡部倫太郎は過去を改変し過ぎたせいで、現在が自分の知る世界とは、まったく違うものへと変化してしまったことに、気づいてしまいました。
そして、その世界を変えた弊害により、さまざまな苦難が岡部たちの元へと降り掛かります。
岡部倫太郎はその苦難を乗り切り、元の世界に戻すために、タイムリープマシンで何度も時間をやり直す、というのが簡単なあらすじ紹介です。
シュタインズゲートは、リープものを活かした怒涛の伏線回収が魅力的ですが、何より面白くさせたのは、この岡部倫太郎という主人公の存在だと、わたしは思うのです。
岡部倫太郎とは、どういう人間ですか?
一言で言うと、厨二病です。
岡部倫太郎とは世を忍ぶ仮の名であり、本当の名は、狂気のマッドサイエンティスト・鳳凰院狂真!
とある機関から狙われており、自分の電話にしか繋がらないエージェントと日々、連絡を取り合っている。
という設定です。
もう一度、言います。
設定です。
だから、表面上の言動はほんとうに痛々しく、わたしも初めは見ることを拒みたくなるほど、共感性羞恥におそわれました。
でも、最後までアニメを見通すと、「あれ? なんだかこの人カッコいいぞ」なんて思ってしまいます。
なぜでしょう?
わたしは、彼が、岡部倫太郎という男が、最後まで「鳳凰院狂真」の役を演じ続けたからだと思いました。
わたしたちは、口ではなんとも言えます。
「本当のわたしはすごい」
「こんなのやってみたら簡単だ」
「わたしはもっとできる」
と、実際言うだけなら簡単です、
でも、いざ実践に出てみれば、そういった言葉はなぜか引っ込んでしまいます。
テストの平均点が50点以下なのに、「俺90点取れるぜ」とはなかなか言えないものです。
現在のわたしは50点以上は取れないのに、「俺90点取れるぜ」と言った時、起こる精神状態を認知的不協和と言います。
以下、苫米地博士の書籍より引用します。
(引用開始)
現状より高いエフィカシーを維持すると、「認知不協和」と呼ぶ心理的不安定状態が生まれます。その場合、心理的不安定を解消するために、現状に戻るか、目標の世界に移動するかのどちらかのゲシュタルトを無意識は選ぼうとします。
そして、どちらを選ぶかというと、より強くイメージできているほうを選ぶわけです。だからアファメーションが重要なのです。
(残り97%の脳の使い方)
(引用終了)
つまり、自らの理想(ゴール)と現実が激突しているイメージです。
そして、たいていの場合、理想が負けてしまいます。
現実の方がイメージが強い場合が多いからです。
岡部倫太郎もまた、この理想(厨二病)と現実との衝突による認知的不協和に苦しみます。
岡部倫太郎は、決して狂気のマッドサイエンティストではありません。普通の大学生です。
ほぼ独力でタイムマシンを開発した天才少女、牧瀬紅莉栖のような知能も、
アメリカの科学機関に気づかれず情報を盗み出せる天才ハッカー、ダルのような技術もありません。
岡部倫太郎にあるものは、本当に僅かなものだけです。
だから、どうしようもなく、現実に打ちのめされます。
何度も何度も叩き伏せられ、何度も何度も絶望し、何度も何度も、あきらめという名の悪魔に囁かれます。
全てを投げ出そうともしました。
それでも、岡部倫太郎は、「鳳凰院狂真」という役を捨てません。常に強く、あきらめ悪くあり続けます。
彼の奮闘を見ると、わたしの先生に紹介された小説の、ある一節を思い出します。
(引用開始)
「条件はみんな同じなんだ。故障した飛行機に乗り合わせたみたいにさ。もちろん運の強いのもいりゃ運の悪いものもいる。タフなのもいりゃ弱いのもいる、金持ちもいりゃ貧乏人もいる。だけどね、人並み外れた強さを持ったやつなんて誰もいないんだ。みんな同じさ。何かを持ってるやつはいつか失くすんじゃないかとビクついてるし、何も持ってないやつは永遠に何ももてないんじゃないんじゃないかと心配してる。みんな同じさ。だから早くそれに気づいた人間がほんの少しでも強くなろうって努力するべきなんだ。振りをするだけでもいい。そうだろ? 強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ。」(風の歌を聴け)
(引用終了)
彼は、決して強い人間ではありません。
でも、強い人間を演じ続けました。
まさに、強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ、です。
そして、高らかにこう名乗ります。
「混沌を望み、世界の支配構造を破壊する者。
そして、お前の野望を打ち砕く者!
聞きたいか?
我が名は……、鳳凰院凶真!!」
そうして、彼はほんとうに、未来で世界の支配構造を破壊してしまいます。
なぜ、こんなことができたのでしょう。
アニメだから、といえばそれまでですが、わたしは「認知的不協和」をキーワードに考えていきたいのです。
実は、認知的不協和が生まれたとき、わたしたちは「したくない」と思考してしまうと、一気にそこから逃れる道を探そうとしてしまいます。
この心理の働きについて、もう一度、苫米地博士の書籍より引用します。
(引用開始)
じつは、何かを「したい= want to」という思考ほど重要なものはありません。なぜなら、「したい」という意識は、強烈な創造力を生み出すからです。いっぽう、「しなければならない= have to」という意識は、人間にそれをするように仕向けるのではなく、逆に逃避や回避の行動をとらせます。
ここで、人間が現状を維持しようとして起こす創造的回避のことを説明しておきましょう。 人間は、「しなければならない」と考えると、それをしなくていい理由を潜在意識がいくらでも創り出してしまいます。
(「言葉」があなたの人生を決める)
(引用終了)
と、このようにわたしたちは嫌なことから逃げ出すために、クリエイティブに理由を作り出してしまいます。
しかし、逆に、「したい」と思うことで、わたしたちはそのクリエイティブな能力をゴール達成のために、利用することができるのです。
岡部倫太郎もまた、そのようにしました。
つまり、どんなに辛く、苦しい選択であろうとも、岡部倫太郎は「これが俺の選択だ!」と言い張り続けたのです。
そうすることで、認知的不協和によって生まれたエネルギーは、理想の未来にたどり着くために使用されました。
そうして、岡部倫太郎は視聴者の誰もが思いも寄らない、ハッピーエンドにいたるための理論を創り出したのです。(ぜひ必見です!)
わたしたちは、この岡部倫太郎という厨二病の姿勢を見習いたいのです。
だから、あなたに言わせてもらいます。
現在の能力は、大して意味はありません。
大切なのは、どのようなゴールを抱くか。
そして、そのゴールにふさわしい自分を、どのように演じるのか、それだけです。
以下より、この考えの元になった方、「まといのば」のブログ記事を引用します。
(引用開始)
Assume a virtue, if you have it not.
直訳すれば、「美徳を装いなさい、もし持っていなくても」とでもなるのでしょう。assume自体の語源はラテン語の「装う」です。
クルスは、自分が世界で最もセクシーな女性だとは思えない、と言います。
She doesn’t feel like the sexiest woman alive, she says—she feels like a mother who doesn’t get enough sleep; Bardem is filming in South Africa, and she is anxious to return to her children—but given the role, she will play it. “Assume a virtue, if you have it not,” Cruz says, quoting Hamlet. It is one of her favorite lines.
(私は自分を最もセクシーな女性だと思っていません。寝不足気味な母です。旦那は南アフリカに撮影に行っており、私は子供のもとに戻りたいと強く願っています。しかし、与えられた役があるなら、それを演じるだけです。お気に入りのハムレットのセリフをつぶやきながら
「持っていないならば、せめてあるふりを」)
盛況に終わった気功整体師養成スクールにおいても、大きなテーマはこの “Assume a virtue, if you have it not,”でした。
Virtueかどうかは別として、 “Assume a something, if you have it not,”です。
持っているかどうかは別として、持っているふりをすることです。
(中略)
一足飛びに結論に飛びつけば、我々もクルスの真似をして、“Assume a virtue, if you have it not,”と独り言(ご)ちましょう。
ダンサーとしても、ヒーラーとしても、教師としても、コーチとしても同様です。
自信がない、経験がない、IQがない、、、、、と言わずに、「せめてもっているふりを」(^^)
https://ameblo.jp/matoinoba/entry-11948483351.html
(引用終了)
わたしたちも、岡部倫太郎のように、理想の自分を演じましょう(^^)