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銀河フェニックス物語 【恋愛編】  ジョーカーは切られた(まとめ読み版②)

レイターは「グレゴリーファミリーに入っていたことはない」とティリーに伝えた。
銀河フェニックス物語 総目次 
<恋愛編>「ジョーカーは切られた」まとめ読み版①

「お願い。その話、詳しく聞かせて」

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 ティリーさんが頼んだ。僕も興味がある。

 レイターは仕方ないという顔をして、淡々と話し始めた。
「俺とジムはガキん頃、ダグんの近所に住んでたんだ。ジムの兄貴がファミリーの構成員だったから、ちょくちょく出入りしててさ、俺のおふくろが死んだあとは飯を食わせてもらったりしてたんだ」
「ダグんちの料理はうまくて、おいらたち餌付けされたんッスよね」
「ジム、その言い方やめろ」
 不機嫌そうなレイターとは対照的に、ジムは歯を出して、にかっと笑った。

「レイターはすごいんスよ。何やらせても天才で、確かにレイターはファミリーの構成員じゃなかったッスけど、ダグから銃の撃ち方も教えてもらったし、パリスの親父を出し抜いて盗みとかいっぱいやったスよね」
 それでパリス警部は彼のことをよく思っていないのか。 

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「ジム、あんた、マーシーが刑事デカってわかってるか?」
「もう時効ッスよ」

 ティリーさんが不安げな表情を深める。
 ジムは随分とおしゃべりだった。心酔しているレイターのことを話したくて仕方がないようだ。

「ダグにはジェフっていう、おいらたちとタメの一人息子がいたんスけど、昔、学校へあがる前に殺されたんッスよ。だから、ダグは家族がいないレイターを養子にしようとしたんッス。そしたら、もったいないことに、こいつ逃げちゃって」
「あの家にいたら『銀河一の操縦士』になれねぇだろが」

 ダグ・グレゴリーは本気でレイターを跡取りとして育てるつもりだったのだ。

「で、ダグは逃げたレイターを捕まえろって、十二歳のレイターに十億リルの懸賞金を懸けたんッスよ」

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「十億リル?」
 ティリーさんが目を丸くしている。

「すごいッスよね。ダグがレイターを殺せって『緋の回状』を回した時はいくらレイターでも、もうダメだと思ったッスよ」
 ティリーさんが眉をひそめてジムに聞く。
「『緋の回状』って何ですか?」

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「ダグが銀河中のマフィアに出すお触れのことッス。レイター殺せば十億もらえる、ってんで、街中が戦争状態になって。おいらはレイターが死んだ日のことを昨日のことのように覚えてるッスよ」
「レイターが死んだ日?」
「レイターが隠れてた宇宙港の倉庫で爆発事故が起きたんッス。レイターが死んだと思って、みんな泣いたんスよ」
「喜んでだろ」
 とレイターは笑った。

 パリス警部から聞いた話とほとんど同じ内容だった。レイターの死によって、第三次裏社会抗争が終結。街の人々が歓喜したという話。

「おいらだけは本気で悲しんだんッスよ。あのダグですらレイターのこと死んだと思ってたんス。けど、レイターは生きてた。不死鳥のレイターっスよ。それだけじゃなく、十六で帰ってきた時、スペンサーをこてんぱんにやっつけたじゃないッスか。ダグはその時、大喜びしたんスよ」

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「何でダグが知ってんだよ。全員に口止めしたじゃねぇか」
「おいらが言ったんス」
「マジかよ、絞めるぞ」

 これが、パリス警部が話していた手打ちの話か。

「レイター、絞めるとか言わないで!」
 ティリーさんがむっとしている。彼女は至極真っ当な感性の持ち主だ。きちんと育てられている様子が目に浮かぶ。

 レイターが深いため息をついて頭を抱えた。

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 他人の恋愛にとやかく言うつもりはないが、どうしてこの二人が付き合っているのか不思議だ。

 部屋の外で捜査本部と連絡を取っていたパリス警部が慌てた様子で戻ってきた。
「レイター、医師からの伝言だ。安静にしていないと失明の恐れがあるそうだ」
「え? えええっ?!」
 大きな声をあげたのはティリーさんだった。 

 レイターがのんびりと伸びをしながら言った。
「な、これで俺が犯人じゃねぇってわかっただろ。俺が犯人だったらこんなドジは踏まねぇよ。ガス吸う前に退散するさ」

 まるで他人ごとのようだ。それよりも僕のほうが動揺していた。安静といってもすでに彼は結構な運動量をこなしている。

 PPPPPPPP……

 パリス警部の携帯通信機が鳴った。
「何だと!!」
 緊迫した様子に全員の視線が警部に集まる。
「わかった。応援を頼む」
 通信機を切った警部は部屋を見回しながら言った。

「ダグが……ダグ・グレゴリーが今しがたレイターの首に懸賞金を懸けて『緋の回状』を回した」

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「えっ!」
 僕とティリーさんは声をあわせて驚いた。

「懸賞金の額は、百億リル」
「まじッスか」
 ジムが唾を飲み込む音が聞こえた。

「いい歳して、ダグも鬼ごっこが好きだよなぁ。俺が自分で行ったらその金くれるのか、聞いといてくれよ」
 レイターだけが、事の重大さを把握していないような反応だった。

「で、パリス、鬼ごっこにゃ期限があるはずだ」
「緋の回状の有効期間は三日だ」

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「ふうん。随分短けぇな。さすがにダグも百億リルは払いたくねぇらしい」
「そうッスね、十二年前は三ヶ月だったもんね」
 ジムが相槌をうった。

「ダグは一体どういうつもりなんだ」
 パリス警部がいらだっている。
「久しぶりに顔見たら、俺と遊びたくなったんだろ」
 レイターは平然とした顔で答えた。

「とりあえず、空港の東エリアは閉鎖した。ここでしばらくマフィア側の出方を待つ。本部には警備の応援を頼んだ」
「ふぅ~ん。警察が僕ちゃんを守ってくれるんだ。お手並み拝見しちゃおうっかな」
「お前は事件の重要参考人だからな。死なせるわけにはいかん」

* *

『厄病神』が発動するのはよくあることだ、それでも、ティリーはいつも以上に心配になった。
 とにかくレイターを安静にさせなくては。失明する恐れがあるのだ。この人はすぐに無理をする。
「きのうから寝てないんでしょ。少し部屋で休んだ方がいいわ」

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 わたしはレイターの手を取った。レイターは素直についてきた。

 リビングの横にある散らかり放題のレイターの部屋に入る。目の見えるわたしでも物をよけて歩くのが大変なのに、レイターは苦も無くベッドの前へたどり着いた。

「あとは、警察に任せてあなたは休んでいて」
 と自分で言いながら説得力のない言葉だと思った。レイターは銀河警察を信じていない。

 突然、レイターはわたしを強い力で引き寄せ、そして、いきなりキスをした。

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 強引な展開に驚いた。レイターの手がわたしの顔をまさぐる。驚いたことに指先から不安が伝わってきた。
 
 いつものレイターと違う。
 目が見えなくても全然平気だという顔をしていた。けれど、本当は暗闇の孤独といらだちが彼を覆っていたことをわたしは悟った。
 
 レイターは自分の目で確認できないわたしの存在を、肌に触れることで確かめているようだった。レイターの視覚以外の全ての感覚にとりこまれそうだ。

「あいつの顔が、見えなくてよかった」
 ぽつりとレイターがつぶやいた。
 あいつ? 目が見えないことより、それよりもっと深いところで、彼は何かに怯えている。

 わたしはレイターの顔を見上げた。
「怖いの?」

「怖い?……そうだな、あんたを巻き込みたくねぇ」
「あなた、自分で銀河中のマフィアと戦おうって考えてるんじゃないでしょうね。馬鹿なこと考えないでね。目が見えないのよ。安静にしていないと、失明しちゃうかも知れないのよ。そうだ、アーサーさんに警護を頼めば」

n31アーサー正面軍服

「この件で、アーサーは動かねぇ」
 わたしの言葉をレイターはさえぎった。マフィア対策が連邦軍の管轄外だというのはわかるけれど。
「じゃあ、どうするの?」
 わたしの声が震えていた。銀河中のマフィアがレイターの命を狙ってやってくる。警察は心もとない。彼は暗闇の中へ自ら飛び込もうとしている。

「鬼ごっこに勝てばいいのさ。目は見えなくてもキスはできる。けど、死んだらできねぇからな」

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 レイターはいつしか普段の彼に戻っていた。恐怖のかけらも感じさせない自信家の彼。ニヤリと笑いながら光の通っていない目でウインクをした。

 その時、
「不審船が接近しています」
 マザーから警戒情報が流れた。  

 レイターは操縦席へと走り出した。

「鬼の一人目参上ってか。そう簡単に百億はやらねえよ。鬼ごっこのスタートだ」
 わたしの案内など必要ない、しっかりとした足取り。

 どうやったらレイターを守れるのだろう。無理をさせないために、わたしに何ができるだろうか。答えの出ないまま、わたしはレイターの後に続いた。


* *

「不審船が接近しています」
 というフェニックス号の警戒情報を聞いて、僕はパリス警部と目を合わせた。まだ、本部の応援は来ていない。このフェニックス号が攻撃されるようであれば避難させる必要がある。

「さて、皆さん、お席にお着き下さ~い」
 戻ってきたレイターがおちゃらけながら操縦席へ座った。

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 彼女のティリーさんが彼を休ませようとしたけれど、そんな時間はほとんどなかった。
「目が見えなくて大丈夫ッスか?」
「ジム、俺は『銀河一の操縦士』だぜ。あんたにゃ助手席で手伝ってもらう」
「合点招致ッス。懐かしいッスね」
 ジムはうれしそうに助手席に着いた。

 後部座席にティリーさんと僕、そしてパリス警部が座った。
「お袋さん、情報は音声データで流してくれ、座標は音階暗号符の基本値で頼む」
 レイターの指示でマザーコンピューターがデータを数字化して読み上げ始めた。
「6085pTWE580039……」
「kj1450xp3352……」
 一つのデータを読み上げ終わる前に次のデータを読み始めている。次から次へと重複して高さの違う音声が流れ、合わせて和音が鳴り響く。これでは聞き取れない。
 いや、レイターはそれをすべて聞き取っている。一体彼はどういう訓練を受けているのか。

 突然、彼が振り向いた。
「ティリーさん、シートベルトちゃんと着けろ」

「は、はい」

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 一瞬、目が見えるようになったのかと思った。違う。音で判断している。
 彼女がシートベルトを着ける音を確認すると彼は言った。
「さ~て、出発しますよぉ」

 不審船は一隻じゃなかった。攻撃機能を持つ中型艇が全部で三隻。次々と緑に輝くレーザー弾を撃ってきた。レイターは船を浮上させながら攻撃をかわしていく。
「ジム、どこの船かわかるか?」
「ワニのエンブレムが見えるッス」
「クロコダイルか、あいつら近いから早ぇな」
 クロコダイルは火星を根城にする地元マフィアだ。

「どうする気だ?」
 パリス警部がレイターに声をかけた。
「俺に話しかけるな!」
 彼にしては珍しく声を荒げた。

 データを聞き取って操縦するのにかなりの集中力を必要としているのだろう。このフェニックス号を原点として、クロコダイルの三隻の動きを三次元座標で示しているようだ。

「加速するぜ」
 レーザー弾をきれいによける。あまりに鮮やかな操縦に、つい彼の目が見えないことを忘れてしまう。

「ジム、右の船に威嚇いかく砲撃かけろ」
「威嚇ッスか、了解ッス」
「その隙を抜けて、重力圏で振り切ってやる」

 この船は一体どれだけのスピードが出ているのだろうか。高加速によってクロコダイルが引き離されていく。見る間に宇宙空間へ飛び出した。
 驚いたことに、身体への負担をほとんど感じなかった。
 

「まいたのか?」
 警部が聞いた。
「あいつらがそう簡単にあきらめるとは思えねぇ。ワニさんは俺のこと恨んでるだろうし」
「そうッスね。奴ら、十二年前、レイターにはめられたッスから」

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 ジムがうれしそうに話す。どういうことだろう。
「はめられたとは?」
 僕の問いにジムが答えた。
「レイターは、十二年前、緋の回状が回った時に『クロコダイル』と『シャーク』って二つのマフィアを相討ちにさせたんスよ。すごかったんッスよ。レイターが流した偽の情報に踊らされてあいつら戦い合って。騙されたって気付いたときには、どっちも壊滅寸前までダメージを受けてたんッス」

「ジム、あんた、何でそんなこと知ってんだ?」
 レイターがたずねた。 

「だって、あの頃グレゴリー一家の戦略室じゃ、レイターとマフィアの対戦をリアルタイムで映してたッスよ」

 ジムの誇らしげな表情とは裏腹にレイターは面白くなさそうな顔をしていた。
「ダグはみんなお見通しだった、ってわけか」
「うん。自分でレイターを殺せ、ってお触れを出したくせにレイターが勝つと手を叩いて喜んでたッスよ」

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「あの時、喜んでたのはダグだけじゃねぇよな。なあ、パリス警部。署ん中じゃ禿はげのモーリスが祝杯あげてただろ。俺が死ぬまでやらせておけって」
 レイターの嫌味な口調に警部は苦しそうな顔をした。

 モーリスというのはマフィア対策課のモーリス警部のことか。

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パリス警部とは同期。やり方が荒っぽいことで有名だ。
「……お前のお陰でマフィアがいくつか制圧できたのは確かだ」

「ったく、警察は俺に謝礼金くれねえかな。見舞金でも協力料でも名目はなんでもいいよ。俺は死ぬほど苦労したんだ」 
 死ぬほどという表現は誇張でも何でもない。銀河中のマフィアに命を狙われ、結果、いくつものグループをレイターが潰したのだ。

 第三次裏社会抗争。
 乱立していたマフィアのグループが抗争で次々と自滅していく状況を警察は当初喜んでいたのだろう。
 警察の誤算はその後だ。
 グレゴリーファミリーが崩れた犯罪組織を吸収して勢力を伸ばし、一人勝ちした。

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 そこに十二歳のレイターが絡んでいたということだ。

 それにしてもレイターの彼女のティリーさんという人も変わった人だ。こんな状況なのに動じていない。
「大丈夫ですか?」
 僕は心配になってたずねた。
「ええ、レイターとつきあってると、よくこういう目に遭うんです。なんせ『厄病神』ですから」
 と彼女は苦笑いをした。

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 警戒音が鳴る。クロコダイルの三隻が追いかけてきた。
「ほら、鬼さんが追いついて来たぜ」
 レイターは目的を持ってどこかへ向かっている。この方角は、もしや……

「パリス、鬼ごっこの途中にちょっと安全地帯に入りたいんだ。中に入れるよう交渉してくれねぇか」
 思った通りだ。見知った巨大なビルが見えてきた。建物の少し時代がかったデザインが歴史と威圧感を感じさせる。

 フェニックス号が向かった先は、火星の衛星デイモスにある銀河警察本庁舎だった。

 警部が本部に連絡を入れる。

 本庁の周辺区域がドーム状に白く輝きだした。あれはレーザー壁のバリアスクリーンだ。砲撃を防御し、触れるもの全てを破壊する。時々、本庁はテロ対策で全面バリアを張ることがある。

 フェニックス号は民間船なのだからマフィアから襲われていたら保護すべき対象のはずだ。
 だが、警備隊は動かず、本庁は全面バリアを張ったままだ。これ以上バリアスクリーンに近づくと危険だ。
 クロコダイルが迫り、フェニックス号に砲撃してきた。

 本部と連絡を取っているパリス警部の声がいらだっていた。
「だから、この船には民間人が乗っているんだ! 本庁へ入れて保護してくれ」  

 本庁はフェニックス号を中へ入れることに難色を示しているらしい。
「やっぱりな」

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 レイターは結果を予想していたようだった。
「ま、あいつら昔から自分の身だけかわいいって奴らだからな。しょうがねぇから、侵入、いや、民間人保護してもらうぜ」
 侵入? 彼が操縦棹を握りなおした。

「レイター、どうする気だ!」
 パリス警部が叫んだ。 

 フェニックス号が警察本庁のバリアスクリーンへ突っ込んでいく。自殺行為だ。このバリアに触れたら爆発する。

「や、やめろ!死ぬ気か!」
 パリス警部の怒鳴り声をレイターは無視している。
 僕は彼を止めようと、シートベルトに手をかけた。

 だが、はずれない。強制的にロックされている。

 レイターが何かを操作した。窓の外が明るくなる。フェニックス号の船体が白く輝きだした。船にバリアを張ったのか。
 いや、それでも無理だ。バリア同士が下手な干渉を起こしたら一巻の終わりだ。

「ちょっと揺れるぜ」
「了解ッス」
 レイターとジムは平然と光へ向け船を突入させていく。

 僕は隣のティリーさんが心配になった。
 彼女はまっすぐにレイターの背中を見つめていた。『銀河一の操縦士』を信じている。

 バリバリバリッツ……。
 接触と同時に船内に衝撃が走る。
 メインモニターが真っ白に光った。太陽光を直視するようなまぶしさに、思わず目を閉じてうつむく。レイターは真正面を向いていた。そうか、目が見えないから気にならないのか。

 コンピューターが読み上げる音声データの量が増えた。不協和音がオーケストラの演奏の如く重層的に響く。もう何が何だかわからない状態だ。
 フェニックス号は振動しながら進んでいく。

 すっ、と衝撃が収まった。目の前に本庁の建物が迫っていた。データの読み上げは続いている。

「バリアをすり抜けたのか?」
 僕は驚いた。

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「マーシー、そろそろ、本庁のバリアスクリーンの組成コードを変えたほうがいいぜ。ホワイトハッカーとして俺に謝礼金くれねぇかな?」
 フェニックス号のバリアが本庁のバリアスクリーンを中和したということか。
 今なら警察本庁を簡単に襲撃できるということだ。レイターのこのスキルだけでもダグ・グレゴリーは欲しいはずだ。

「パリスの親父、裏の駐機場を借りるって伝えてくれ」
 武装警官が構えている中、レイターは船を駐機場へきれいに着陸させた。シートベルトが自動的に解除される。

 ジムが感心した声で言った。
「さすが『銀河一の操縦士』ッスね。目が見えないとは思えないッスよ」
「っつぅか、目で見て判断してたら間に合わねぇんだよ。俺は割と音の世界で生きてんだ」

 彼が暗闇の中、グレゴリーファミリーのアジトを走り抜けていたことを思い出す。
「おいらは運び屋の船乗りッスけど、音階座標なんて全然わかんないッスよ。レイターは音楽教師のお袋さんに仕込まれてたから、ドレミの音を聞き分けられるんスよ」
 コンピューターが読み上げる音声データには音の高低がつけられていた。
 警部が小さな声でつぶやいたのが聞こえた。
「マリア・フェニックスか……」

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 マリア、おそらくそれはレイターの母親の名。警部は随分と深くレイターと関わっている。

 クロコダイルの船が引き上げていった。いくら奴らでも、警察の本庁と一戦交えるほど馬鹿じゃない。

「パリス、あんたら降ろしたら、すぐに出てくから。本部にそう伝えてくれ」
「ここから出ていくんですか?」
 僕はたずねた。彼にとってはここが一番安全なはずだ。
「警察の世話にはならねぇよ。あんたらだって俺に出てってほしいだろ。本庁に三日間バリアスクリーン張ってたら仕事になんねぇだろが」

 レイターはパリス警部の方を向いた。
「親父、ティリーさんをよろしく頼む」
「ちょ、ちょっと待ってレイター。あなたがここから出ていくというならわたしもあなたと一緒に行くわよ」

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「だ~めっ」
「あなたいつも言ってるじゃない。フェニックス号が一番安全だって」
「あんたはダグの怖さを知らねぇから」

 レイターは立ち上がるとティリーさんのそばへ近づいた。
「わたし降りないわよ。レイターと一緒にいる」
「うれしいこと言ってくれるね」
 レイターは笑顔を見せてティリーさんの身体を引き寄せるとキスをした。

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 濃厚な口づけだ。僕たちは目のやり場に困った。

 と、ティリーさんからグラリと力が抜けた。

 糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる身体をレイターが支え、そのまま静かにソファーへ寝かせた。

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「レイター、何をした?」
 パリス警部が問いただす。

「速攻性の睡眠薬を飲ませた。三時間もすれば目を覚ます。ティリーさんを保護してくれ。頼む、巻き込みたくねぇんだ」
 レイターが真剣な表情でパリス警部と向き合った。

「わかった」
「俺はあんたのことを信じてる。十二年前、警察ん中であんただけが俺を守ろうとしてくれただろ。モーリスが俺をダグに突き出す、ってうるせぇのを、あんたが反対してくれた」
 警部が驚いた顔をした。

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「知っていたのか」
「組織の中で力が足りなかったこともな。俺はあんたに迷惑ばかりかけてたのにさ。うれしかったよ。ずっと礼が言いたかったんだ。ありがとよ」
「……」
 警部は言葉を失くしていた。

「レイター、この後どうするんスか?」
「決まってるだろ、鬼ごっこさ。俺は『銀河一の操縦士』だぜ。三日ぐらい逃げ切ってやるさ。さあ、ジム、あんたも船から降りてくれ」
「イヤッスよ。おいら、警察本庁なんかで降りないッスよ」

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 ジムが口を尖らせた。彼はグレゴリーファミリーの構成員だ。本庁で降ろされるのは確かにイヤだろう。レイターが困った顔をした。

 パリス警部が僕に命じた。
「マーシー、お前はこの船に残れ」
「はい」
「おい、パリス、勝手なこと言うな。この船は俺の船だ」
「お前はジョーカー事件の重要参考人だ。監視対象者を勝手に外を歩かせるわけにはいかん」

 警部が再度、捜査本部と連絡を取った。
「レイター、本部の決定を伝える。デリ星系の警察方面本部デリポリスへこの船ごとお前の身柄を移す。そこまでは警備艇二隻で護衛する」
 デリポリスは最新鋭だ。警備部の訓練施設が併設されていて、本庁以上に要塞機能が充実している。マフィアも攻め込めない。参考人の安全確保に適した施設だ。
 ただ、警察を信用していないレイターが言うことを聞くだろうか。
 という僕の心配をよそにレイターは本部の計画を素直に受け入れた。

「デリポリスか、わかった。警備艇の護衛ねぇ。足手まといになんなきゃいいが。言っとくが俺は参考人だ。そいつらの命令は聞かねぇからな」
「お前が警察の言うことを聞くとは思ってないさ。だが、下手な真似はするなよ」
 警部とレイターの視線が絡み合う。
「その代わり、ティリーさんだけは頼む」
「ああ、責任を持って彼女を保護する」
 レイターが本部の指示に素直に従ったのは、ティリーさんの安全を守るためということか。

 警部はティリーさんを車椅子に乗せてフェニックス号を降りた。

「レイターがパリスの親父を信用してるとは知らなかったッスよ」
 驚いたようにジムが言った。
「俺、あの頃、署ん中、盗聴してたからな。どんな話がされてたか全部知ってんのよ」

 僕は嫌な気分に襲われた。レイターが嘘を言っているとは思えない。これまでの証言の具体性から推測するにおそらく事実だ。
 だが、納得できない。
「レイター、どうして君は警察内部の盗聴ができたんだ?」
「俺じゃねぇよ。ダグの親父が警察ン中に協力者を作ってんだよ。俺はそれを利用させてもらっただけさ。盗聴の盗聴」

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 捜査情報を漏らしてマフィアの内部情報を得る取引は確かに存在する。だが、警察署の盗聴はいきすぎだ。汚いカネのにおいがする。
「それは、現在も生きているのか?」
「お、マーシー、刑事デカっぽいこと聞くじゃん。俺は今、ダグとは何の関係もねぇから知らねぇよ。ジムに聞けよ」

 ジムがあわてて手を振った。
「知らないッスよ。そんな話、下っ端が知ってたら殺されるッスよ」

 僕が育った新興開拓星では、荒くれギャングと地元警察が手を組むなんてありえなかった。
 だが、僕だってわかっている。銀河警察が正義と理想だけで動いているわけではないことは。

 幹部候補生の僕には派閥の誘いがくる。組織の力学が重視される世界に僕はまだ順応できていない。

 警察方面本部のデリポリスには研修で行ったことがある。本庁から高速航路で半日ぐらいの距離だ。

「デリポリスっスか。航行時間六時間ッスね。夕方には着けるといいんスけど」
 目の見えないレイターの代わりに、ジムがナビゲーションシステムに入力していた。

「ジム、残念だが、ゴールまで簡単には着かねぇぜ、航路に入らねぇから。マーシー、警備艇にそう伝えてくれ」
 僕はレイターに聞いた。
「どうして航路を通らないんだい? それじゃあ、時間がかかるだろ?」
「あんた、一般船を巻き添えにしたいのかよ。ほんとに警察官か」
「警備艇が護衛についているんだ。高速航路に入船規制をかけて最短ルートで進んだ方がいいじゃないか」
「俺はサツの言うことは聞かねぇっつったろ」

 警備艇は軍の駆逐艦と同程度の高い能力を持っている。レイターに無理をさせないために提案したのだが、わかってもらえなかったようだ。
 それ以上言うのはやめた。

「今回はどんな作戦なんッス?」
 面白そうにジムがたずねた。
「作戦なんてねぇよ」
「そうッスか」
 ジムが少し残念そうだった。

「来た奴をぶっ倒して、前へ進めばいいんだから簡単さ。しかも、警察のお墨付きだ。な、マーシー」
「正当防衛は認められますが、過剰防衛にならないようにして下さい」

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「まあ、そう言ってられるのも今のうちだと思うぜ」

 警察本庁がバリアスクリーンを解除した。護衛の警備艇二隻に挟まれながらフェニックス号が宇宙空間へと飛び出す。

 すぐに、警戒音が響いた。

「クロコダイルの船ッス」
「お待ちかねだったようだな、ワニさんは」
 コンピューターが音声データの読み上げを始めた。モニターで確認するとクロコダイルは五隻に増えている。

「ジム、噛みつくまで撃つなよ。警察が見張ってんだから」
「了解ッス」

 民間船は公安調査会の許可を得れば武装が許される。宇宙海賊対策だ。フェニックス号は旧型のレーザー砲を積んでいた。軍の払い下げ品だろうか。威力は強くないが機動性に優れている。全方位に砲撃できる型だ。

「マーシー、警備艇に左右両端の二隻を押さえるよう指示してくれ。残り三隻をこっちで何とかする」

 最新の警備艇にもっと任せた方がいいと思ったが、そのまま伝えることにした。こちらが苦戦すれば警備艇が応援に来るだろう。
「わかった」

「ジム、真ん中の母船から目を離すな。食いつく隙を狙う」
「合点ッス」

 クロコダイル側は一気に近づき緑のレーザー弾を撃ちまくってきた。砲塔を上下左右に積んでいる。違法改造だ。民間船は一門しか設置できない。

 フェニックス号の船内に音声データが鳴り響く。
 中型船のこの船がまるで小型の戦闘機のように旋回した。横Gがすごい。目を開けているので精一杯だ。

 緑のレーザー弾をかわしながら、あっと言う間にクロコダイルの後ろ側に回り込んでいた。敵のエンジン噴射口へレーザー弾を発射。
 白い煙に包まれ、クロコダイルの一隻が離脱していく。

「さすがッス。やっぱ、戦闘機乗りは違うッスね」

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 レイターの経歴を思い出す。将軍家の子息と一緒に連邦軍の戦艦アレキサンドリア号に乗艦し、戦闘機部隊にも所属していたと記載されていた。

「無駄口叩いてる暇はねぇぜ。右三十五度でロックオンだ。母船の警戒を続けろよ、クロコダイルの奴、突然噛みついてくるから」
「了解ッス」
 レイターが放った白いレーザー弾がクロコダイルの二隻目へ飛ぶ。命中。敵船の照明が落ち、機能が停止した。

 砲撃の精度がおそろしく高い。装甲の継ぎ目を正確にえぐって船体内部へダメージを与えている。

「母船が、警備艇に食いついたッス」
 最新鋭の警備艇が苦戦していた。クロコダイルの緑のレーザー弾は改造弾だ。威力が高い。被弾するとダメージが大きい。

「よし、ジム、今だ母船を攻めるぜ」
「合点承知の助」
 レイターの声が生き生きしている。『銀河一の操縦士』は戦闘を楽しんでいるように見えた。

「ここで絶対に撃ち落せ。無駄弾撃つなよ」

n30@3にやり

「当たり前ッス。無駄弾なんて撃ったら、ダグの親父に怒られるッスヨ」
 自分の身体が回転する。
 フェニックス号が背面飛行しながら母船の後ろ側へと回り込んだ。

 母船は緑のレーザー弾を乱れ撃ってきた。バリアで防ぐ。壁面をかすり船体が震える。
「零コンマ二度修正。バリア解除」
「了解ッス」
 レイターの指示通りにジムが母船にレーザー弾を放った。

 白い光が母船のエンジン噴射口に吸い込まれていく。
 フェニックス号のレーザー弾は破壊力が低い。爆発はしないが母船は航行不能状態に陥った。
 砲弾の威力ではなく、まさに技で相手を封じ込めている。これなら過剰防衛にならない。そのために、わざと力の弱い武器を積んでいるのだろうか。

「ジム、続けて、右三十二度に発射」
「合点ッス」
 二人の息がぴったり合っている。警備艇が手こずっていたクロコダイル四隻目の船のエンジンが撃ち抜かれた。

 と、その時
「う、右舷激突!」
 僕の通信機から警備艇連絡員の叫び声が聞こえた。

 警備艇の一隻とクロコダイルの最後の一隻が接触事故を起こしていた。クロコダイルが捨て身で突っ込んだのだ。

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「ちっ、足手まといになるな、っつったろが。被害状況を報告しろ。生命維持機能は生きてるか?」
「生命維持機能は起動中」

「了解。そのまま鬼ごっこから離脱しろ。ここならすぐ本庁から救助が来る。こっちは海王星軌道までジャンプする。もう一隻の警備艇は座標を送るからついてこれたらついてこい」
 そのままフェニックス号は亜空間フライトに入った。判断が速い。

 結局、クロコダイルの五隻のうち四隻をフェニックス号が撃ち落していた。
 レイターの腕がいいだけじゃない。クロコダイルの特徴をつかんだ作戦もちゃんとある。ただ、彼にとっては当たり前すぎて作戦と呼ばないだけだ。

 敵の情報を収集し分析し適切に処理する。
 その能力を彼は十二歳の頃すでに身に着けていたに違いない。ダグが彼に仕込んだのだ。

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 だから、彼は襲い掛かる銀河中のマフィアから逃げることができた。
 ジムによれば、ダグはレイターが勝つと喜んでいたという。何かが変だ。


* *

 ティリーはベッドの上で目を覚ました。

 ここは一体どこ? 見覚えが無い。フェニックス号でレイターとキスをして、その後の記憶が無い。

 あわてて身体を起こす。
「気がついたかね」
 パリス警部が部屋に入ってきた。
「あの、ここはどこですか?」
「銀河警察本庁だ」
「レイターは、レイターはどこにいるんですか?」

 警部がわたしの問いに答えるまでに少し間があった。
「……フェニックス号だ」
「フェニックス号はどこにいるんですか?」
「デリポリスへ向かって、さっき太陽系を抜けたところだ」

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「え? 信じられないっ! レイターったらわたしを置いていったのね」
 腹が立ってきた。

「ティリーさん、落ち着きなさい」
 警部がわたしをなだめる。
「あなたを巻き込みたくないというレイターの判断は賢明だ。ダグという男は恐ろしい男だ。レイターを殺すためには手段を選ばない」
 なんだかさっきまでとパリス警部の様子が違う。レイターに対する敵対心が消えている。

「フェニックス号はデリポリスへ向かってるんですね」
 一年ぐらい前にデリポリスの開所式をニュースで見た。最新鋭の設備がこれでもかと公開されていた。デリ星系ならソラ系から半日ぐらいで着く。

「ああ、あそこならグレゴリー一家も誰も手を出せない。だが、そこまでたどり着くのに難航している。彼らは航路も通っていないし、すでに護衛の警備艇一隻がやられた」

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「パリス警部、お願いがあります」
 わたしはパリス警部にあることを願い出た。

「それはできない」
 即座に断られた。
「駄目ならわたしは勝手にさせていただきます」
 わたしは警察に逮捕されたわけでも何でもない。何をしようとどこへ行こうと自由だ。パリス警部は困り顔でわたしを見つめた。
「……わかったわかった。あいつも困ったもんだが、全く彼女も彼女だな」
 そう言ってため息をついた。

* *

 フェニックス号は航路に入らずデリポリスへ向かって飛行していた。

 僕の仕事は警備艇との連絡係とパリス警部への報告だ。
 レイターは船がまったく通らないような辺鄙へんぴな空間を選んで飛んでいるが、どこから情報を仕入れているのか、敵は次から次へとフェニックス号を襲ってきた。

 文字通り銀河中のマフィアに狙われていることを実感する。

 マフィアたちは問答無用でどこからでも撃ってくる。
 時には長距離弾が雨のように降ってきた。航路を入船規制しても一般路線で流れ弾の巻き添えに遭う船がでてもおかしく無い状況だ。

 レイターが言う通りだった。航路に入らなくてよかった。 

 十二年前にレイターによってはめられ、『クロコダイル』と相討ちにされたという『シャーク』も攻撃をかけてきた。

「ジム、シャークの母船を前から狙え。左四十五度で接近する」

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「でもあれ最新型ッスよ、前からッスか?」
「大丈夫だ、こないだの内部抗争で壊れたところの修理が間に合ってねぇ。前方のレーダーは死角だらけさ」

 見るまに『シャーク』も片づけた。
「さっすが、レイターは詳しいッスよね。マフィアの情報」
 ジムが感心する。
「マフィアの、じゃなくて、宇宙船の、だろ」
 とレイターは反論したけれど、彼は小さなマフィアの動きまで恐ろしく細かく把握していた。情報量が半端じゃない。

 銀河警察のマフィア対策課でもここまで情報を持っているだろうか。しかも、それを全て暗記している。目が見えなくても困っているように見えないのはそのためだ。

「昔っからスペンサーがよく怒ってたッスよね。ダグの親父はレイターにばかり秘密を教えてるって」

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「知るかよ」
「十二年前、ダグの親父も言ってたッスよ。レイターは俺の教えた情報をちゃんと使ってるって」
 レイターは唇をかんで何も言わなかった。

 レイターが持っているマフィアの知識はダグが教えたということか。
 いや、違う。最新の情報にアップデートされている。
 ダグが教えたのは個々のマフィアの情報じゃない。裏社会に張り巡らせている情報網、ネタもとだ。それをレイターに引き継いだのだ。
 情報を制する者が裏も表も世界を制する。知りすぎたレイターをダグは亡き者にしようとしたのだろうか。

 それなら、なぜ今、彼は情報網を好きに使えているんだ? また、違和感に襲われる。

 それにしても、ジムは内情に詳しい。

「ジムはグレゴリーファミリーで何をしてるんだい?」
「イヤだなぁ、刑事さん、おいらに聞いても意味ないッスよ。単なるパシリっすから」

 レイターが鼻で笑った。
「あんた、変わってねぇな。相変わらずダグのパシリやってんだ」

 僕は驚いた。ダグ直轄の構成員ということだ。
「それは、ジム、君は会長付ということなのか?」
「そんな偉い役じゃないッスよ。ダグの親父に呼ばれなきゃ、普段は運び屋やってるんッス」

「今回はダグに呼ばれたのか?」
「そうッスね。火星に来いって。着いたらレイターが飛び出してきたんでびっくりしたッスよ」

 僕がパリス警部に報告するように、ジムがダグ・グレゴリーに報告を入れている可能性がある。
「君は、ダグのスパイなのか?」
 僕の言葉にジムがきっとした顔でにらんだ。
「刑事さん、おいらがレイターを裏切る訳がねぇじゃんスか。若をお守りするのが、おいらの仕事ッス」

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「ばぁ〜か、若じゃねぇ、ダチだろが!」
 レイターがジムの頭をはたいた。
「痛ぇ」
 ジムは本当に痛そうだ。
「目が見えねぇから、強さの調整ができねぇんだよ。変なこと言い出すな」

* *


 フェニックス号に動きがあると、パリス警部の元へマーシーさんから通信で連絡が入る。
 パリス警部は隣にいるわたしに席をはずせとは言わない。その代わり気づいたことがあれば警部に情報を提供することになっている。
 と言っても、話せることはあまりない。

 レイターたちは百億リルを求めて襲ってくる鬼を一匹ずつ退治しながら、デリポリスへの道を進んでいる。
「あいつがどんな訓練を積んできたのか知らんが、目が見えんことすら苦にならんようだな」
 パリス警部の言葉にわたしは思わず反論した。
「そんなことはないです」

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 警部が不思議そうな顔でわたしを見た。
「いつものレイターと違ったんです」
「いつもと違った?」
 レイターは確かに目が見えなくても平気な顔をして対処している。

 でも、初めてだ。どんな敵を前にしても動揺することが無い彼から不安が伝わってきたのは。

 あの時、レイターの部屋でキスをした時、「あいつの顔が、見えなくてよかった」とぽろりと彼はつぶやいた。言うつもりのなかった本音。

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 あいつというのは、ダグ・グレゴリーのことに違いない。 

 わたしはパリス警部から話が聞きたかった。
「レイターのことを聞かせてください。あなたは彼を極悪人呼ばわりしましたけれど、わたしにはそうは思えないんです」
「極悪人というのは言い過ぎたな。マリアに悪い」
「マリアさんってレイターのお母さんですか?」  

「ああ、そうだ。マリア・フェニックス。シングルマザーだった彼女は、子どもたちを守ろうと我々警察と一緒にマフィアの撲滅運動の活動をしていた。優しく、正義感の強い、頭のいい女性だった」

 レイターは音楽の先生だったという母親のことを、時折、自慢げに話す。母に教えられた、という歌も楽器も驚くほど上手い。

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 そして、いまだに母親の言いつけを守って、人前でピアノを弾かない。相当なマザコンだ。

「マリアはレイターが九つの時に病気で亡くなったんだが、彼女には親戚がおらずレイターを引き取る身寄りが一人もいなかった。そこで、レイターはマリアの働き先だったコミュニティ施設で生活することになったんだ」

 初めて聞く話だった。

「後からわかったことだが、ここの館長がいい加減な奴で、レイターの面倒をまったく見なかったんだ。ネグレクトというやつだ。自治体からレイターに出た福祉手当を給食費以外は懐に入れて、あいつには食事すらろくに与えていなかった」
 レイターの食へのこだわりの強さが頭に浮かんだ。
「ひどい……それで、レイターは?」
「ジムたち当時の子供たちの話によると、給食のない週末は盗みを繰り返していたようだが、被害届けも出ない巧妙さで、本当のところはわからない」

 気持ちが塞ぐ。生きていくために盗みを働く。その善悪を幼いレイターは考える余裕もなかったに違いない。

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「あいつは普通に学校へ通っていたから、誰の世話もうけていないことに、しばらく大人たちは気づかないでいた。そこにダグがつけいったということだ。ダグはレイターの一家への出入りを自由にし食事も好きなだけ与えた」

 ジムさんが口にした「餌付け」という言葉にレイターが不快感を示したことを思い出す。

 わたしはてっきり、レイターはお母さんを亡くして、すぐに将軍家のお世話になったのだとばかり思っていた。

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 アーサーさんと一緒にアレクサンドリア号に乗ったのが十二歳。それまでの三年間、ダグ・グレゴリーの庇護の下にあったということだ。
 レイターが過去のことを隠しているのは知っていた。わたしには聞かせたくない話だったのだろうな。

 盗んだモノを食べることと、マフィアの世話になること、どちらの選択肢も真っ当じゃない。
 でも、それしかレイターには無かったのだ。嫌な気分だ。

「レイターが悪いんじゃないわ、周りの大人がちゃんとしていないのが悪かったんじゃないですか!」
 パリス警部は悲しそうな顔をした。

「私はレイターに母親がマフィアの撲滅運動に関わっていた話をし、あいつを裏社会じゃなく、こっちの表世界へ戻そうと説得したが、うまくいかなかった」
「どうしてですか?」

「ダグは命の恩人だから裏切れないと……完全にダグに取り込まれていたんだ」

 何だか納得できない。
「レイターは大人になった今も母親の言いつけを守ってるんですよ。お母さんを裏切るようなことをするとは思えません」
「あいつには、父親も必要だったんだ」
 レイターの実の父親はレイターが生まれる前に亡くなったと聞いた

「ダグは本当の息子のようにレイターを溺愛し、それはレイターにも伝わった。犯罪の手口から銃の扱い、船の操縦まですべて教え込んだ。ダグにとってレイターは息子でありレイターにとってダグは父親だった」

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 レイターは九歳のころから船を操縦していたと話していた。

 それもダグが教えたのだ。心が冷え込んでいく。
 レイターにとって船の操縦は人生そのものだ。    まとめ読み版③へ続く

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48ノ月(ヨハノツキ)
ティリー「サポートしていただけたらうれしいです」 レイター「船を維持するにゃ、カネがかかるんだよな」 ティリー「フェニックス号のためじゃないです。この世界を維持するためです」 レイター「なんか、すげぇな……」

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