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父のこと

初投稿がこれってマジ?


まあ、どうでもいいんだけど



僕の父はどこにでもいるようなサラリーマンだった。
中年で、いくつかの趣味がある、そんな感じ

職場ではいろんな事をやるけど、上司からは嫌われてるような、でも同僚からは好かれるような、そんな感じの人だった。
僕や家族の前では、少し考え方は古いけど、基本中立な立場で考えて意見を言うような人だった。

亡くなって結構経つから、振り返ろうと思った。


父はドライブが好きだった。

週末の午後にいつもドライブに連れて行ってくれた。
嫌な時もあったのだけれど、母の「着いていくといいことあるよ」という言葉のおかげで、ほとんどの場合一緒に行ってた。
いつも車で遠くまで行って、コンビニにだけ寄って帰るみたいな、そんなドライブをしてた。

僕の友達とか同年代の人は「家族でディズニーに行った」とか、「旅行でハワイに行った」みたいなことが一番楽しかったと言うけれど、僕の家は時間的にも金銭的にもそこまで余裕があるようには見えなかったし、父と一緒にいるのが好きだったから、これで良かった。


父は登山が好きだった。

夏になると、忙しい農作業の合間を縫って山に行った。
山は自分に対して最も集中できる場所だから、僕も好きだった。

父は幼い時に脳梗塞で一時的に左半身不随になってたから、昔から左足を引きずるような歩き方をしてた。
そんな人が山に登るのは危なかったかもしれないけど、杞憂だった。

安達太良山、磐梯山、燧ヶ岳、男体山、日光白根山、そして尾瀬
この他にも、僕はいろんな山を父と歩いた。
尾瀬は朝から夜まで24キロの道のりを2人で歩いた。
あの時が一番自然の中に身を置いていたと思う。


父はスノボが好きだった。

冬になると、相変わらず忙しい合間を縫ってスノボに出かけた。
父はいつも物凄いスピードで滑るから、全く追いつけなかった。
今も多分勝てないと思う。

スノボをするとアドレナリンとドーパミンが沢山出て、最高に気持ちいい気分になる。
そんな気分の中で2人で下まで滑り降りて笑い合うのが凄く楽しかった。


父は家族が好きだった。

父はいつも自分より家族のことを優先していた。
家族が1人で抱え込むことがないように、いつも色んなところに気を配ってた。
僕たち兄弟には、好きだからこそ子供扱いせずに1人の人間として接してくれて、僕たちを人として成長させてくれた。
母を愛していたのは言うまでもない。

おかげで、家族はお互いを信頼していたし、愛し合っていた。


でも、父は自分に厳しかった。

自分の心の中を隠して、絶対に他人に見せなかった。
苦しさを自分の中に全て飲み込んでいた。
自分にしか分からない、物凄い苦しみを、自分1人だけで耐えていた。
それが父なりの、僕や家族に対する優しさだったんだと思う。

知らず知らずのうちに、それが体を蝕んでいたとしても


2021年の9月に癌が見つかった。

進行性の胃がん ステージ4B
肝臓、リンパ節に転移

絶望的だったけど、それでも父は笑っていた。

手術をすることになった。
「一番大きな腫瘍のある胃の一部もしくは全摘出、それと、癌が転移したリンパ節の切除をする。ただし、胃の癌の状態が悪い場合は摘出を諦めて、緩和ケアに入る。」
医者からそう言われても、父は気丈に振る舞っていた。

手術は成功した。
胃は全摘出したけれど、体調が戻って抗がん剤も効けば、仕事にも戻れるとのことだった。

でも、無理だった。

胃が無くなると、栄養の吸収が難しくなる。
それは初めから分かっていたから、他の器官で吸収できるよう、点滴やそれに適した食事をした。
でも、現実は厳しかった。
栄養摂取が難しくなったことで、体重は20キロ以上減り、日に日に体は動かなくなった。
リンパ節も切除したから免疫力もどんどん下がり、血を作る能力も減って、状況はさらに悪くなっていった。
自分1人では生きていけない体になっていった。

父はそこで初めて、自分の弱い面を見せた。

無理もなかった。

でも、全てのことに絶望的な姿を見て、僕は初めて父を拒絶した。

辛かった。
一番好きな人の全てが変わってしまった。
認めたくなかった。
目の前の現実から、目を背けたかった。

父は泣いていた。

それでも、父のことは好きだった。

2022年の正月、父と母と一緒に初詣に行った。
父は一時的に退院していたけど、体調はあまり良くなかった。
父は車の中で待っている筈だったけど、結局一緒にお参りした。

僕はその年に大学受験があった。
父は応援してくれた。
自分のしたいことをしろと言った。
はやとなら何でもできると言ってくれた。

第一志望の大学に合格した。
父はおめでとうと言って、喜んでくれた。
その時、久しぶりに笑顔を見せてくれた。

大学の入学式の写真を見せた時、父は電話越しに喜んでいた。
その声を聞いて本当に嬉しかった。

それから1週間後の金曜日の朝、電話が来た。
父の呼吸がないとの連絡だった。
その時が来たんだと思った。
母は電話越しに、焦らなくていいから、ゆっくり帰ってきなさいと言った。
母は泣いていた。

苦しい闘病だったけど、最後に家にいれて良かったと、母は言っていた。

2022年4月15日午前10時

それが父の死亡日時だった。

お互いの準備もあったから、帰るのは週明けになった。

帰省して、父を見た。

泣き崩れてしまった。

信じたくなかった。
自分の中の大切なものが崩れる感じがした。

そのあとは、来客の相手をしたり、書類を準備したりと、忙しかった。
だけど、何も考えなくて済むから、楽だった。

葬式にはたくさんの人が来た。
会社の人、親戚の人、周りの家の人など、とにかくたくさんの人が来た。

近親者も勢揃いで、まるで正月だった。

火葬の前に、棺の中の父を見た。
今にも起き上がって、また笑顔を見せてくれそうなほどに、綺麗だった。

火葬の後、父を見た。
殆ど残っていなかった。
納骨をして、お墓へ向かった。

母は、骨壷を抱き抱えて泣いていた。

みんなが泣いていた。


あれから1年以上経つのに、僕は立ち直れてないし、心の穴はまだある。
だから振り返って、全て吐き出して、次に進もうと思った。


拙い文章でごめんね。
でも、吐き出したかったんだ。
自分1人で抱え込んでしまっていたから。


追記:
お父さんは51歳で亡くなった。
僕がその年齢になった時に、笑っていたらいいな

もし来世があるなら、またお父さんの子供として生まれたい
それが僕の夢だから

もしあの世があるなら、家族みんなで集まってお酒を飲みたい
それが父の夢だったから


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