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嘘つきのソウル&インスピレーション:半村良「泪稲荷界隈」と「私のネタ本、秘蔵本」

はるか昔、「植草甚一編集」と銘打って「ワンダーランド」という雑誌が創刊された。植草甚一が「ウラ」でちょっとしたブームになったころだった。

子供のころに古本屋で月遅れの「スイング・ジャーナル」誌を買っては、広告と植草甚一のコラムだけ読んでいた。その流れで『ワンダー植草甚一ランド』という子供にはキツい高価な晶文社の本も買った。


植草甚一『ワンダー植草甚一ランド』


たぶん、そこから命名されたのであろう、この大判のグラフ誌サイズの「ワンダーランド」も創刊号から買った。

その創刊二号の特集は「大型特別企画 街とファンタジー」というもので、執筆者には中井英夫、都筑道夫、松本隆、そして半村良と、町を語るにふさわしい名前があった。中井英夫には『虚無への供物』があり、半村良には『産霊山秘録』があり(『石の血脈』も都市小説的側面があるが)、そして松本隆には『風街ろまん』があった。


塔晶夫すなわち中井英夫は、70年代半ば、半村良が売りだしてすぐに対談をしている。自分と同じにおいを感じたのかもしれない。また、のちに渋谷界隈を舞台にした都市小説『蒼白者の行進』を書いた。(掲載誌「終末から」が休刊し、未完のまま刊行された。)


シティー・ミステリー(このジャンルについては改めて書きたい)が好きで、やがて都市論を濫読し、カメラを手に1920~30年代の痕跡を求めて徘徊するようになる人間なので、これはど真ん中の企画、喜び勇んで読んだ――のだが、それもいまや半世紀の昔のこと、半村良「泪稲荷界隈」をのぞいて、他の記事はみなもう忘れてしまった。

◎西青山ガイド

「泪稲荷界隈」は、世田谷に住む半村良は、原稿を渡すなどで人に会うときは渋谷に出ることが多く、渋谷ではよく東急プラザの「フランセ」を使うのだが、たまに、まちがって駅の反対側の東急文化会館の「フランセ」に行ってしまう人がいる、という話題からはじまる。

「ワンダーランド」創刊二号、1973年9月号
読みにくいだろうが、右下端に「街とファンタジー」とある。すぐに「宝島」とタイトルが変更され、さらに大判のグラフ雑誌サイズも改め、ダイジェスト・サイズとなって生き延びた。


このあたりの話題は駅周辺のことだから、東京の地理をよく知らない当時でも、まだわたしにもついていけた。東急文化会館の五島プラネタリウムは小学校の遠足で行ったし、下の映画館にも何度か足を運んだ。後年、フランセを待ち合わせや打ち合わせに使いもした。もう存在しないものばかりだが、昔はランドマークだったのだ。

谷底にある渋谷駅から、どこかに行こうとすると坂を上るしかない。道玄坂の反対側、宮益坂を上ると青山方面に出られる。このへんは町名変更がはなはだしく、金王神社のある側はかつては金王町、その反対側は御嶽神社があったので美竹町と云っていた。

青山は南が六丁目まであるのに、北は三丁目まで、西はごく狭くて丁目がない、なんて話になると、わたしにはもうわからなかった。青山は、古書店巡りの延長線上で、植草甚一がエッセイに書いていた骨董通りの「嶋田洋書」を一度覗いてみたことがあるだけで、さっぱり地理不案内だったのだ。

金王神社のあたりが金王町(のちに読んだ池波正太郎「剣客商売」シリーズの長篇で重要な舞台にされていた)、御嶽神社のあたりが美竹町だったように、西青山には泪稲荷という小さな祠があったために、かつては泪町と云われていた、のだそうな。


南青山五丁目交叉点附近
骨董通りが青山通りにぶつかるこの交叉点に紀ノ国屋があり、左手の渋谷方向へ歩いていく。


西青山の泪稲荷へ行く目じるしだが、その紀ノ国屋の前を渋谷へ向って歩いて行くとすぐ小さな交差点で、あってもなくてもいいような信号がついて」いて、そこから見上げると「ひょろ高い黒いビル」があり、それを目あてに進むと、「すぐにまた小さな横道があり、そこから先が西青山(略)青山通りに面して、リヨン、というフランス風のパン屋」があり、「ドンクだめ、サンジェルマン俗化のあとをうけ、只今のところ味の点でトップを走っている」のだそうな。

かつてドンクのコーヒーロールを大好物としたわたしは、え、しばらく食べなかったあいだに、ドンクはダメになったの? と落胆し、リヨンという店を覚えた。

これはSFマガジンで「産霊山秘録」を読んだ直後のこと、その一篇にあった「オシラサマ」のエピソードで、このへんの小さな祠が使われるのを覚えていたので、そうか、あれは泪稲荷のことだったのか、なあんて納得し、ひとりでうなずいた。

さらに「産霊山」終盤、舞台が現代に移ってから登場する、ジャン・ギャバンのような酒蔵の番人がいるレストランも、このあたりにあるという設定だったよな、と思いだした。


半村良『産霊山秘録』元版


ここから、「泪稲荷界隈」という表題通り、半村良はこの近辺の店みせを一軒一軒叮嚀に案内していく。ここらはもうタウン誌の買物ガイド、食べ歩きガイドの要領で、そういうものとして読み、ギロチンの形をしたサラミ・カッターのあるレストランは、「産霊山秘録」のあの店のモデルかもな、なんて憶測をめぐらした。

ところが、話はここで、ふいに転調する。

泪町にアフリカの新興小国の大使館ができたのだという。その大使の夫人というのがじつはすごいシャーマンだという噂があり、なんでも、日本政府に援助を要請したらすげなく断られて腹を立て、要請を受け入れるまで、その呪術によって、日本の町をひとつひとつ消していくと宣ったのだとか――。

「小説だったのかよ!」

そういえば、半年前に読んだ『黄金伝説』では、十和田湖のほうに、いろいろ架空の土地をつくってくれたよな、あれと同じかよ、また騙されたぜ、と笑って巻を閉じた。

新しい雑誌でまだフォーマットがよくわからず、また、グラフ誌サイズなので、小説の掲載には不向き、「街とファンタジー」という特集の他の記事も小説ではなかった(と記憶している)ので、頭から町案内のエッセイと決めつけて読んだこっちが悪かった!

◎西青山泪稲荷界隈 revisited

それから十年ほどして、南青山5丁目の会社に勤めることになり、さらに高樹町方向にズレて、同6丁目に移転した。たしかに、青山は、南は6丁目まであり、北は3丁目までだった。

その南青山6丁目に通っていた時期、商品パッケージなどをつくっていたデザイン会社を訪れた。骨董通りを行って、青山通りにぶつかって向こう側に渡ると紀ノ国屋、日本スーパーマーケットの草分けがある。半村良の云う通り、「その紀ノ国屋の前を渋谷へ向って歩いて行くとすぐ小さな交差点で、あってもなくてもいいような信号がついて」いた。

その信号のちょっと先を右に曲がり、緩やかに道がうねる界隈に足を踏み入れた途端、「あはは、俺はいま「泪稲荷界隈」を歩いているぞ」と笑いそうになった。目指すデザイン会社はそのあたりにあるはずだった。つれない日本政府に怒った、アフリカの女祈祷師の呪術で消されていなければ、の話だが!

◎カードを場にさらす

この「泪稲荷界隈」より半年ばかり前のこと、半村良はSFマガジンの日本作家特集にも、エッセイを寄せていた。題して「特大号特別企画 SFうらばなし 私のネタ本、秘蔵本」。

SFマガジンは、記憶曖昧だが、たしか月号のふた月前の25日発売、したがって2月号は前年のクリスマスに店頭だから、年末年始に向けての号で、通常よりページ数が多く、そして、日本人作家の特集が組まれるのが恒例になっていた。それで「特大号」なのだ。


SFマガジン1973年2月号


SFマガジンの森優編集長が、半村良の仕事場を訪れた時、書庫をのぞいて、小説に利用した、あるいは、これから利用するかもしれない珍本奇書を見つけてしまい、これは面白いから、特大号の2色ページ(グラフィックな記事のために上質紙を使っている)に是非と、公開させられることになった、という半村良の弁明の前口上があり、その「私のネタ本、秘蔵本」という一文には、十冊ほどの書籍、文書が書影付きで紹介されていた。


SFマガジン1973年2月号目次
半村良の「私のネタ本、秘蔵本」はページ4とある。この目次をめくると、はじまるのだ。


登場する本は、『産霊山秘録』のバックボーンになった「ヒ」一族の系譜を伝える『神統拾遺』山科家本、古今東西の死刑の方法を解説したピーター・エヴァンス『処刑』、(明確には説明されていないが)タイム・スリップ現象と場所の関係を考究したフレードリッヒ・ガイヤー『時間通路』およびそれをコピーしたアルベルト・カリーニ『空間から時間へ』、「人間の集落は地形のあり方によって必然的に位置が定まる」と説くルイジ・ピオッティ『都市の必然性』、スペイン沖で紛失した原爆の捜索過程で発見された海底の図書館遺構に関する調査報告書『ジブラルタルの図書館』、『ミツユビナマケモノのテレパシー測定』というNASAの報告書などなど。


「私のネタ本、秘蔵本」の「空間から時間へ」のくだり。ただし、これはSFマガジンではなく、のちに単行本化されたもののスキャン。その本については後述。


久生十蘭『魔都』、夢野久作『暗黒公使』、中井英夫『虚無への供物』、海野十三『深夜の市長』など、ユージェーヌ・シュー『パリの秘密』の流れを汲む「都市ミステリー」が大好きで、松本隆の「風街」や、林静一、つげ義春、水木しげるなどが描くあやしい裏町のたたずまいを愛したわたしは、当然、半村良『産霊山秘録』におおいに惹かれたから、このルイジ・ピオッティ『都市の必然性』というのはぜひ読んでみたいと思った。オカルティズムの時代だったのだ、あのころは。


ユージェーヌ・シュー『パリの秘密』
都市ミステリーの嚆矢とされている。アレクサンドル・デュマはこの『パリの秘密』の大ヒットに刺激されて『モンテ・クリスト伯』を書いたとか。


『ジブラルタルの図書館』も驚いた。スペイン沖で「紛失した」原爆は、子供の時に見たクリフ・リチャードとシャドウズの映画にも出てきたせいもあって覚えていたが、その時に、海中で図書館遺構が発見されたことなどまったく知らなかった。

小学校の時、はじめて読んだ大人のSFはJ・G・バラード『沈んだ世界』で、水に沈んだ都市、というイマージュに幻惑された子供のなれの果てとしては、この『ジブラルタルの図書館』という報告書も読みたくなった。


J. G. Ballard "The Drowned World"すなわち『沈んだ世界』
調べたらこれはバラードの長篇二作目。どうりで読みやすかったわけだ。まだ「内宇宙への旅」なんて云って、晦渋な小説を書きだす以前のもの、小学生にも楽しめる話だった。


なるほど、SF作家はこういう資料をあれこれ利用して、ああいう奇妙な物語をつくっているのかと納得し、最後の段落に辿り着くと、こんなことが書かれていた。

「とにかくうまいネタ本などそうザラにあるもんじゃないけど、時には嘘をつくのに手ごろなサンプルが、案外手ぢかにあるのに気がつくこともあるもんです。
 SFマガジンの第十四巻の第二号なんかは、その意味で貴重じゃないかしら。あの号の四頁から十六頁あたりにかけては、フィクションとしては相当なもんです。タチが悪いって言えば悪いけど……」

この時期、わたしは古本屋巡りをして、すでにSFマガジンもかなりの数を集めていた。雑誌の「巻」というのは、年を意味する。創刊の年が第一巻、その最初の号が第一号。SFマガジンは1960年の創刊なので、この年の号が第一巻だった。

であるなら、第十四巻は……1973年、その第二号と云えば、二月号、なあんだ、いま読んでいるこの号じゃないか! で、十六頁は、もちろん、「私のネタ本、秘蔵本」の最後のページ。


前掲のSFマガジン1973年2月号目次の左肩にある表示を拡大した。第14巻の第2号とある!


二色ページのエッセイだとばかり思って読んでいたら、ネタ、フィクション、小説だったのだ!

◎「これが嘘のつき納め」

二度も半村良にかつがれたのは、それが雑誌掲載であり、エッセイのように思わせる形で提示されていたせいだ。そうじゃなければ、はじめから嘘=フィクション=小説とわかる。

「泪稲荷界隈」はのちに徳間書店から出た『となりの宇宙人』に収録された。「半村良SF短篇集1」と表紙に書かれているのだから、誰が見ても小説、もう誰も西青山だの、泪町だのなんてヨタに騙されたりはしない。


半村良『となりの宇宙人』
この短篇集には「妙穴寺」というタイム・スリップ噺、そのまま高座にあげられるような落語そのものの短篇も収められている。粗末な造本にも拘わらず、好ましい短篇集。


そして、「私のネタ本、秘蔵本」はどの短篇集に収まったかというと……これが収まっていない、いや、短篇集には収まっていないのであって、『げたばき物語』というエッセイ集に収まってしまったのだ。うーん、それでいいのか……。


半村良『げたばき物語』単行本


やはり、まずいのだ、これが。このあいだ、友人がこの『げたばき物語』を読み、『神統拾遺』山科家本というのが実在するとは知らなかった、と云ってきて、いや、それは嘘八百、てえんで、この記事を書くに至った次第なり。

「私のネタ本、秘蔵本」が、「泪稲荷界隈」と同じように、短篇小説集に収録されていれば、そんな誤解は受けるはずがない。

そもそも、SFマガジン掲載時には、ちゃんと、これは嘘っぱち、と最後に告白していた。エッセイ集『げたばき物語』に収めるにあたって、そこのところはどう処理したのか――。


半村良『げたばき物語』目次
「私のネタ本、秘蔵本」はふつうにエッセイのひとつとして置かれている。


まるで何も手を加えていない。雑誌掲載時のまま、やはり「SFマガジンの第十四巻の第二号なんかは、その意味で貴重じゃないかしら」となっている。

SFマガジン上で読んでいるわけではないのだから、単行本や文庫本の『げたばき物語』でこれを読んだ読者は、この段落で半村良が何を指しているかなど、わかるはずがない!

いやはや、いくら「嘘部の末裔」と云っても、いたずらが過ぎる。わたしのように雑誌掲載時に読んだ人間がいなくなり、半村良の没後のブームなんてものがあってよみがえったりして、『げたばき物語』が再刊され、未来の読者が「私のネタ本、秘蔵本」を読んだら……こりゃひどい。


半村良『闇の中の系図』元版
いわゆる「嘘部」シリーズの第一作。自分で嘘部〔うそべ〕なんて云っているぐらいなのだから、つねに眉に唾を付けて読まないと、たちまち騙されてしまう。


なんの落語だったか、何かの嘘つき噺の枕だったか、「これがホントの嘘のつき納め」というサゲがあったが、落語通だった半村良も、いまごろ泉下で「これが嘘のつき納め」と笑っているだろう。いや、未発見の大嘘がどこかに潜んでいるかもしれず、油断は禁物……。


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