できないことに時間を費やすのは 努力じゃない!
誰もがが評論家として自らの都合に合わせて意見を言うことが出来るのが教育。子育てや教育相談の仕事を担当しての印象です。
保護者が我が子に合わせた学校での教育をと思う気持ち。子どもが自分の学校がこうあって欲しいとの願い。当事者でもあり、意見があることは当然のことと受容し、建設的な話合いになるよう努めています。
ただ、現在の子どもを取り巻く教育格差の状況では、本当の意味で一人ひとりに合わせた教育は無理なので。正直、学校に過大な期待はもたないほうがよいと思っています。
★理想的な環境とは
全校9名の小規模校の小中併置校に勤務した経験があります。生徒が1名だけのクラスもありました。教室に教師と生徒が一対一、家庭教師のような状況です。
「理想的な学習環境だ」と思う方も。当然、教師はその子に合わせた進度で授業を行いました。しかし、成績は期待通りに向上してはいきません。
教室の様子、生徒の立場を想像してください。授業中、教師以外に話し相手はいないのです。教師の言葉は一人の生徒に向けて、生徒の話を聞くのも教師だけ。
生徒が答えなければ、反応しなければ、授業は進まない。競争もなく、いじめも起きませんが、かなりのストレスです。
誰でも得意や苦手なことがあり、出来ることもあれば、出来ないことも当然あります。
出来ないことに時間をかけ、繰り返し練習させるといった努力を要求しても、全てのことが出来たり、分かったりする訳ではありません。
★意味のあることに努力を
保護者から子どもに「努力」を求める相談をよく受けます。
でも、出来ないのはほとんど練習・努力が足りないからではありません。効果的な動機づけに失敗しているからです。子どもにすれば無駄な努力の要求としか感じないでしょう。
確かに努力して○○メダルを取った人も。存在しています。凄い人。賞賛の拍手です。
では、メダルが取れなかった人は努力が足りなかったのでしょうか?
勿論、努力の足りなかった人もいるかもしれませんが、大多数はよく分からない運やタイミングであったり、才能の差によるものでしょう。
実際、余り努力することなく出来てしまう人がいるのも現実なのです。
努力を否定する訳ではありません。
必要なことは個に合った効果的な努力です。効果的・効率的な練習・努力である程度の成果を上げることが出来るからです。
多くの人が体験したことのある自転車を例に考えてみましょう。生まれながら自転車に乗ることの出来る人はいません。
幼いときに各々が様々な練習・努力をして出来るようになったはずです。少し出来るようになると進んで練習・努力を行い自信を深め。更なる練習・努力で身体にコツという形で記憶させ、時間がたってもある程度の出来る状態を持続させます。
しかし、大人となると出来るようになる難度は上がります。失敗を恐れる意識や人目を気にするなどの感情が練習・努力を妨げます。
知識や技能の習得には感情などの心理面が関係しています。はっきり言えば、「分らない問題に努力という名の時間を費やすのは意味ない」ということです。
まず、「やってみたいな、出来そうだな」と思わせることが大切です。重要なのは子どもの内なる好奇心や外からの働きかけ・環境などの動機づけです。
全校9名の子ども達は閉校が決定し、統合先の学校との交流会以降、不思議なことに成績が上がっていきました。環境の変化が子ども達の動機づけになったようです。
★相談で伝えること
相談では、完全はあり得ない。時間がある程度必ずかかるという前提で次のことを伝えます。
①出来ないことに時間をかけるのを止めましょう。
②楽しい、出来る、分かる、達成感を感じることに時間をかけましょう。
③出来たら褒めて自信を強めてあげましょう。
④他にも出来ることを見つけて、取り組ませてあげましょう。
※②→③→④→②→…… のサイクルを。ある程度の成果は上がるはずです。あくまでもある程度。完璧はあり得ません。個人差はあります。
◎身体的・心理的なことで100%無理なこともありますが。
少しの達成感・成功体験でも、プラスになることを願って、明日からまた、相談を受けようと思います。