【邪念走】第7回 迷わずTカードを差し出す。
アウトレット価格で購入した新しいシューズで数回、3キロほど走ってみたが、足首にわずかな痛みを感じる。「シューズ買ったばかりなんだけど、なんか足首に違和感あるんだよね」と、ランニングが趣味の友人に相談したのが失敗であった。彼は私とそんなに年齢は変わらないが、ランニング歴10年以上の玄人ランナーである。
「え、え⁉ それ慣らした⁉」
まずビックリされる。買ったばかりのランニングシューズは全体的に硬くて足にフィットしておらず、更に私がランニング初心者であるため、まずはウォーキングで履き心地を確認することが重要だという。
「ウォーキングなんだけど、足運びはランニングを意識してフィット感を確認するんだよ」と、言っていることがよくわからんが、こういう矛盾したことを言うと途端に玄人っぽくなる。玄人ってのは相反した性質を併合することができるのだろう。「さっと炒めるんだけど、じっくり火の通りを見るんだよ」「低めの配球を意識しながら高めを責めるんだよ」
「つま先は適度なゆとりある? かかとはちゃんとフィットしてる? 親指、小指の傷みは? 甲まわりに圧迫感ない?」
と、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。ランニングシューズの慣らしを怠ったばかりに、人生における重大なミスを犯してしまったような言い方。このままでは死ぬのではないかとすら思えてきたので、「え? 死ぬの?」と半ば冗談で問うと、「ああ、場合によってはね」などと真剣に物騒なことを言う。
「で、そのシューズいくらだった?」自尊心保持のため、若い頃からアウトレット価格で買ったものの値段は値引き前の販売価格で伝えるようにしている。8800円だよ。「ずいぶん安いね。まあエントリーモデルだからね」いちいち傷つく。
「ソールの薄さに筋力が対応してないならまず足の裏、それからふくらはぎとか膝に痛みがくる。かかとのソールが低いと、アキレス腱とかふくらはぎの負担が増すんだよね。足首の痛みか……筋力かシューズか……はたまたどちらもなのか……」玄人はいつも勝手に推理を始め、気ままに思案にふける。そして一方的に結論を出す。
「今度シューズ持ってきて」
面倒臭いことになったなあと思いつつも相談したのは私であるため、次のランニングの前に一度シューズを見てもらうことになった。
さて、私は心理学に関わる仕事をしているので、どちらかというといつも気分が安定していて、機嫌が良いとか悪い、テンションが高い低いなどの感情があまりない。しかしなぜかわからないが「Tカードを出したくない日」というのがある。
Tカード出したくない日というのは、会計の際、店員に「Tカードございますか」と問われて、持っているのに「いや、ありません」と言ってしまう日である。急いでいるわけでも拒絶したいわけでもない。別段これといった理由はなく、なんとなく面倒臭いという理由で持っていないという小さな嘘をついてしまう。
しかし、つい先日、遂に来るべく日が来た。いや、いつかはこんな結末を迎えるのではと思ってはいたのだ。しかしその来るべく現実から目を逸らし、小さな嘘を吐き続けていたのだ。こんな日が来るのであれば……こんな目に合うのであれば……。
「Tカードございますか」
「いや、ありません」
「……そちらに見えてますよ」
会計の際、若い女性店員がそっと私の財布の内側を指したのだ。
「あ、ああ、こんなとこにあったのか。ないと思った。家に忘れてきてると思った。なくしたと思った。あ、ああ、よかったよかった。そうそうこれこれ、これが私のTカード。提示するとポイントが貯まるんですよね。これはお得だ。出します。はいどうぞ。ありがとうございます。あーよかった」という思念を0.8秒くらいに凝縮させた表情をTカードと共に店員に提示する。
その時に突然、この店員とランニング玄人の彼の姿が脳裏によぎったのだ。Tカード……そちらに見えてますよ……シューズ……今度持ってきてよ……。
ああ、この言葉が「親切」のラインから「お節介」の世界へ飛び越えた瞬間だったのだ。
「自己執着的対人配慮」という言葉がある。他人のためにやりたい、やってあげたいという配慮の裏に、「認められたい」「自分の価値を感じたい」という思いがあるもので、なんとなく押しつけがましい親切の正体はこれである。
人に配慮する行為の起点が自分自身にあるので、望んでいないのに望んでいること以上のことをする。相手の上辺だけの言葉に真剣に取り組み、その上辺だけの言葉を述べるに至った動機を見ない人。
つまり、親切は他人のため、お節介は自分のためにある。
決して悪気はないのだ。シューズを見てくれることも、Tカードを指摘してくれることも、どちらかというととてもありがたいのだ。だが、「ありがたい=満足」ではないというところに人間の複雑さがある。
友人に見てもらったランニングシューズが通勤バッグを膨らませている帰宅路の駅のホーム。送別会か何かの帰り道らしい中年男性が大きな花束を所在なさげに持っている。私はパンパンの通勤バッグ、彼は大きな花束に目を落とし小さな溜息をつく。終電間際の満員電車がホームに入ってくる。ありがたいなあ、でも……邪魔だなあ。悪気はないのだ。皆、優しすぎるのだ。