見出し画像

あなたパソコンよりも、今まで失ったモノの方が大きいと思うよ。

今年1月7日、私は大きなミスを犯しました。

お客様情報の入ったバックアップ前のノートパソコンを帰路に着いた際に行方を無くした事です。結果、翌日にはオフィスがある最寄り駅のベンチに置きっぱなしになっているのを、駅員さんの巡回により発見され、その駅で保管頂いていた事で完結したのですが、この経験が私の人生を大きく変えるきっかけになりました。私は、このことをいつまでも忘れる事の無いよう、ここに記述する事に致しました。

振り返れば7日、私は夜8時頃からあるクライアントの一人と大事な電話で話をしておりました。この日に限らず、ここ最近、考える事や、やらねばならない仕事量が多く、電話アポイントも少し遅れる形でスタートしました。内容は非常にセンシティブで、聞き漏らすまいと意識しながら電話応答を行っておりました。気が付けば22時となり、奈良県桜井市にある自宅に戻るべく、通話中に帰路に着く準備を応答しながら行い、駅のホームに居ました。

相手さんも、ホームに鳴り響く車両が近づくアナウンスに、「今日はこれぐらいにしましょう」と、状況を察し、電話アポイントを無事に終え、乗車することと致しました。私のオフィスから自宅のある奈良県桜井市までは、関西の私鉄近鉄電車に地下鉄から乗り継ぎ、約1時間30分を要する少し遠い場所に存在します。23時30分頃には予定通り地元の駅に到着した時に、ある事に気づいたのです。

オフィスを出る時、普段の荷物として持つ鞄の他、パソコンを収納した鞄もう一つが、手元にない事に気づいたのです。正直背筋が凍る思いになりました。地元の駅の方に、同路線や車両に忘れ物が無いか確認頂きましたが、無い。オフィス最寄り駅にあるのではと思い、スマホで電話番号を調べたところ、電話応答の営業時間が午前8時30分~夜20時迄とのことで駅ともアクセス出来ない状況であり、益々焦りが募りました。

日中の忘れ物でも、最初の時間が勝負なのに、日を跨いで大切なパソコンを待つ事に、恐怖心で押しつぶされそうになっていました。考えました。駅にさえ繋がれば、駅にさえ迎えれば何とかなるのではと思い、向かう電車の時刻を調べても途中で電車が止まる時間帯、車で向かっても、駅に入るゲートが閉まる時間帯、戻ったところでどうしようもない事態に、私は最終手段として「110番」することにしました。

電話口「事件ですか?事故ですか?」
私は「個人的な事件です!」
電話口「はい?」

その返答に「そうですよね」って納得出来る反応に、何が起きているのか説明を行いました。すると、大阪府警本部の電話番号を教えて頂き、そこでご相談するように指示を受けました。

電話口「こちら大阪府警本部!事件ですか?事故ですか?」
私は「個人的な事件です!」
電話口「はい?」

「そうだと思います」と心の声をさて置き、110番にも電話した事情も伝え、親身にお付き合い頂きましたが、府警本部は大阪府の全ての事件事故を管轄していることから、所轄の警察に相談するよう指示を受け、最後の望みとしてご連絡しましたが、残念にも時間外でその最寄り駅とアクセスできる番号を知らないとのことで、まだ事件性が無い為、その最寄り駅に出動は出来ないとの事でした。私だって分かります。日本の警察でも流石にそこまでして下さるとは思っていませんでしたので、翌朝8時30分を迎え、お問合せ電話番号の営業開始時刻を待つしかないと私は、その日諦めることになりました。

自宅に戻ると、悲壮感漂う自分に、母が「どうしたの?」って声をかけてくれたので、「大切なパソコンを失くしてしまった」と伝えました。「えぇぇ!」と驚いたのは束の間、一瞬の間を置いて母は、一言私に言いました。

「って言うか、あなたパソコンよりも、今まで失ったモノの方が大きいと思うよ。」

その一言に妙に納得し、一瞬にして冷静になりました。
この一年振り返ると漫画の様な人生でした。

自己破産し、うつ病を患い、人間不信に陥り、冷静に考えれば、パソコンを失う位でなに弱々しくなっているのだろうと。これまで、自分は如何に仕事以外の事に、あまり目を向けず重要と考えて来なかったのかを考えさせられる一コマでした。

母は続けました。
「あなたは、忙しすぎるのよ。考えるべきことから逃げ、あなたの代わりを勤められるような事に情熱ばっかり注ぐから、大切なものが何なのか分からなくなるのよ。あなたは、小さい時から何も変わってないわね。温かい珈琲でも飲みなさい。」って言うとお湯を沸かし始めました。その間、自分は珈琲が出てくるまでの間、自分の人生をゆっくりと振り返り始めました。

そう言えば、人の話を本当に聞いて来なかったな。
珈琲を入れた母が私の前に座り、私を励ますように「でも、私も色々と失敗したのよ」って、初めて母親が生きてきた人生を語り始めたのです。幼いながらも寂しく過ごしたあの時、何が起きていたのか、自分が大好きな宝石販売の仕事を辞めた理由、親父との事、私や弟の事、私の結婚の事、孫の事、家族一人ひとりについて、母が思うこと期待していることについて話してくれました。

正直、母親と何時間に渡って話したことは、中学生位から記憶がなく、全ての話が新鮮に感じました。心が暖まる優しい時間が流れていました。昔から、親は小言ばかりでうるさい生き物と思い、直接(サシ)で話すことを避けてきましたが、もっと早くに、両親との時間を持っていれば、私の人生はもっと違うものになっていたのかも知れません。

親や兄弟、親戚であろうとも人の話は最後まで聴く。

この事さえ出来る人間であれば、私の人生はもっと違うものになっていたのかも知れない。今まで感じる事のない反省と、両親の愛情を始めて感じ受け止められたような気がしました。気が付けば、深夜の3時となり、明日の8時30分お問合せ電話番号の営業が開始されるその時間に備え、お互い就寝することにしました。

布団に入った後、しばらく眠ることが出来ずにいました。いや寝れやしませんでした。母との話を通じ、多くの反省と、多くの愛情によって支えられていた事に気づき、申し訳ない気持ちで一杯でした。気が付けば夜は明け、光が差し込んできました。一睡もしていないはずなのに、私の気持ちは晴れやかで、今までにない新しい一日が到来したような不思議な気持ちにさせられていました。

時は朝8時30分、早速落し物センターに電話を入れました。
すると、出発駅のホームに置き忘れているのを駅員さんが拾って下さっていて駅で保管頂いている事を知り、一安心しました。しかし、大きな安堵はありませんでした。その理由は、このパソコン紛失を通じて、私は人生で大切なものを得たような気がしたからです。

その事を、母に連絡すると、母から話を聞いた父も嬉しそうに「良かったじゃないか」と声をかけてくれました。何歳になっても私は、この二人の子供なんだと知ったと同時に、いつも心配ばかりかけていることに、有難く感じました。

少しずつでも、一歩前へ進んで行こうと思える。そんな素敵な一日となりました。もし、私にセカンドライフのスタート日があるとするならば、それは1月8日だったのかも知れません。

本当にありがとう。


著作
44310(SISISANTO)
代表 森川慎也

普段メディアに登場されない上場企業経営者様の取材動画の収録費用に活用させて頂き、多くの方々の学びの機会提供に活かして参ります!サポート頂けると幸いです😊