極限の悲しみにかける言葉
某SNSを見ていたら、飼い主の方が愛犬の柴犬の最期の看取りをされている動画を投稿されていて、思わず見入ってしまい、そして号泣してしまいました。
もちろんそれは、我が家にも愛する家族の柴犬がいますので、まだ来ていない我が家の未来を想像したシーンと重なったからです。
いつか僕の家族もいずれこのシーンとまったく同じ経験をする…
考えただけで泣けてきます。
というより、その時の悲しむ妻や子どもたちにどう声をかければいいんだろう…
という不安が強いのかもしれません。
僕のご近所に住んでいて、幼い子どものころから知っている同年代の男性が先日、急性心筋梗塞で亡くなりました。
僕より2つ年下なんです。
幼い子供と綺麗な奥さんを残して…
家族は悲しみに暮れています。
そんな時、残された家族になんて声をかけたらいいんでしょう?
僕は心理カウンセラーなので、こんな時の適切な答えを持っていないといけない…
そう思い、非常に焦るわけです。
そういえば、似たような質問はこれまでもたくさん受けてきました。
「友達が失恋してめちゃくちゃ落ち込んでいるんです。なんて声をかけてあげたらいいんでしょう?」
「ご主人が亡くなったそうなんです。奥さんになんて言って励ましたらいいんでしょう?」
「友達の愛犬が亡くなったんです。どう言ってあげたらいいですか?」
僕はこれまで、こんなふうなことを返してきました。。
「私にできることがあったらいつでも言ってね」
これしか言えないんじゃないでしょうか…って。
絶望的な悲しみを迎えた時、助けが欲しいタイミングは人それぞれ千差万別です。
その悲しみは、他人には到底分かりっこないんです。
「分かるよ」「辛いね」
なんて共感の陳腐な言葉はとても軽々しく言えるもんじゃない。
よく自分の体験談(自分も同じような経験をした等)を語る人がいますが、必ずしも共感されるとは限りません。
私の悲しみをあなたと比較しないで!と感じるかもしれません。
また、「時間が解決するよ」「いつか忘れるよ」「一緒に乗り越えよう」「向き合わないといけない時があるんだよ」「思い出に変わる日がきっとくる」「よくがんばったよ」「あなたが悲しんでいても誰も喜ばないよ」
どれも口にすべきじゃないと思っています。
極限の悲しみを理解できる人は本人以外にはいないと思った方がいいということ。
おそらくそこに、かける言葉はいらないのかもしれません。
ただ待つのみ。
相手が“話したい”と思うならば、聴いてあげる
そうでないなら黙ってハグする。
相手の感情をなんとかしようとする気持ちが、かえって相手を傷つけてしまうかもしれません。
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