サイエンスはディープラーニングで消えるか

機械学習とそれ以外のプログラミングの違いは、プログラマが対象のモデルを持っているかによる。例えば「猫には三角の耳を持つ種類が多い」というモデルをプログラマが持っていたとする。するとプログラマは三角を検出するプログラムを書けば猫を検出するプログラムが書ける。一方、機械学習はモデルを自分で獲得する。写真を与えると勝手に「猫には三角の耳を持つ種類が多い」ことを発見する。これが機械学習とそれ以外のプログラミングの違いだ。

しかし少し深く考えてみると猫を認識するための作法はあらゆる生活の局面にある。「黒い雲あるときは雨が降ることが多い」「コーヒーを飲むと目が覚める」「ガラスを落とすと割れる」「食べすぎると太る」。人間はこうした知識（モデル）を小さい頃からの積み重ね（データ）から徐々に習得していくわけだが、この

データ　⇨　モデル

という変換プロセスは深層学習がやってることとほぼ同じだし裏を返せば深層学習は生活のあらゆる局面で役に立つ可能性がある。

他にも人類はデータから良いモデルを作るために国境を超えて協力してきた。この営みはサイエンスと呼ばれる。「人間の脳みそを刺激したら気絶したから意識は脳みそにあるだろう」「コロナウイルスに感染しないためにはワクチンを打てばいい」「空が青いのは光が散乱するからだ」。これまで人間はお互いのデータを照らし合わせて世界のモデルを作ってきた。

ディープラーニングはこうしたモデルを自分でつくれるため、いままで人間がデータを眺めながら「世界はこうなんじゃないか」と世界の隠された仕組みを頑張って予想していた時代を過去のものにしようとしている。本格的にディープラーニングが運用されてから日が浅いもののその片鱗は徐々に見え始めている。

AlphaFold: a solution to a 50-year-old grand challenge in biology

AlphaFold2はタンパク質の構造をアミノ酸配列から推定するモデルを作った。これがどれだけインパクトがあるかは「タンパク質の構造がわからないとコロナワクチンが作れない」と説明すればわかるだろうか。これまで生物学者が一生懸命データを睨みながら解き明かそうとしていたタンパク質の構造に隠された仕組みをディープラーニングが先に発見してしまったのだ。

Deep learning-based effective fine-grained weather forecasting model

こちらは天気予測をするモデルだ。従来は「ここに山があるからこの辺で雨が降る」というモデルを人間が作っていた。気象予報士はこのモデルを正しく理解する必要がある。タンパク質と違って文明黎明期から人類はこのモデルを洗練し続けてきた。しかしディープラーニングは数千年かけた人間のモデルをひょいと超えてしまった。

最近の論文を追うだけでも確実に人間がデータからモデルを作るサイエンスはディープラーニングに代替されつつあると言えると思う。現在はデータがばらばらに保管されているためディープラーニングできない分野でも一旦データが揃ってしまえば数百年レベルで人間が作っていたモデルが一夜のうちに作られることがあってもおかしくない。

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さて、人間にはタンパク質や天気と同じくらい気になる現象がある。それが心の動きだ。精神医学ではフロイトに始まりさまざまな科学者が心のモデルを作ろうとしてきた。ちなみにフロイトが考えていた心はこんな感じで意識と無意識がある（フロイト以前の時代には無意識という概念は存在しなかった）

もちろんこうした心のモデルは古代ギリシャの時代からずっと議論されてきた。議論を煎じ詰めれば心のモデルの目的は「人間はこういうときにこうするとこうなる」という予測だ。落ち込んでいる人を元気付けられればフロイトのモデルがあってたか間違ってたかは正味どうでもいい。

人間はどういうインプットに対してどう行動するのか、という議題は精神医学・心理学・経済学・哲学など幅広い分野の強い関心対象であるわけで、これがディープラーニングで予測可能になることは相当インパクトがある。つまり人間をブラックボックスとして入力と出力だけをみるわけだ（＊）

実はすでにインターネット広告のアルゴリズムは人間の行動予測モデルを使っているため人類は人間の心を解明せずに心や行動を意図した方向に変えていると言える。そこには「赤い方が目立つ」とか「文字が大きい方がクリックされやすい」などの旧来の広告のサイエンスは存在せず、ただデータとDNNが作ったモデルだけがある。

心を解明せずに心を動かすのはなんともディストピアっぽいが、早晩ディープラーニングが人間の行動予測モデルを作るようになる。そうすれば人間なんてそんなものだよねと諦めがつくのだろうか。

＊人間に心がどうなっているか、そもそも心があるかないかを気にせず、どんな刺激を与えればどんな行動をするかだけを見て人間の動きを解明しようとする学派を行動主義（https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00150430-00000142-0009）という。