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おみくじで凶を引いたのだ

地獄の師走

12月はまさに地獄の沙汰だった。
エース社員が「夢を追う」と言って退職を申し出た。眩しい理由に何も言えず「頑張って」と背中を押すしかない。

また別の優秀な社員が産休入りを告げる。
すでに11月には育休を取得している社員がいる。まぁ彼は2週間だけなので良いのだが、、

そして12月中頃さらに他の社員から妊娠の報告を聞く。
「おめでとう!」と言いながら、心の奥では「このタイミングだけは……!」と崩れ落ちそうになる。

師走とは「師が走る」と書くが、僕はもはや全速力で心をどこかに置き去りにしていた。

気づけばカレンダーは大晦日。目の前の炭酸水を飲み干しながら、人生の二酸化炭素感を噛みしめる。

初詣にて

元旦の日。妻と9ヶ月の娘と初詣に行った。

初詣は神戸、湊川神社に参った

娘は最近、意味もわからず「パパ」と連呼する。
僕のことを呼んでいるのか、それとも赤ちゃん界の流行語なのかは定かではないが、心がじんわり温まる瞬間だ。

そこで引いたおみくじが「凶」だった。
人生初の凶。見なかったことにしようかと思ったが、内容はしっかりと目に刺さる。
「失物:見つからず」「待ち人:来ず」「商売:再考せよ」。ここまで厳しいと笑うしかない。

見事なまでの凶であった

しかし、不思議と凶のおみくじを引いた瞬間、肩の力が抜けた。全てが否定されると、人は意外と身軽になれるものだ。
「期待するな」という神の無言のメッセージ。これが案外、元旦のリセットボタンになった。

初詣の帰り道。娘が「パパ!」と嬉しそうに叫んだ。
ついに父親としての存在が認められた!と胸が高鳴ったが、彼女が指さしていたのは、僕ではなく妻が手にしていた赤ちゃん用卵ボーロだった。

なんだかがっかりしつつも、この事実を受け入れるのにそれほど時間はかからなかった。
父親というのは、家族のために何かを供給する役割を果たす存在なのだ。そして、ボーロを手渡す僕の姿は、その役割の象徴だったのかもしれない。

人生は緩急の連続

僕の中で「幸福」とは緩急のバランスだ。忙しい中に休息を見つける喜びがあり、逆に休みばかりでは幸福感は薄れる。
師走の激務から元旦の静寂に至るまで、これらはすべて緩急の連続だ。神様がくれた「凶」という結果さえ、もはや休息への導きだったのではないかと思える。

突然、思い出すのは年末にいったサウナで感じた「緩急の快感」だ。
熱波を浴び、水風呂で冷え、外気浴で整うあの感覚。人生にもこの緩急が必要だとしみじみ思う。

娘との時間は、ある意味で僕の「外気浴」に近いのかもしれない。
仕事という熱波にさらされ、家庭という水風呂に飛び込む。
そして娘の笑顔の中で、心が整う。この繰り返しこそが父親としての日々のリズムなのだ。

ふと、ポケットの中にしまったおみくじを取り出してみる。「凶」という文字が、今さらながらじんわりと重くのしかかる。
でも、この「凶」もまた、緩急の一部だ。人生の浮き沈みがあるからこそ、平穏な瞬間のありがたみが増す。

そこで僕は、あえておみくじを棚に飾ることにした。
「凶」と書かれたその紙切れは、今年のスタート地点としての象徴であり、いずれ振り返ったときに「あれがあったからこそ今がある」と思えるようになるかもしれない。
これは、自分に課したささやかな「縁起担ぎ」だ。

未来へのリズムを刻む

娘が眠りについた後、僕はリビングの片隅で今年の目標を書き出してみた。

肩の痛みを克服してジムに通う、家族ともっと笑顔の時間を増やす、仕事の中でも楽しい瞬間を見つける――なんだか地味だが、これが僕にとっての「緩急」を整えるためのリズム作りだ。

そして、もう一つ。「卵ボーロ」からの脱却。
娘にとって、父親とは「お菓子を渡す人」ではなく、笑顔の時間を一緒に過ごす人でありたいと思う。
そのためには、まず自分自身の緩急を整え、人生という大きなサウナの中で「ととのう」瞬間を増やしていく必要があると実感したのだ。

元日の夕方に妻と子は実家にかえっていったので
早速新年初サウナへ
振る舞い酒があった

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