諦め続けた結果。
1月27日金曜日。夜10時。
今は某カルディで注文した赤ワインを飲んでいる。
普段ワインは飲まないが、ふと今日衝動買いをしてしまった。
これは自分への「とりあえずお疲れ様」の意味で買ってあげたようなもの。
今の仕事を諦めた。
今月末で退職する。
4年半在籍した。
途中、部署異動を2度した。
全くやったことのない仕事。
営業志望で入社したが、早々に会社から適性がないと諦められた。
異動の表向きは欠員補填だが、事実そういう理由だ。
その後も藻掻いたが、こちらから今月で見切りをつけた。
諦めたのは人生で何回あるだろう。
幼稚園児の頃、お遊戯会で主役のピーターパンか悪役のフック船長のどちらかを今で言うオーディション形式で競わせ、最後の最後で学園長から主役の座を諦められ、フック船長をやったのが最初だろうか。
小学生時代。好きだったものの生まれつきの運動神経のなさで少年野球チームのレギュラーの座を諦められた。
最後は呼ばれることのない、代打の切り札だった。
高校時代。当時好きだった人に最初の告白をしたが、別に好きな人がいるという理由で諦められた。
19歳。運転免許の取得のために教習所に行ったが、バイトと学業が止められないというこじつけで、実際はスケジュール管理ができずに教習期限を迎え、諦めて退所した。
22歳。就職活動。内定が出ないまま卒業まで粘るんだと意気込んでいた中で襲った東日本の震災。卒業までに就職先を見つけることを諦めた。
30歳。この年までに結婚をするんだという親への決意を20歳の頃にしていた記憶があるが、あっという間に時は過ぎ、29歳と11ヶ月の頃は転職活動中のいわゆるフリーターをしていたので難なく諦めた。無論付き合っている人すらいない。
その他数え切れないほどの諦めをしていたような気がする。
そして、来週で4つ目の就職先を退職することになる。
森博嗣著「諦めの価値」を読んだ。
人生は諦めの連続である。そして、諦めは戦略である。
世間的に悪いこととイメージされる諦めるものに対して深い洞察がなされている。
都合のいいように聞こえるが、人生の節々で救われる言葉かもしれない。
次の岐路がいつ来るのか、今から楽しみで仕方がない。
そう考え方を切り替えていくと、実は過去に経験したことはすべていい人生を送るための布石なのかもしれない。
日曜も夜間も仕事をしていた自分に、とりあえずのお疲れ様を言いたい。
既に次の仕事を見つけた。
あと、昨年から教習所に再チャレンジして自動車の運転免許ももうすぐ取れる。
流石にこればっかりは、お金と時間がかかるからもう諦めたくはない。
今日はもう少しだけ、飲んで寝ることにする。