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夏になると思い出す話
夏なので怖い話をしましょう。たぶんいまどきのみなさんからすると、あんまり身近なキーアイテムはないので、尾を引くほど怖くはならないと思います。これはわたしが母から聞いた話です。
わたしが高校生のとき、老朽化とシロアリの問題で家を建て替えました。いまある家の真隣、駐車場にしてた部分に家を建てて、新しい家が建ったら古い家を取り壊してそっちを駐車場にします。住所が変わらない引越し、田舎ではときどき聞く話です。伊勢神宮ちゃうねんぞ。
古い家というのが、建て替え当時で築60年、わたしの曽祖父が建てた家で、わたしの祖父はそこで生まれ育ち、わたしの母も家は別でしたが近くだったので入り浸って育ちました。小さい工場を経営していて、当時は他にもなにやら財産があったらしく住み込みのお手伝いさんが一人いたくらいの、結構裕福なお家でした(いまはからきしですが)。
そしてその曽祖父のお嫁さん、つまりわたしの曽祖母、わたしはこの人のことを介護用ベッドで寝たきりの、痩せこけた白髪をざんぎりにしたおむつの人としか覚えてないのですが、その曽祖母という人は、広島出身で芸者さんだか踊り子さんだかだったそうです。
築60年とはいえ、間の30年目あたりで一度リフォームしてあるような気がする、というのが母の記憶です。確かにベランダ(物干場)がいかにも後付けっぽい場所にあったりしました。リビングもなんか微妙に出窓風になってたりしましたし。さらに曽祖母が脳の血管をブチッとやって寝たきりになったときに、勝手口にスロープをつける、風呂場とトイレを車椅子対応にするなどの改築もしてあったようです。
そして曽祖母の死後、母以下わたしたち家族がそこに移り住みました。隙間風がハンパなすぎて通気性の範疇を超え、年間通して室温が外気温と同じで夏は暑く、冬は寒く、襖を開けたら桟からゴキブリが降ってきたり、屋根裏を走るネズミを追いかけて庭にイタチが出たりするほどの家です。
田舎と言ったって電気もガスも電波も安定、上下水道は完備で道端には側溝もなく、道路はすべてアスファルトですし近くに田畑もなければボットントイレのご家庭もないのでバキュームカーが通ることもありません。ある程度都市化が進んだ、地方の都市部くらいに思ってください。結構都市化した部分に住んでんのに、このようなオンボロ家屋でした。築60年の日本家屋はめちゃくちゃ肝煎りに手入れをしないとこんなふうになるようです。
まあこの辺はあんまり関係ないのですが、その古い家には古いお人形がいくつかありました。きちんと整理してあったので人形屋敷みたいなのではありません。ガラスのケースがパコっと嵌められた日本人形です。確かもう少しあったのですが、移り住んだときに手鞠やこけしなど後腐れのなさそうなものはある程度処分なりなんなりに出したようです。
しかしながら赤い着物のおかっぱの日本人形と、白い鬘の立派な鏡獅子の二体だけは、祖母の反対や御供養に出さないといけないという煩雑からそのままにしてありました。そのままにしたまま、その家に10年以上も住んでいました。家族五人で住むには狭い家だったので、お人形たちを置いてある床の間のある部屋では、両親と弟が寝ていました。そうしてわたしが高校生のとき、家を建て替えました。
わたしは高校生で、夏休みに入ったか入る直前だかの頃です。外構はやりかけでしたが、家自体は完成していたので新しい家で寝起きをするようになって、二日目か三日目くらいの頃です。その次の日、二体のお人形たちの人形供養にいく予定でした。地元ではここしかないと言われるくらいの、人形供養ではかなり有名なお寺です。
その日はみんなで夕食を食べ終えて、みんなそれぞれの居室で寝ました。やっと兄弟全員分の個室ができて、一人で寝られるようになりました。両親はおんなじ部屋で、一つのベッドで寝ていました。このベッドも曽祖母が使っていたもので、当時にしてはかなり良いものだったらしくいまだにうちの両親は現役で使っています。
夏だったので、エアコンをかけていたため各居室は戸を締め切っていました。当時チワワが1匹いたのですが(いまは3匹いる)、そのチワワは両親の部屋で寝ていたようです。うちは犬と一緒のベッドで寝る派の家です。
ベッドで寝ていた母は、夜中に扉の外から「お母さーん」と呼ばれて目を覚ましました。ちょうど丑三つ時くらいの時間です。わたしと妹の声は非常によく似ているのでどちらかわからなかったようなのですが、お母さんと呼ぶのは妹なので妹だと思ったようです。体調でも崩してそれを知らせに来たのかと思いつつ、眠かったので目を開けずにいました。
そうしたら、また妹の声がさらに続けて「お母さーん、いこう」とどこかに誘うようなのです。母は夢遊病か、寝ぼけているのかうっかり家から飛び出したら困るし、あるいは盆が近いからほんとに妹がどこかへ連れていかれるんじゃないかとびっくりして起き上がって、妹の部屋を見にいきました。
妹は部屋でぐっすり寝ていて、途中立ち上がったような気配もありませんでした。ついでにわたしの部屋も確認しましたが、わたしも問題なく寝ていました。首を捻りながらまた部屋に戻って扉を閉め、ベッドに潜ってまた眠りにつきかけた頃、また扉の外で「お母さーん」と呼ぶ声がしました。
今度は父の声でした。しかし父はそのとき母の隣で寝ていて、もちろんそんな声は出していませんし、声の出どころは確実に扉の外です。ついでに父は母のことをお母さんとは呼びません。母は、狙われているのは妹ではなく自分であると考えて、目を開けずにそのまま寝ました。
次の日、人形供養に持っていくために古い家の2階、床の間のある部屋に入ると、埃だらけの床の間で白い鏡獅子のガラスケースがずれ、中で鏡獅子が斜めにこてんと倒れていたそうです。そこからはご想像の通り、大慌てで人形供養のお寺へ走って、丁重に御供養していただきました。
この話はここでおしまいです。わたしはこの話を御供養に出した日の晩、晩ごはんを食べながら聞かされました。そしてここからは後日談で、妹から聞いた話です。これを聞いたのは今年に入ってからです。ちなみに妹は母の話を聞いておらず、知りませんでした。
人形供養の前日の晩、妹は夜中に誰かに扉をガタガタと揺らされ、なんで開けへんねんと思いながらも寝ぼけて「う〜ん?」と唸り返したそうです。そうするとその誰かが「いる?」と尋ねたので、知らない声でしたが「うん」と返しました。その後、少し目覚めたので時計を見ると、日付が変わってほんの少し経った頃でした。
時系列にまとめると、その誰かは日付が変わる頃に妹の部屋の前で妹に「いる」かどうかを尋ね、その後丑三つ時に両親の部屋の前で妹の声で「お母さん、いこう」と誘い、慌てて起き出した母がまた寝たのでまた扉の前で、今度は父の声で「お母さん」と呼んだということです。そして次の日の朝、鏡獅子のガラスケースがずれ、中で鏡獅子は倒れていた。
芸者さんだった曽祖母が死ぬまで住んだ家で、曽祖母が集めた鏡獅子が、孫である母を呼んだ(かも知れない)のは偶然だったのでしょうか。しかもついでに言うとわたしは顔も体格も父親似、妹は顔も体格も母親似です。どこかへ呼んだのか、なにか伝えたかったのかは知りませんが、夏になると思い出すちょっと怖い話です。