20220615
昼前、雨がざーっと降ってきた。洗濯物を入れるためカーテンに手をかけようとした瞬間に、物干し竿にすずめが飛んできた。濡れた体をふるふるふるふる震わせて、せっせと毛繕いをはじめた。丹念に、丹念に。私は待つしかなかった。このカーテンは、中から外は見えるのに、外から中はほとんど見えないので、すずめは私がすぐそこに立っていることに気がつかない。羽を持ち上げたり、尻尾を振ったり、かなり長い時間毛繕いをして、左の方へ飛び去っていった。私はゆっくりカーテンと窓を開け、湿った洗濯物を取り込んだ。
雨だし、生理がはじまったばかりだし、一日ぐずぐずしている。古本で買った小川洋子『余白の愛』は本文の紙が日焼けしている。実家にある本と似たこうばしいにおいがする。そのにおいは雨の日によく似合う。本の中では雪が降っている。
欲しい本が何冊もあるので本屋に行きたいのだけれど、本屋という空間が今は苦手だ。本が好きな人間なら本屋が好き、というのが当然のことのように思われるし、本屋にずっといたいと思うような時期も実際あったけれど、今は違う。本屋には、本が好きな人しか来ないわけではないし、私の好きな本だけが置いてあるわけではないのだもの。そんなの、当たり前のことだけれど。
自分の中だけで生きていたいんだな、と思う。知らないものを知りたいとか、見たことのないものを見てみたいとか、新しいことをしたいとか、そういう気持ちがまったくない。私の中にあるものを、取り出したりしまったり、あたためたり磨いたり、そうやって生きていたい。そこには綺麗なものや楽しいものばかりがあるわけじゃないけれど、だからこそ、もうこれ以上何も望まないし望みたくない。
そしてそんなふうには生きていけない、ということもわかっているから、私はいつだって絶望している。