![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/152631815/rectangle_large_type_2_06febf41a76b48da7c8e4c1a93f14cf6.jpg?width=1200)
夏が往くまえにnoteに記しておきたい。
気がついたら今日は8月の最後日。
こちらはまだ午前中で、今日はまた日本語補習校の日。なんだかんだ1週間の中で1番忙しいのは土曜日で、それは理事長仕事があるから。
もうすぐ運動会なので関連事項を詰めないといけないし、コピー機の台数を減らすことを講師の方々に納得して貰わないといけない。
補習校はコロナ禍を経て生徒数が減り続けており財政がかなり苦しい。それなのに政府の援助金が今年度少なくなり財政をどうするかに頭が痛い。来年度の講師が1人減ることで後任を探していたが、その問題は一番良い形で収まることが今週判り安堵した。こんな風に多方面からいろいろあって、別に学校運営におけるスキルも何も持っていないのに、なんとか状況に合わせてやっていかないとならない。事務員さんが欲しいと思うが週1回の学校では現実味ゼロなので、保護者がボランティア精神でやっていくより他はない。
こんなにヒイヒイなのに理事会に何か旨味があるのだろう・・と思っている保護者も本当にいるらしい。現世的な旨味なんて全くないのだけど。
そういう風に思う人もいるだなぁとちょっとビックリする。全部ボランティアだし持ち出しも一杯あるんだけど、それじゃあ来年度理事会に入ってくれれば良い。
この体制で今後もサステイナブルにやっていけるのか?はすごく不安だ。私の任期は2年で来年5月までだけど、理事長や副理事を引き継いでくれる人...いるんだろうか?
人数も減ってきているし、近い将来消滅する可能性だってあるかも知れない。50年の歴史がある日本語補習校なんだけれどな。。
そんなことが常に頭の片隅にあるのだけれど、今日書きたいなぁと思ったのはこれから行く補習校のことではない。
夏の間はそんな補習校のことも9割方忘れていた。夏休みに義妹の産後のお手伝いに通えたのはこちらの夏休みと出産がばっちり重なったという偶然があった。
ドイツの夏休みの日程は毎年変わるので、これが1年前でも1年後でもなく今年のスケジュールがそうだったことに大きな縁みたいなものを感じる。
向こうにも再三確認して本当に来て欲しいと思ってくれたようなので実行した(小姑が手伝いに来ることで逆にストレスではないかと心配であった)。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/152631500/picture_pc_ed3f5678b27234e0fdf45db24bce518e.png?width=1200)
子供達と長い時間を東京で過ごせること、初めての甥っ子に会えることは初めから楽しみにしていたけれど、実際に弟の家に通って料理を作ったりするのは結構プレッシャーで、最初の数回は無意識にかなりドキドキしていた。
5歳下の弟とは今まで縁が薄かった。
高校卒業と同時に家を出たので一緒に暮らしたのは13年くらい、彼の記憶に残っている歳月は10年に満たないものだと思う。そこからは年1回会うか会わないかだったし、なにより一緒に暮らしている頃の私は控え目に言っても最低な姉だった。一方的に力でねじ伏せるような暴君ぶりで、意地悪だった。
この弟が生まれた時を私はよく覚えているが、母の溺愛ぶりに嫉妬の嵐だった小さな自分だった。家で暮らしていた頃の思い出はかなりの部分、暗く辛い感情と密接しているので、ここには今回は詳しくは書かない。
端的に言って私と家族(父母そして弟)の関係は特に思春期以降かなり酷いものだった。
家を出て様々な経験をしていくうちにこの『酷く弟を虐めた』ことをとても後ろ暗く感じるようになった。なぜもっと可愛がってあげなかったのか?と自分を責めたし自分にはなにかが欠落しているのではないかという恐れは、それは実家に居た頃からあった。後年母親になって子供を愛せる自分に人知れずホッとしたものだ。
弟への懺悔の気持ちは常にあったけれど、今更どうやってそれを伝えられるのか、そもそもそんなディープな話ができる関係性でもないし、謝って終わることでもないと思っていた。
それが今回の夏以降、弟との関係が変わったと感じるようになった。
以前は必要事項を伝達する手段に過ぎなかったLINEでのやり取りが、短くても心の温もりみたいなものを感じるようになった。
「Netflixこのドラマが良いよ~」「じゃあそれ観てみるわ」そんなやり取りができることが素直に嬉しい。ちょっと泣いちゃうくらいうれしい。
過去のこと、いつか「ごめんね」と謝りたいけれど私たちはもう以前の同じ家に暮らしていた姉弟ではない。ともに大人になり、これまでに様々な経験をして今を生きている者同士だなと思う。
この夏は今までずっと引きずっていた、古くなった臍の緒みたいなものが外れていった時間でもある気がする。
8月に2回、1年半ぶりのヒプノセラピーを受けることができ、そこで大きな発見があった。
次回は恐れずにこの経験をnoteで綴っていこうと思う。
そんな8月だったから “ありがとう” と言って見送っていきたい。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/152631458/picture_pc_62fcdb1ed248fd3fdbdf57db4c078bd6.jpg?width=1200)