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ヒプノセラピーで解放された心の軌跡【前編】

夏に母と旅をした。
3日間も母と2人でいたのは、私が夫と別れる以前に遡るので「その頃のわたし」と「現在のわたし」とでは大きく違うと思う、ビフォーアフターみたいな感じで。
一緒にいた時間のなかで胸がザワリとしたことがあった。本当に理解してもらいたいことが母には届いていないのだなと感じた。

「私はDさん(元夫)のこと好きよ」とサラリと母に言われた。

言外に “あなたにも悪い所があったのだから...” という声が聴こえたが、それはあながち私の被害妄想ではないと思う。
この5年、折々で状況は話して来ているのだから今更、母の思いをどうにかはできないだろう。
もしかしたら、母とは真には繋がれないのかも知れないな...と思う。寂しいことだけど、でもそれはもう仕方がないことだと思う。

“解って貰いたい”
“慰撫してもらいたい”

旅の途中、子供のように母に対して願う気持ちをそのまま受けとめてみた。
自分が母の言葉の何に傷つき、本当は母にどう言ってもらいたかったか恐れつつ見つめてみた。

見つめた奥に柔らかな自分がいた。

「アナタはよくやって来たよ」
「私は知ってるからね大丈夫だよ」

心の中で声をかけソッと腕をさする。
目の前に流れる景色を見て「世界がそこに在る」ともう一度、目を開いて見てみる。
見えなくても知らなくても皆んなが色んな気持ちを抱えて生きている。
そう思ったら心が、ひたと凪いだ。

この数年は自分の中にある傷と向き合った日々だったと思う。
夫婦関係の危機がその大きな契機になった。
夫の不倫が自分の40代の日々のど真ん中にあった。夫だったひとの不倫を知ったのが、ちょうど40を迎えた年で、そこから別居があり離婚があった。そんな悲惨な40代に見えるのかも知れないが、自分の人生で「これはしなければ」ということもやってきた。ドイツで看護師の資格を書き換えのため、半年間フルタイムで研修という看護師業務をしたし、日本に家族で移住し助産師と大学卒業資格も取ることもできた。
でも、それがふと夢だったのではないかと感じるほど、夫婦間で起きたことは衝撃的でインパクトがあった。
カウンセリングも長期的に受けてきた。
日独ハーフの精神科医、日本人心理士さんのカウンセリングに対面で長距離を移動しながら通った。オンラインでコスタリカに住むとても素敵なカウンセラーさんにも出会い、今でも時々お話を聴いてもらっている。
そうやって向き合って来たが、自分で掘れるところまで掘り尽くした感もあった。

そしてヒプノセラピーを2023年2月に初めて受けた。
ヒプノセラピーについては、かなり昔からそういう療法があることは知っていた。十数年前に、受けてみたいと強く思ったこともあったがその時は調べるだけで、やはり敷居が高いというか実際に行動に移すことはなかった。

ヒプノセラピーは自分が信頼できるセラピストと出会うのが重要だが、私はそれがある不思議なご縁で結ばれた。
数年前に親友のHがご主人を病気で喪い、ご主人の友人だった人に紹介してもらってHがヒプノセラピーを受けた。私がそのヒプノセラピストのところへ伝手で辿り着いたのは、昨年の2月に帰国した時だった。

そして2度目のヒプノセラピーを今年の8月1日に受けた。

ヒプノセラピーは心理療法の一つで催眠療法と呼ばれる(“催眠”といっても意識はちゃんと有る。呼吸と誘導により深く集中した状態)。

ヒプノセラピストのO先生の誘導で独りでは潜って行けない意識の深い所、潜在意識へと旅する。自己への深いアクセス(潜在意識)ができるヒプノセラピーは、例えるなら今まで正面からしか見えていなかった自分を、裏側からそしてずっと下方から、深く体感していく療法だ。
“人は宇宙を内包する”と無意識下の世界が喩えられるけれど、深い深い意識が深海のように広がっていて、その海の上部に漂っているのが“わたし”と自分で思っている自分-頭の中に居る自分-だ。

ヒプノセラピーを通して、自分の中に広がる無意識の世界/潜在意識の世界を実感として少し理解できるようになった。今回のセラピーで向き合ったのは、端的に結果から言えば「トラウマ」だった。
トラウマ=心的外傷というのは看護師として知ってはいたが、その意味...何がトラウマなのか?その実相について恥ずかしながら全く理解していなかった。

ここ数年、自分と向き合い自分の中を掘っていくとどうしてもぶち当たるものがあった。
自分を振り返り見つめる作業は、元夫が不倫をしてから(それが判明してから)自分のなかで待ったなしで始まった。第一子出産後、産後ウツを長く引きずったことも、幼少期からの親子関係が無関係では無いと思ったけれど、ウツを克服しても、深いレベルで何かに躓いている感覚があった。
何か忘れているような、それでいて一体なにをどこに忘れているのかよく解らない。
たくさんの経験を経て歳を取っても、自分自身が親になっても、両親への特に父親への憤りや言葉にはできない縺れた感情が残っていた。そしてそれが事あるごとに引き金のようになって心が葛藤した。

それは一体何なのか?
自分の中に何が眠っているのか?


現実の私に影響しているのは分かっても自己解決では限界を感じていた。独りで頭で考えているうちは解決は難しいと感じた。
それがヒプノセラピーを受けようと思い切った理由だった。

1年半前のヒプノでは遠い遠い自分だったもの、それは前世と呼んでよいものかも知れないを見ることができた。“それが本当か”どうか抜きにしても、それが映像として見えたことで、今まで考えたこともない世界に触れたことは、また新しい扉が開かれた感があった。
今回のヒプノセラピーでは現在の自分の中に眠っていて見えなかったものを探したいと思った。
何が有るのか全然分からなかったけれど、それをちゃんと知りたいと思った。

だからか、ヒプノセラピーの途中でとても怖いと感じた。自分の意識の底に潜るということは、知らなかったことに向き合うということ。
今まで知らないでいれたものを自分から見に行くのだ。

「何があるのか怖い...」

でも私は今まで見えなかったものを見たいと願ってここまで来たのだ。
そのままにしておけば、同じこと、同じところで自分は躓き続けるだろう。それはもう嫌だった。

自分を勇気付けて意識の底を、O先生の誘導と共に降りて行った。

つづく

2023年の誕生日に断食サナトリウムでプレゼント
していただいた小さな蘭がまた綺麗に咲いている



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ヒプノセラピーのことをnoteに書きたいと思いながら、1年半以上が経ちました。
今回のヒプノセラピーで向き合ったのはトラウマで、この事を書くのは勇気が必要でした。
なぜそれでもnoteに書くのか?と自問した時に、言葉にして纏めたいという以外に “共有したい” という想いに気がつきました。
noteという場を通して時と場所を越えて人と共有したいのだと思いました。
内面への旅は時に怖いものですが、そこを超えて行く素晴らしさもあります。

この続きを再び自分の中を潜りながら書いていきたいと思います。
後編もよろしくお願いします。

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