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花曇りのなかで

今年の春は寒い、ずっと寒い。

花々は咲いているのに朝夕は数度、という日がなかなか終わらない。
ライン川の反対側に住んでいる友人の所は、谷になっている地形からこちら側より常に2,3度低いが、最近でも毎朝氷点下だそうだ。

もう4月も下旬だというのに。

余談だが、その友人の住む地域は有名な赤ワインの産地で、また一昨年の水害の被害をかなり受けた地域でもある。
娘さんが通う小学校が水没したり、ご主人の親戚もほとんど被災して今でも不便な生活を続けておられるそうだ。
友人宅は高台に近い所に立っていたお陰で水害には合わなかったが、日本に比べて災害後の復旧が遅いことに驚くことばかりだそうで、それによる様々な生活の不自由さの中でこの2年間を暮らしている。

先週の日曜日は旧市街の有名な桜並木を女友達とその母親と見に行った。
友人はニューシャという名のイラン人で、次男が行っていた学童で彼女が働いていたことがご縁で親しくなった。
シングルマザーで5年生になる娘と二人暮らしで、今回初めてドイツを訪問することが出来た母親が、今月末までの3か月間彼女の家に滞在している。

ニューシャはドイツに来て8年になるが、移住の形が当時夫だった人の亡命によるもので、ドイツに落ち着いてからも様々なことがあり苦労を重ねた女性だ。

今は地元の役所で難民や移民の通訳の仕事にフルタイムで就いていて、仕事の話を少し聞かせて貰ったが、どれも決してニュースにはならない類の話だった。
難民者のために移住先を決めて、新品かそれ同様のもので生活用品などを整えて、数週間後に生活を見に行くと家の中がめちゃくちゃに汚れていたり、ウクライナ人が、ウクライナ国内の家族に会いに行くとの名目で、航空券代もドイツ政府持ちで数週間バカンスに行ってしまうこともよくあるらしい。どれも公にはならい人間臭くリアリティに溢れた話だった。

自身も亡命者として苦労を重ねてここまで辿り着いた彼女が、複雑な気持ちでそれらを見ていることも感じられた。
同じ異国者としてでも、私なんかとは全く境遇が違う。
私はいつでも自由に祖国に帰れるが、亡命した彼女はドイツのパスポートを得なけれなばイランに一時帰国することもままならない。

「いつドイツのパスポートを貰えるの?」と問うと、“私がフルタイムの仕事に就いたら...”と、それは外国人のシングルマザーにとってとても難しいハードルに思えた。
いくら政府からの職業訓練サポートが有っても、独りで家政を切り盛りしなければならない彼女にとって簡単では無かったはずだ。

この年下の女友達は、それでも伴侶がした事で苦しんだ私のことを、とても近く感じ慕ってくれていることを会うたびに感じる。

久しぶりに会って、私の近況を話したらとても喜んで泣いてくれた。そばにいる母親にもペルシャ語で訳したらお母さんまで涙目になって抱きしめてくれた。
二人からハグを受け、そういう情に厚いところが、この地で暮らしているととても異質に感じるが、そんなアジア的な感情の揺れ方のほうが自分には合っている気がした。

彼女の苦しみは亡命そのものではなく、理想的に見えていたはずの夫がドイツに来て急に自分達家族に無関心になり、普通の夫婦関係を全く築けなくなった事にある。
家事も育児もノータッチで仕事にさえ行かない、話合いも出来ない夫を見つめながら、まだ幼児だった娘を抱えて、離婚前と離婚後もどれほど心細く大変だったかは、私の夫婦問題を話すことと交互に彼女の口から語られた。

メールをやり取りする相手はいるけれど、やはりまだ男性を信じられない、同じ事が起こるかも知れない、と傷に巣食う不信感から自由になれないニューシャを見ていると胸が痛んだ。
いつかこの満開のピンクに輝く桜のように、心から笑い合えて信頼できる相手と巡り会って欲しい。

自分のために泣いてくれる友人の存在がただ尊く、けれど私にはそれをうまく伝える異国の言葉を持たない。
その想いは、この朝の凍える様な中で満開を保つ淡く凛とした花冷えの匂いに少し似ている気がする。

フリーダ・カーロが好きなニューシャが撮った一枚
おじ様も共に絵になるね...と話し合った
並木通りにあった素敵なカフェ
コート掛けの後ろが隠し部屋ならぬ
隠し化粧室になっていた
知らぬ内に撮ってくれていた一番気に入ったポートレート




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