ただいま瞑想中。
1月に入ってしばらくしたある日の夜、唐突に眩暈が始まった。ふだん眩暈などあっても一瞬なので目を閉じてもひたすら、瞼の奥でグルグルと世界が回転している状態に焦った。
それが丸一日半続いて3日目の朝、目を覚ましたら眩暈は終わっていた。
眩暈と一緒に軽い嘔気もあって、これが何かの風邪ウィルスによるものなのか、心因性のものなのか、もしや更年期障害か!?と焦ったがよく解らない。
ただ眩暈が起こる少し前に久しぶりに元夫 Dとひと悶着があった。
悶着というか、私が一方的に口火を切るようにして伝えたいことを言ったのだが。
本当は年を越す前に話しておきたいことだったのだけど、12月にいろいろと予定外のことが起こり、それらの対処をしているうちにDと話すエネルギーが枯渇した。
もう今年じゃなくていいや・・・と先延ばしにしていても蟠りとして、いつもシンと心に居座っていた。それが不快で、えいや!と話し出したのだけど、そのせいか思った以上に感情が乱れ泣きながら訴えることになってしまった。それはそれで仕方なかったと思ったのだが...そのすぐ後に始まった眩暈に狼狽えてしまった。
時を同じくする様に、外では雪がしんしんと降り積もっていた。
❄︎❄︎❄︎
最近、寝る前に少なくとも1回は瞑想をするようにしている。頭で考えるのではなく体に聴くため。
顕在意識で考えることからもう少し深い領域、潜在意識に分け入っていくため。ややもすると頭で答えを出そうと焦る自分に距離を与えるためだった。
内省も内観も大切だけど、ある程度突き詰めてしまえば後は堂々巡り、最終的にネガティブな方向へ思考は行ってしまう。頭で考える限界みたいなものを感じていた。
全く異なるアプローチである瞑想は遠回りなようで、実は一番望む方法なのではないかと、大切な友人が助言をくれた。
答えを欲しがる頭で“にわか仕込みの答え”を出して解った様に生きるのは嫌だと思ったから、助言通り毎日瞑想をしてみる事にした。
その夜も激しい眩暈を自覚しつつ一応瞑想をしてみた。
数時間前のやり取りがぼんやりと浮かんできたが意識の底に自分を降ろしていくとフト閃くような感覚があった。
私は自分の人生に本当の意味で責任を持っていないなぁ...
Dとなにか感情的なやり取りをすると、どうしてもこういう事を言ってしまう。普段はもうほとんど考えないことを。
きっと私の深い底にはいつまでも消えずにこんな思いが残っている...。
それから今までそれ以上知ることを避けていただろうものが浮かんできた。
私は自分の人生の本当の責任を取ってない
いつも彼のせいにして、ここに居ることを否定して逃げ道を作っている
ドイツに来ることを決断した17年前のことを私ははっきりと覚えている。
すごく悩んで考えて、そして下した決断でドイツへ渡ったのだ。それは私がした決断だ。
不倫が分かってから、何度か身の振り方を真剣に考えた。これ以上考えられないくらい考え抜いて、懊悩しながら決断したこと。
ドイツに残るメリットとデメリット、日本に帰るメリットとデメリット...
自分の事だけではなく、子供達の人生について親として、あの時できる最大限の想像力と自分なりに描いた未来を秤に載せて私は決めたのだ。
だからドイツに居るのは、紛れもなく自分自身の決断なんだ。
それなのに、心の何処か大きな部分で「ここに居てやっている」という気持ちがあったし、自分ではどうにもできないことに縛られている気がしてならなかった。
どこにいても100納得できる場所なんてないし、そこが100悪いなんてこともない。
自分が思っている以上にドイツにいる恩恵が在るのだという気もする。
この場所で、私は護られているような気がするし、今している経験はきっと掛け替えのないものなのだろう。
ドイツ語で看護師の仕事をするのは、日本で働くより何倍も大変だ。あんなに苦労して5年前に取得した助産師の資格も、ドイツで生かすことは難しいだろう。あと約8年間はドイツでこの暮らしが続くと思う。
あまり先のことは考えても意味がないと思うので考えないけれど、全ての子の教育が終わるまで(大学教育入学までの)そのくらいの時間が大方かかるのだろうと思っている。
そんなことを時折考えながらひたすらじっとしていた。極力考えないし考えても無駄な気がした。そんな折、偶然YouTubeでオペラのワンシーンを見て途端に心が動いた。
鳥の囀りのように軽やかに転がり、壁を突き抜けるように響く歌声...それは、モーツァルト作曲魔笛「夜の女王」を歌うディアナ・ダムラウだった。
この曲を歌えるソプラノ歌手は世界でも限られているそうで、ディアナ・ダムラウは最も優れたオペラ歌手のひとりだという。
その流れでエッダ・モーザーも知った。
彼女の歌声は『1977年に打ち上げられたボイジャー探査機に積まれた「ゴールデンレコード」にもその歌唱が刻まれた』、そうである。
ふたりともドイツ人であり、ディアナ・ダムラウのインタビューやドキュメンタリーはYouTubeでたくさんアップされていた。
日本語字幕がない動画も観て理解することができるのは、ドイツ語を学んでいるから。
自分がドイツ語を理解する人間になるとは思ってもいなかった。
ドイツ人ならリサイタルがドイツであるのでは?と思い立って調べてみたら、なんと2月にある都市で行われることが分かった。その都市はうちから240キロの所にあって車で行ける。ちょうど自分の誕生日辺りだし、席も最前列がまだ2席だけ残っていたので思い切って予約した。
自分へのバースデープレゼントだ。
こうやって思い立って素晴らしいオペラ歌手のリサイタルに行けること、それらは全てドイツにいる恩恵だ。
これからのドイツにいる年月“自分が犠牲になっている”とか“嫌々居たくない所に留め置かれている”とか、そんな風に思って過ごすことこそ何かを失い続けることなのだろう。
ドイツは決して自分が惹かれて来た国ではなかったし、結婚生活がこんな風に終わることも予測していなかった。
それでも私はここに居る。
今いる大切な世界から目を覆って生きているのなら、その覆っている自分の手をどかして、自分の足で立っていたい。
私は羽ばたくように生きていきたい。
ディアナは少女の頃からプリンセスに憧れたことはなく、夜の女王の激しい母親の姿に惹かれたとインタビューで話していた。
生きていくなかで、ときに激しく心を駆り立てるものがある。そんな激しさを内に秘めながら、当たり前のように見える日常を紡ぐ。
丁寧に丁寧に。
異物を吐き出せなくて、母貝が貝殻成分でその異物を包み込んで作る真珠のように、私も自身の内にあるものをもう無理に排除しようとするのは止めよう。いつか自分の中にも真珠が生まれることを夢みて。
そんな風に願いながらこの曲を聴くと新しい人生のページが視えてくるような気がして来ます。
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