誰にも伝えられなかったこと6
父には感謝していることがある。
それは、美味しいものを好きなだけ食べさせてくれたことである。
けれど、そのせいで子供時代の私はぽっちゃりしていた。
家に不在がちだった父と唯一会える場所は夜の外食先だった。
その時にしか家族が揃わなかった。
寂しいというよりも、グルメな父がいつも美味しい所に連れて行ってくれるのが楽しみだった。
フレンチのフルコースでテーブルマナーを初めて教えてくれたのも父だった。イタリアンでは、スペアリブ、ピザ、ボローニャ風パスタの上にカツレツがのっているものが最高においしかった。お寿司は特に穴子が好きで、そればっかり注文していた。ふぐ料理、しゃぶしゃぶ、ちゃんこ鍋、カニ料理、ロシア料理、割烹、焼き鳥、中華、お好み焼き、焼肉。
今でも、何を食べたか鮮明に思い出せるほど、その時の記憶は色あせない。
ある時、福岡の高級フレンチレストランの個室で食事をしていた時、4重奏の演奏家の方々が入って来られて、私か妹かのバースデーのために曲を演奏して下さって、度肝を抜かれた思い出がある。たかが小学生のために、何という演出をするのだろうか、この父親は。。。と、大変ばつが悪い思いをしたのを思い出す。
母の誕生日には、母の年の数だけ、赤いバラを一緒に買いに行こうと誘われて、花屋さんについて行ったこともある。
格好つけなのか、演出好きなのか、よく分からないまま、父と母は別れてしまい、もう父に会うことはなくなった。。
父はガンで56歳か57歳で亡くなった。ガンで入院していると聞き、病院名が分かったので、勇気を出して、電話したことがある。運よく、父に繋げてもらえた。忘れていたが、あの父の懐かしい声だった。気のせいか父は嬉しそうだった。でも、その電話が最初で最後だった。結局会えることは無かった。もっと父のことを知りたかった。それが本音だ。
父との食事を思い出す時は必ずあの帰り際のシーンが忘れられない。
繁華街から父は私達をタクシーで送り出す。繁華街に消えていく父の後ろ姿。私達はネオン街を後にして、帰宅の途に着く。
心にぽっかり穴があくような感覚。私達は他人だと言われているような感覚。同じ住処(すみか)には存在しない。その穴を埋めるかのように、
明るい歌でも歌いたくなるが、夜も遅いし、タクシーの中なので、そんなこともできず、車窓から見える明るい赤や青や黄色の街灯を見つめ、物思いにふけるのだった。