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こじつけ七夕car?忘れられた名車ホンダ1300・77シリーズほしい⭐️に願いを・・・・

日本ではなかなか七夕の晩に星空を望める天候とはなりませんが、七夕にちなんだネーミングのクルマを探してみると・・・・

ホンダ1300・77シリーズ

ありました。1969年発表のホンダ1300(これが製品名)のうち、おとなしい方の77シリーズ。日本車ではネーミングに77を使った稀有な例です。(高性能版は99)

当時のホンダは創業者、本田宗一郎社長の指揮の下、軽自動車のN360が大ヒット.F1参戦も第1期の活動を終える頃で本格的な5ナンバー大衆車の開発に追われていた地代です。宗一郎社長はかねてよりの空冷信奉者、「あのVWもポルシェ(1969当時)もパンサーG型戦車だって冷却水不要の空冷じゃないか、水冷だってラジエーターを空気で冷やすのだからとどのつまりは空冷だ。」は名文句

水冷の代わりに外の空気をエンジン周囲に送り込む風洞を作ったために重くなった

それまでの常識をことごとく打ち破るべく企画されたホンダ1300は「うちならわずか1300ccで100馬力を出せる」と豪語した本田社長の意向から1300cc空冷、100馬力エンジンを標榜してデビューすることになります。(カタログ出力は95馬力)
標準版77のネーミングは一説にはリッターあたりの比出力とも言われていましたが計算してみるとすぐ違うことに気がつきます。シリーズには99シリーズと言う4連キャブレターの最強版もあって、こちらは当初115馬力。最高速も180kmオーバーの超高性能セダンでした。99の由来も定かではありません・・・・

衝撃的な性能のセダンとして発売されたホンダ1300セダンでしたが、商業的に成功したとは言いがたく、カルト・カーのひとつに数えられる方が多いようです。
一つには重い車重、それもエンジンの重さが災いしているようで、この車はやがてホンダ145と名前を変えて水冷エンジンを搭載する運命が待ち受けています。

前後して空冷信奉者のホンダ社長も自ら退陣を表明。河島社長が指揮をとっています。N360の実質的な後継車=ホンダ・ライフに始まった水冷化路線は、やがて大ヒットするシビックにも受け継がれ、これがホンダ躍進の基礎となります。

最初からシビックのような水冷エンジンを投入していたらどうだったか?
神のみぞ知る、ですがホンダ1300の時代はあまりにもN360の成功体験が強く影を落としていたのかもしれません。その空冷Nから水冷ライフへ。最高出力重視から実用トルク重視の中低速型エンジンへ。ホンダの大きな変節点だったと言えそうです。あるいは1300がそこそこ成功していたならばライフの誕生もシビックの成功も違った形となっていたのかも。

1969年と言えば東名高速が名古屋まで全通し、アポロ11号・月着陸船が月面に着陸成功。翌年には大阪で万国博覧会が開幕市銀座には歩行者天国が出現。ホンダ1300には美しく整形されたクーペ9、クーペ7が追加されます。アメリカの人気車種ポンティアックGTOにも似た立体的なフロントノーズ、美しいルーフラインやフライトコクピットと呼ばれる航空機風のダッシュボード、魅力にあふれたデザインでしたが、いかんせんセリカやギャラン、スカGをはじめライバルが多すぎました。

ハイテクとか高性能、高速走行がひとつのキーワードの時代だっただけに着眼点は決して悪くなかったものですが、コスト高と重い車重も足かせとなって第二のN360とはならなかったのが残念です。

参考までにホンダにはCB77という機種もあって、この77も由来は定かではありませんが人気だったCB72に5を足した(250CCから50cc増)ナンバリングなのでしょうか?国内ではあまり見かけませんので、こちらは七夕バイクと呼ぶにふさわしい・・・・・かどうか?

海外にもGMのいちブランド=オールズモビル77という車名が存在しますが本田の四輪車参入以前の話で、記憶にはありません・・・・・

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