小説は今のところ山本文緒さんのしか読めない
・小説は今のところ山本文緒さんのしか読めない
先週、山本文緒さんが新しい本を出してた(ばにらさま・自転しながら公転する)と知り(それを知ること自体がめっちゃ遅れている2年ぐらい前の情報)、あわてて図書館に予約。
そのタイミングで、山本文緒さんが去年2021年にお亡くなりになってたと知り、めちゃめちゃ驚く。えっ?って。
知ったのは「ダ・ヴィンチ2022年1月号」を図書館で借りてぼんやり眺めてたのがきっかけっていう(涙)山本文緒さんの本は、定期的に新作でてないかなーって検索かけてたはずなのにー、ここまで情報キャッチが遅れてしまうなんて、もはやファンとは呼べないレベルかもしれないけど、大ファンです。
なぜか知らないけど、わたしは小説は山本文緒さんのしか読めない。
というか、そもそも、小説が読めないから(生まれつきの私の脳の構造問題かも?)、他の人の小説にほとんど接っしてないから比べようもないのだと思うけど、山本文緒さんの文章だけは、頭に入ってくる。きっかけは2002年ごろ直木賞を受賞された「プラナリア」を読んだとき、この人が書いた小説は頭に入ってくると気づいた。あれから20年たっても、小説は、山本文緒さん。
ノンフィクションや、エッセイ、スピ本であれば、その他の著者さんの本、たくさん読めてる私。
なぜ山本文緒さんの小説だけが自分にとって特別なのか、私の中で長いあいだ不思議だった。
それほど本を読む習慣がないことから、ここ数年の山本文緒さんのご活躍を知らなかった。お亡くなりになる前に、Instagramフォローしたりnoteフォローしたり、したかったなと思っても、もう遅い。その存在すら気づいてなかった。(いま、あわててフォロー)
今、ばにらさま、読んでる。
山本節、炸裂。
自分の中にある決めつけや、固定概念のようなものに、読みながら頭を殴られたような衝撃とともにハッと気づかせてくれる、本を読むことで、自分を知れる本、しかも小説って、なかなかない。
じんわりとかじゃなく、殴られるぐらいはっきりとした気づき。
山本さんは、書きあげるのが大変で、泣きながら書くというようなことをお話されていたのをどこかの記事でみたけど、本当に大変だと思うけど、作品として、この世に出してくれたことに感謝してる。
お亡くなりになったはずなのに、彼女の本を読めば、彼女がそこにいると感じられる、その存在感の凄み。
2021年10月にお亡くなりになったそうだ、今9月、気づくのに11ヶ月もかかってしまった。
「自転しながら公転する」も、早く読まなくちゃ。
山本文緒さんのInstagramでお知らせされていた、未収録エッセイやSNSテキストをまとめた『残されたつぶやき』今月9月21日に発売とのこと。必ず、読みます。
ばにらさま、読みおえました
どの短編にも頭を殴られる衝撃があった。とくに「わたしは大丈夫」が好き。初出をみると2009年1月・・・。バヨリン心中では、パンデミックを預言されてた(笑)さすが
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