
【前世探究の闇】私の黒歴史❻
1997年、旅先で強烈なデジャヴを感じ、こともあろうに自分の前世を最澄だったと思ってしまった当時23歳の私。その日から始まった心霊現象の数々。
その日から若かった私の試行錯誤の前世探究が始まった。いや、そもそも私の前世が最澄なわけがないのだが、なぜかそう思ってしまったという珍妙な出来事を笑い話としてこうして書いている。
そもそも私のこの体験には、私自身の生い立ちの事情もいくつかあった。
私は幼児期から19歳までの間、母から奇妙な宗教教育を施されて育った。私の母親はとあるカルト宗教の熱心な信者だった(現在は脱会している)。
そのため私はほぼ二十歳になるまで神社やお寺にほとんど行ったことがなかった。学校の遠足で東大寺や法隆寺、伊勢神宮に参拝した折も、私は母から固く禁じられていたので建物や仏像を見ないように地面ばかり見て歩いた。
私は幼い時から母に、「法華経、法華経」と聞かされて育った。法華経こそが最も尊い教えであり、釈迦が人生の一番最後に説いた教えだと母は語った。
「この宗教を信じないとおまえは地獄に堕ちる」
母は幼い私に恐怖心を植え付けた。こんな教育を受けた私にとって神仏とは、得体の知れない恐怖でしかなかった。
こんな私を救ってくれたのは祖母だった。祖母は特定の宗派を信仰することはなく、「どんな神さん、仏さんもありがたいねぇ、なまんだぶ、なまんだぶ」という、ざっくりした信仰心の持ち主だった。
私は祖母の信仰が好きだった。やがて私は母の信仰を拒否し、祖母の隣で毎日一緒にお経を唱えるようになった。
ある日、祖母は私に稚児大師のお守りをくれた。『大師』というのはなんのことか最初はわからなかったが、弘法大師のことらしい。『弘法大師というのはなんだろう?』と思ったが、どうやらそれは歴史の授業で習った空海という有名なお坊さんの死後に送られた名前だと知った。
(あれ?そういえば、うちの家の仏壇の曼荼羅本尊には、小さな字で『伝教大師』と書かれていたが、じゃああれはなんだろう?)
その時はそう思っただけだった。
それが私が初めて、伝教大師について疑問を持った最初のことだ。ちょうど二十歳になった頃のことだったと思う。
その日から三年ほど後のことだ。
私は旅先で突然前世を思い出し、「空海め、あのやろう!」と思ったり、「私の前世は法華経の行者だった」と感じたり、「私の前世は空海のライバルだった!……ということは私の前世は最澄なのか?」と瞬時に連想した。

これらの体験を私の生い立ちから分析すると、幼児期からカルト宗教の二世信者として育てられた私は、たまたま行った旅先で非日常の場に身を置く中で、突発的に脳内が混乱し錯乱状態に陥ったのだと解釈できる。
つまり私は平たく言うと狂ったのだ。
とはいえ、この当時の私は自分が狂ってしまったなどとは思っていない。……いや、さすがに少しは思っていた。
夜ごと夢に現れる僧侶の霊について、「あの人は私の前世の親友だった人なのだろうか?」などと悩むようになった自分について、そこはかとなく不安はあった。
「私は、狂ったのだろうか?」と。
だがここで不運にも、私の背中を押す出来事があった。

前世の記憶に悩む私はまたある日のこと、今度は奈良に旅行に出た。その時友人たちと訪れた東大寺で、突然友人のひとりがこう言った。
「あれ?三寅さんの後ろにお坊さんの霊が立ってる。あとで描いてあげるよ」
友人は画業を営む人だった。ホテルに帰るとすぐスケッチブックを手に取った。描きあがった絵を見た私は息をのんだ。禿げ頭に、意思のある眉、全体的にバランスは整っているがアーモンド型のつり目が印象的な……
夢に出てくる僧侶の顔そのものだった。
(実在するんだ……!)
受け取ったスケブを持つ手が震えた。
私に優しく道を説いたかと思えば急に暴力的になる、あの目力の強い僧侶の霊の姿が、友人にも見えている!
(ほかの人に見えるということは、私は狂ってない!)
(よかった……、狂ったかとおもってた……)
嬉しくて涙が出た。
しかし同時に余計に悲しくなった。
(じゃあ、この僧侶はいったい誰なの?)
スケブに描かれた男の顔から目が離せなくなった。
(この男こそが、すべての鍵なんだわ……)
自分は狂っていないとわかったことで、私は妙な勇気を得た。私が真に狂ったとすれば、この時だろう。旅先で前世を思い出すなどは、非日常の遊びの中で起きたちょっとした気の迷いでしかなかったはずだ。
(私の夢に出てくる僧侶の霊が他の人にも見えるとすると、彼は強いメッセージを私に伝えるために出てきたのだ。きっとそうだ!)
(じゃあ、なんだ?どんなメッセージが?)
私が前世の記憶を最初に思いだしたのは空海について書かれた看板を見たときだった。次は奈良旅行。友人の前に僧侶が姿を現した場所は東大寺。
(東大寺と空海になにか関係があるのだろうか?)
仏教史の本を調べると書いてあった。空海は東大寺の別当を務めたことがあるようだ。
(別当ってなんだろう?)
(これにもきっと意味があるんだわ……)
妙な確信を持ってしまった。
自分は狂っていないと安心したことで、かえって私は【前世探求】から逃れられなくなった。私が狂ったのはここからだったのだ。
こうして私は戻るべき道を見失った。
第6話『戻れない道』でした。
次回へ続く。
次回こそは、予告通り、『奈良時代の女性、夢枕に立つ』になるはずーーーーっっっ(´;ω;`)💦