人前で音読すら出来なかったあがり症が少しずつマシになっていった話(3)タイマン音読

ここからは書きづらかった?のか?(←多分?)
いつまでも完結しないのもずっとモヤるので一気に書きます。

父に学校の授業中に音読出来ないことがバレてしまった!どうしようと焦る私。
何やらすでに父からは怒りのオーラが立ち昇っている。今逃げれば確実にブチ切れられるのが解るため、父と膝突き合わせて正座した。
母は隣のキッチンで何かしながらこちらの様子を伺っているようだ。

「なんで読めないんだ!?」

そんなもん自分にもわからん!
…とは言えないので正直にわからないと首を振る。

同じような問答を数回繰り返したのち、父は埒があかないと思ったのか、国語の教科書を持ってこさせた。
そして持ってきた私をまた目の前に座らせ、今ココで読んでみせろ、と言った。

ガクブル!タイマン音読会の始まりである。

張り詰めた空気は両親の夫婦喧嘩中のあの居た堪れない空気の比ではない。
なんせ己が父の怒りの火中にいるのだ。
何なら授業中より緊張していたし、言葉を発する前にすでに涙が滲んでカーペットに置いた教科書の字が見えてすらいない。

1ページどころか1行を読み切ることなく、教科書に涙がポタポタと落ちた。

「なんで読めないんだー!!」

怒声と共に突然天井が見えたと思ったら、開いたふすま続きの隣の部屋のカーペットの色に視界が変わった。
余裕がなかったのか一足遅れて、あぁ吹っ飛ばされたのかと認識する。

とにかく頭の向きを理解して、体を起き上がらせると、母が血相を変えて部屋に飛び込んできて「やめて!!女の子なのよ!!傷でもついたらどうするの!!」と父を怒鳴りつけていた。

手加減はされていたんだろう。痛みはたいしてなかったと思う。

私が小さかった当時では珍しい、怒り心頭の母と顔を真っ赤にして怒っている父。何故か涙が出て声に出しては読めないけれど、文章自体は理解していたし、音読できないことがこんなに怒られる悪いことだったのかと思い、勝手に出る涙から、今度はごめんなさいの涙に変わる私。

(後にも先にも父に手をあげられたのはこの一度きりだった。何度思い出してもブチ切れるほどのことだったんだろうかと思わなくもないが、今さら父に問うても絶対覚えてなさそうだ。
…とにかく話が脱線するので戻そう…。)

もう手は出さないからと母を抑えた父は、泣きまくる私にとにかく一度読め!と私に言ってまた父の前に開きっぱなしの教科書の前に座るよう促した。

もう読むまでここからは逃れられないと悟る私。
ヒックヒックと全然止まらないが早く逃れたい私は、しゃくりあげながらもどうにか読み終え、タイマン音読会から開放された。

その後。

アレよりも授業中のプレッシャーのほうがマシに感じられたのか、それともタイマン音読会をまた開かれては敵わないと思ったのか…。
とにかくみるみる読める量が増えていき、アレから数回で無事に1ページ音読出来るようになった日には、先生とクラスの皆が拍手して労ってくれた。
拍手にびっくりして、嬉しくて結局泣いてしまったこともよく覚えている。

それ以降は、泣かずに音読できるようになった。


こうして書くと本当にたいした事ない話だけど、
今、お子さんがあがり症で悩んでる人がいたら、練習して慣れていけば大丈夫よって話のネタになれば幸いです。(※父のマネは絶対に推奨しません。今なら相談できる窓口も方法も、もっと段階的でちゃんとしたのがありそうなんで…トラウマなるんでマジやめたげて…)
私のようなタイプのあがり症の子どもの克服譚(悪い例w)のひとつとして、ここにお話し置いときますね。

今も人前は苦手だし、もちろん緊張しまくるけれど、場数を踏んでなんとか人並みに音読や5〜20分程度のプレゼン、何ならカラオケもできるくらいにはなっていますよ~(⁠。⁠•̀⁠ᴗ⁠-⁠)⁠✧


ちなみに歌を1人で歌う音楽のテストは小学校3年くらいまでダメだったかな~(笑)3年生からは歌よりリコーダーのテストが増えて、かなり助かったのよね〜(⁠◡⁠ ⁠ω⁠ ⁠◡⁠)ハーモニカやリコーダーは平気だった。小2で始めた習い事のピアノの発表会はずっと出ていなくて、小5初出場で途中から涙出てきたけど暗譜してたから、泣きながら早よ終われ〜、とやっつけるように弾ききった苦い思い出もあります…。

#自分 #苦手 #あがり症 #人前 #克服 #こどもの頃

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