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半脱臼。

 小学生の頃、ブランコを思いっきりこいで、靴をなるべく飛ばす遊びが流行り、そのあとは、自分が出来るだけ遠くまで飛ぶ遊びに流行が、移った。

ヒジの痛み

 住んでいる社宅は4階建ての鉄筋コンクリートの建物が一棟だけ。24世帯。周囲は田んぼに囲まれている。駐車場と少しの遊具がある公園らしきスペースがあった。同じ小学校に通うほぼ同世代の子供たちと、一緒に遊ぶこともあった。

 ブランコを大きくこいで、そのピークで遠くへ飛ぶ。
 スペースを区切っている鉄の柵のようなものの、その向こうまで飛ばないと、小学校高学年では、その競争に勝てないので、ちょっと怖いけど、頑張って飛ぶ。

 その頃、肥満体の子供だったから、そんなに無理しない方がよかったのだろうけど、それでも、何度も飛んだ。ある時、微妙にバランスを崩して、着地の時に、硬めの土の地面に、右腕をついた。

 明らかに痛い。

 それでも、見た目も変わっていなかったし、骨も大丈夫そうだったし、血も出ていなかったし、少したったら、いつもと同じように動いたから、誰にも言わずにホッとして、家に戻った。

 普通に夕食を食べて、そのころは、睡眠時間をたっぷりとらないと、脳も体も成長しないと思っていたので、午後9時前には布団に入る。

 そのあと、一回は眠ったはずなのに、起きた。右ひじが痛かった。だけど、激痛まではいかない。だから、我慢する。そのまま眠ったのか、眠らないのか分からないまま、時間がたち、朝になる。

 右ひじの痛みは、おさまっていた。

うなぎ屋

 それから、何週間かは、普通に暮らしていた。

 その頃は、クルマに乗ってどこかへ行きたい気持ちが、特に父に強かったせいもあったけれど、「土用の丑の日」には、少し遠い街の、普段は行かないような、地元では有名な「うなぎ屋」へ行って、うなぎを家族4人で食べるのが家族の行事の一つだった。

 タイミングの悪いことに、うなぎを食べ終わる頃に、なぜか、右ヒジが痛くなった。その痛みがひかなかったので、その場の空気をあまり変えないように控えめに両親に伝え、心配させてしまったことも申し訳なかったのだけど、その話を、なぜか「うなぎ屋」の店員さんまで、聞いていて、こんな風に会話に入ってきた。

「今の話が、聞こえてしまったんですが、いい人がいます」。

 それは、おそらくは整形外科というのではなく、整体師と言っていいのか、今考えたら、資格があったのかどうかも分からないのだけど、何しろ、その人のところに行けば、こういう場合は、すぐに治してくれる。

 そんな話になり、そして、その「いい人」のいる場所は、そのうなぎ屋から、さらに北の方角の、山の方にクルマを走らせて1時間以上かかるところのようだったので、まさか行くことになるとは思わなかったが、両親が思った以上に乗り気になっていた。

 そこに「大丈夫だから」と私が言っても、すでに店員さんに詳しい場所を教えてもらっていた。

泣いてもいいよ

 そこから、両親と弟も一緒に、その「治してくれる人」の元までクルマで向かった。もう空は暗く、曲がりくねった道を北上していって、山がちの土地だから、より暗くなり、ただ不安だったし、自分のために、この移動がされているかと思うと、申し訳ない気持ちもあったのだけど、もう止まらなかった。

 かなりの時間がたって、現地に着いた。

 どんな場所なのか、夜だったしはっきりしなかったけれど、ほぼ普通の民家だと思った。そこに入ると、私にとっては知らないおじさんがいて、いろりはなかったかもしれないけれど、和室みたいな場所に連れて行かれ、腕をとられ、ふむふむ、みたいな時間がたつ。

 その後に、「痛いから、泣いてもいいよ」と声をかけられたのは、その知らないおじさん以外の、知らないおじさんだったと思う。

 それから、右腕をとられて、かなりの力でねじられたり、引っ張られたり、腕とれるんじゃないか、くらいの不安が強まり、とても痛かったのも事実だけど、これで治るのなら、ありがたいし、その「施術?」をしている時に、また「痛いから泣いてもいいよ」と言われたので、気の弱い小学生男子だったけれど、どこかでムカついたせいか、意地でも泣かなかった、と思う。

 しばらくたったら、“これで大丈夫です”などと言われて、解放された。
 いろいろとされた痛みはまだ残っていたが、治ったような気もした。

 その人が正式な資格を持っているのかどうか。その時に、親がいくら支払ったのか。そのあたりは、よく分からないままだったけれど、確かに、そこからしばらくは右ヒジの痛みは起こらなかった。

 その夜は、無事に家にも帰って来れた。

半脱臼

 それから、どのくらいの時間がたった頃かは、記憶がはっきりしない。だけど、その「泣いてもいいよ」などと言われてから、おそらく1ヶ月は過ぎていなかったはずだ。

 1学年1クラスしかないような小学校へ通っていたが、授業中に、また右ヒジが痛くなった。その時は、激痛までいかないけれど、このままにしない方がいいような痛みの程度だと感じたので、教師に訴え、それから保健室へ行き、その後に、隣の街の、この辺りの地域では大きめの総合病院へ行った。

 整形外科でレントゲンも撮って、診察もうけた。

 半脱臼。

 それが診断名だった。完全に関節が外れているのではなく、少し外れているような状況で、そういえば、ヒジを伸ばした時に、そのヒジの方向がちょっとずれていたのは分かっていた。

 いつ頃、痛くなったのか。それからどうしたのか。

 そんな質問を医師からされて、ブランコから飛んでヒジをついて痛かった時のこと。そのあと我慢したこと。さらに、山の方にいる腕をあれこれする人のことも伝えた。

 医師は微妙な表情をして、「そういう時は、すぐに病院に来てください」と言った。

 どんな治療をしたのか、よく覚えていないけれど、その説明も含めて、安心感はあった。湿布も渡されたのか、ギプスみたいなものを装着したのか。そのあたりの記憶もはっきりしないけれど、しばらくたったら、すっかり治った。

 あの「泣いてもいいよ」は、何だったのだろう、と今でも少し思っている。



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