「家電の寿命」について
つい最近、おそらく20年ぶりに、家電のコンセントを抜いて、少し不思議な気持ちになった。
無人になった実家
両親が亡くなり、実家へ誰も住まなくなってから、15年以上がたつ。
転勤が続く身内がいて、首都圏に戻ってくる時には、住みたい、ということで、売却などをしないで、そのまま残すことになった。
おそらくは、日本のあちこちに行ったとしても、この実家が「ふるさと」のようなイメージなのかもしれない。
いろいろと話し合って、月に1度程度、私が実家へ出かけ、窓を開け空気を入れ替えたり、庭の草木の(下手だけど)手入れを行うことになっている。
そんな作業をし始めてからも、10年はたっている。
高校生の頃に、両親がこの家を建てて、そこから20代後半まで、私も、ずっと住んでいた。その窓からずっと竹やぶが見えていて、畑もあったけれど、今はそこには新しい住宅がぎっしりと立ち並んでいる。
実家は、角に建っていて、その両隣の方には恵まれていたのだけど、ここ数年でどちらのご家庭も引っ越してしまい、新しい隣人の方がやってきた。幸いなことに、どちらご家族も、ずっと空き家状態のようになっている実家に対して、寛容でいてくれていて、優しく接してもらっている、と思っている。
実家に行くたびに、会うとあいさつをして、少し世間話もしたりする。
実家の固定電話&ファクシミリ
最近、実家の固定電話の契約をやめることになった。
それに伴う微妙な混乱もあったが、それも何とかおさまった。
固定電話、という言葉は、携帯電話が出てきてから登場したから、今も微妙に馴染めない感覚もあるのだけど、時間がたっていくと、もう少し慣れていくのだろうと思う。
緊急事態宣言があったりして、自主的に外出自粛もして、そのうちに梅雨になって、雨が続いた。今回実家に行く時は、除草剤をまきたかったので、雨が降ると流されてしまい、効き目が無効になるらしい、といったことを、インターネットで見ているうちに、さらに行くのが遅れて、2ヶ月ぶりに行くことになった。
実家に行くと、固定電話は変わらずにあった。
和室で、仏壇もあって、父親がよくいた場所のそばに設置されている。
当たり前だけど、受話器をあげて、耳につけても、もう何の音も聞こえない。
ただ、電話とファクシミリの兼用で、コピーもできる、という、20年以上前には、たぶん「最先端」だった、その家電の、いろいろなことが表示される「窓」のような部分の明かりは、変わらずについた。
その機能を発揮させても、今の状態では何もならないはずだけど、もしかしたら、コピーとかは出来るのかもしれないが、機械の一部を引き出して、均一にゆっくりと動かさないと、うまくできなかったので、一度だけ使って、その使い方はやめてしまった記憶がある。
「美写文」という商品名。毘沙門天から、とったであろう、その頃は多かった、何かをもじるというネーミング。LCR、という、確か市外局番が割安になる機能の文字も光ったが、そのサービスが今もあるかどうかも、よく分からない。
この10年間に、この電話は、実家に来た時に、主に妻との連絡に使っていた。
実家に来て、庭の手入れなどをしているときに、何かあった時に、電話をもらったりもしていた。
時々、この電話機 兼 ファクシミリに、営業のファックスが届いていて、不在の時に来た紙が吐き出されて、ぶら下がるようにあったり、月に1度くらいしか来ないのに、その時に電話が鳴って、それがセールスの電話だったりしたこともあった。その電話に対して断りながらも、このわずかの機会しかない時のタイミングで、電話が通じること自体は、かけた人の運が強いではないか、と思ったりしたこともあった。
新興住宅街
数十年前、高度経済成長の時のサラリーマン(当時は、この名称が、おそらくもっともフィットしていた気がする)が、少し郊外で家を購入する時に、新たに開発された新興住宅街といわれる場所に住むことが多かったが、実家も、その一角にある。ゆるやかな坂道を登り切った、その住宅街では、もっとも高いと思われる場所にあって、住み始めた頃は、徒歩10分圏内くらいにスーパーもあったのに、気がついたら、閉店になっていた。便利になると思っていたら、徐々に不便になっていった印象がある。
住民は、私たちのような子供世代は、別の場所へ住むようになっていたので、いつの間にか、全体の年齢は高くなったし、街も歳月を重ねていたから、新興住宅街という名前と、実際とにズレを感じるようになっていった。しかも、坂道が多かったし、近くに買い物をする場所がなくなっていったから、母親はしんどそうだった記憶がある。
一時期、父親の死後、母親の介護をして同居していたのだけど、その時はクルマでいっしょに駅前まで行って、買い物をしたこともあった。今でも、その頃の時間は、あまりにも先が分からなくて、気持ちが重くて、母親の症状もよく分からないままで、突然悪くなったりした恐さもあったので、今も実家の記憶は、重いものと不可分になっているのかもしれない。
こうした新興住宅街といわれる場所は、特に首都圏に多く、高齢化が問題になっているという話を、どこかで聞いた記憶もある。
この実家が建てられた時は、この場所が、こんな風に高齢化が進むことは、考えられていなかったと思うし、自分でも、予想していなかったし、若い時は実家のその後のことを、想像もしていなかった。
家電の寿命
長い時間がたって、住宅街の風景もすっかり変わって、その間にほぼ空き家になっている実家で、この電話はずっと機能を保ち、24時間365日体制で、いつ電話が来てもいいようにしていたはずだった。
この電話を買ってセッティングしてから、1秒も休まず(停電などの時は別として)動き続けてきたんだ、と外の回線と、つながらなくなった電話を見て、改めて思う。それは、ただの家電で、機械なので、感傷的すぎる発想なのは自分でもわかるのだけど、家電は、休まず動き続けて、ある日突然、冷蔵庫だったら冷えなくなったりして、壊れて買い換えるのだけど、今回の電話は、まだ使えることを思った。だけど、使える手段がなくなってしまったので、もう何もできないに等しい。
電話につながっているコンセントを抜いた。
たぶん、これをセッティングしてから、1度も抜いていないかもしれない。
それで、この家電の寿命を、終わらせたと思った。
まだ、電話回線のコードはつながれている。それも室内のジャックまでだから、その先には、何にもつながっていないので、このコードには意味がない。それは、つながっていても、何も変わらないと思ったので、そのままにしておいた。
もう役に立たない点滴みたいな感じに思えた。
もちろん、電気を通して、電話の契約を復活させて、電話線を外界に向けてつなげれば、まだこの電話は生き返ると思う。20年以上、ずっと電気を通し続けていて、故障もなかった。最初は留守番電話をセットしていたのだけど、途中から、人が住まなくなったので、そのセッティングもしていなかったから、もしかしたら、実家に行かない時に、誰にも聞こえないけれど、電話が鳴り続けていて、相手があきらめて、鳴り止んで、といったことが何度も何十回もあったのかもしれない。
すごく勝手なものだけど、そんな走馬灯のような、いろいろとあったかもしれない、この20年くらいの時間を、やっぱり少し思い出していた。
もう使うことはないだろう。
20年以上、変わらずに長く同じ場所にあるものは、勝手な思い入れなのだけど、こちらの記憶の蓄積がある。父が死んだ時も、母が亡くなった日も、この電話から外界へ用件を伝えてきた。もう人が住んでいない固定電話の、コンセントを抜いただけなのに、寿命の終わりを決めてしまったような、不思議な気持ちになった。
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「マスクが、実家のポストにありました」。2020.7.20.
『自分史上、最古のフェイクニュース』から、現在の「フェイクニュース」のことまでを考える。
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