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30年ぶりの立ち漕ぎ

   ご近所の方から自転車をいただいた。新しく防犯登録もしたので(リンクあり)、これで職務質問などをされても、いただいた方には迷惑がかからなくなったので、やっと自転車に乗ることができる。

 いつも行く図書館に、自転車で行くことにした。
 いわゆるママチャリなので、前と後ろの両方にカゴがある。
 後ろのカゴに、図書館に借りたり、また返したりするための本が15冊とCDが2枚入っているから、いつも持っていく赤い大きいトートバッグを、後ろのカゴに入れる。

 これまで10数年、図書館に通う習慣ができて、だいたい2週間に一度は、そこまで10数分を歩いていくことを繰り返してきた。今日は、そうした習慣がついてから初めて、自転車で行くことになって、カバンを少し高く掲げてから入れるから、いつもよりも重く感じるのだけど、自転車に乗せてしまえば、その時には重さを感じなくなる。

自転車に乗る感覚

  走ろうとする時に、今まで自転車を立ててあった後ろのスタンドを足で払うようにして、そうすると、二つの車輪が、地面について、あとは、走り出すだけになる。

 妻がわざわざ見送ってくれたのは、本当に久しぶりに自転車に乗るのを知ってるからで、どうやら心配らしく、気をつけてね、と声をかけられる。妻は乗る前に、また練習しなくちゃ,と言っていたから、すぐに乗ろうとする私に危なっかしさを感じているようだった。

 自転車を所有し、毎日のように乗っていたのは、実家にいて、会社に通っていた頃だから、もう30年くらい前のことで、考えたら、あれからまともに自転車に乗ったことは、ほぼないと思う。

 家を出て、すぐに、サドルがかなり低いと感じて、あげようとしたら、妻がやってきてくれて、一緒にサドルをあげる作業をしてくれようとしたのだけど、少しあれこれいじったら、動きも固く、無理だと思ったので、あきらめて、出かけることにして、再び、妻と話をして、自転車に乗る。

 ちょっと空中に浮いて、進んでいる。
 スピードが、歩いている時は、違う。
 季節が秋になって、今日は雨でもないし、走ると風を感じて、地面と並行に移動し続けるのは、気持ちがいい。

   こんな感じだったのを、ほぼ忘れていた。

 駅に向かって走る。
 学生が前を歩いている。
 ゆっくりとしか漕げないけど、けっこう軽々と抜いていく。

 ほんの数分しか乗っていないのに、人が遅く動く生物に見えてくる。すごく単純に環境に順応していると思うのだけど、タイヤが少し空気が入っていなくて、時々、ガタガタっとするのが、微妙に気持ちが悪いけれど、パンクしているわけではないので、そのまま走る。

 最初の目的地の郵便局に着く。
 ここで払い込みをするけど、いつもはすぐに入る出入り口を少し通り過ぎて、その奥の自転車の駐輪場へ行く。郵便局用の自転車もそこに止めてあるのに気づく。カギは、後ろの車輪を止めるように、レバーが伸びるようなタイプだった。

 30年前に使っていたカギは、前輪の横についていて、棒が伸びるだけだから、違うタイプに、なんとなく違和感もあり、ちょっとグズグズして、やっとカギをかけて、カギを持ってポケットに入れる。少しでも怪しいと、ここから50メートルくらい向こうだけど、交番もあるし、いつ職務質問をされるかと、微妙にビクビクしている。

風景の見え方の変化

 郵便局で用事が済んで、これから図書館へ向かう。
 ペダルをこぐ。
 太ももに、明らかに負荷がかかっている。
 こんなに、負担がかかっていたことを忘れているけれど、単純に30年前の体力と違うだけだとも思う。

 住宅街の200メートルくらいの直線に来た。
 歩いている時は、この直線の突き当たりを遠くに見ると、その距離に、ちょっと嫌にもなったりするけれど、今日はもう感覚が変わっている。すぐに、到着しそうな気にはなっているが、実際は、そんなに早くないのを思い知らされるようなことが起こる。

 うしろから、強い足音が聞こえてきた。さっき角を同じタイミングで曲がったはずの、推定、小学校低学年女子が、走り始めてスピードにのったら、追い抜かれそうになり、こちらも、少し立ち漕ぎをしてスピードを増そうと思ったら、その相手は、目的地に近づいたみたいで、右に曲がって、路地に消えていく。あのままだったら、たぶん、追い抜かれていた、と思う。


 あとは、なんとなくゆっくりした気持ちで漕いで、それでも、いつもの数倍のスピードだから、自分的には、あっという間に、その直線の突き当たりのT字路にきた。

 今日は、やけに自転車が通っている。
 すれ違う時や交差点でも、どちらの方向へ譲ったり、止まったりで戸惑うけど、それは、そういうルールが体に染みてないせいが大きい。
 それに、たぶん、いつも図書館まで歩いていく時に、すれ違ったり、追い抜かれたりする自転車の数と、今日も、そんなに変わらないはずだ。
 
 ただ、高さの変化(ちょっとだけ高い)と、スピードの違いによって、自分の目に入るものが、ほんの小さい差でも、全く変わってくる。

 だから、ここからは明らかに考え過ぎだけど、普段生活をしていても、生きていても、自分の目に入るものしか見えてなくて、もしも、何かしらの変化や成長があったら、急に違うものが見えてくるのだとは思う。今の自転車に乗るような、ほんの小さなことでも、こんなに変わるのだけど、生活や生きていく中で、そんなに急に視点が変わることはなかったかもしれない。

 だけど、実はそんな変化があったとしても、最初は新鮮でも、少し時間がたつと慣れてしまって、その時の新鮮な感覚を忘れてしまっている、というだけかもしれない、とは思う。

30年ぶりの立ち漕ぎ

 道の突き当たりのT字路に来た。右に曲がって、すぐに左に曲がり、水路がある歩道は広いけれど、自転車は通ってはいけないと思うように、車道に自転車のマークがあって、これも普段はまったく気がついていなかった。見えるものが、その時の自分の状態や環境で変わるのは、簡単に誘導や洗脳までされそうで、ちょっと恐さはあるけれど、さらに進んで、次は右に曲がるけど、そこからが、坂道だった。

 今日も、図書館に行こうと思った時に、最初に頭に浮かんだのが、この坂道だった。斜度が何度あるかは、分からないけれど、感覚的には、ちょっとけわしい。
 立ち漕ぎをするとしたら、覚悟がいったり、筋力も必要になる。さっき平地で、あれだけ太ももへの負担を感じてしまっていたら、本当に肉離れするんじゃないか、と思う。

 それでも、坂道を、立ち漕ぎで、登り始める。

 思った以上の、さらに思った以上の負担が足にかかる。
 タイヤの空気がゆるいことが、こういう時は、さらに重さとして加わる。
 まっすぐに走っているつもりだけど、すでに微妙に右に曲がる。こっちは、車道側なのに、と思っていると、坂道の上から、バンが走ってきて、道いっぱいに広がるように見えた。

 すぐにいったん自転車から降りる。
 後ろのカゴに図書館から借りた本が入っているトートバッグがあるが、これまでは重さを感じなかったし、今、坂道をひっぱって、登っていても、ほとんど感じない。その時は、これしか立ち漕ぎできなかったことが、ちょっとショックだった。そっちに気をとられていた。

 坂道の半分くらいの場所で、一回、降りてしまったら、そこから乗るには、もう勢いをつけることもできず、すべては自分の太ももでなんとかしなくてはいけない、と思ったら、ちょっと迷ったけれど、わりと、すぐにあきらめて、そのまま歩いて、自転車を押して、坂道を登って、左に曲がると、図書館が見える。

 もう平地だけど、再び自転車に乗る気力も、微妙になくなっていて、押して進んでいたら、後ろから、スーッと中年女性が乗る自転車に追い越され、先に駐車場へ入っていったのが見えた。遅れて、ついていくように駐車場に入ったら、自転車は、けっこう止まっていて、図書館により近い側のスペースは密度が高く、そのすきまを縫うように、うまく止められる自信がなくて、もう少し遠くて、あまり誰も止めていないところまで数メートル、自転車を押しながら歩いて、スタンドをあげて、また少しグズグズと、カギをしめた。

帰りの坂道

 図書館で返却をして、また借りた。
 荷物の重さは、行きとほとんど変わらなかった。

 自転車に乗る。
 駐輪場から出て、少し走るだけで、あちこちで自転車とすれ違って、そのたびに、距離感がうまくとれずに、ぎこちなくなる。まだ慣れてない証拠だった。

 そして、あとは下り坂だった。
 思いきりノーブレーキで走りたい気持ちと、ゆずの「夏色」のようにブレーキをしっかりかけたいのと、両方で迷っていたけれど、いざ右に曲がって、坂道を下り始めると、何もしなくても、自然にスピードがあがるのは、やっぱり気持ちよかった。

 だけど、前にも自転車が走っているし、もうすぐクルマも通る道を横切るから、ブレーキはややかける、という中途半端な姿勢で、下っていく。

 それでも風を切る感覚は十分にあったし、気持ちがよかった。

帰りの平地

 そこから、すぐに平地になって、信号がある交差点は、ただ止まっていた。前の女性が乗っている自転車の隣に、明るい色のTシャツを着た若い男の自転車が止まって、あれと思っていたら、どうやら親子のようだった。

 信号を渡って、その並んで走る自転車を、うまく追い抜けないまま、踏切も通り過ぎる時は、タイヤの空気がやや入っていないから、こういう場所は、ガタガタと乗り心地がとたんに悪くなり、工事中で道幅が半分になっているところを通る時も、いつもよりも緊張し、2人を追い抜けず、次の小さい交差点で違う方向に走っていった。私は、それから、スーパーに寄った。

 このスーパーができてから、初めて、自転車を押して、駐輪場に入った。自転車で先をいく、中年女性と中年男性は、それぞれ素早く、今の私には、止められる場所とは思えない、自転車と自転車のすきまに素早く駐輪をして、店に入っていくのを横目で見ながら、私はやや遠目のゆったりした場所しか見つけられず、ぐずぐずとカギをかけて、店に入り、買い物をすませて、再び、駐輪場に戻ってくる。

 自分が乗ってきた自転車がどれだか、一瞬分からなかった。

金髪の自転車乗り

 もうすぐ家に着く。
 小さい子供が預けられる施設の前を、自転車が小さい円を描いて回るように走っている。

 少しずつ近づく。
 
 いわゆるスポーツタイプの細いタイヤ。 
 乗っている人は、体が大きく金髪で目が青い白人種の人だと思う。

 半袖で短パンのカジュアルな格好。
 ケイタイを耳に当てながら、何かをしゃべっている。

 〇〇さんと話をして。

 街中で、これまで数限りなく聞いてきた日本の営業のビジネスマンたちに共通するような、独特の言葉使いとイントネーションだった。しばらく小さい円を描いて、その場で走り続けていたようだったが、私がすれ違う時には、話が一通り終わった時らしく、ケイタイをポケットにしまって、そして、遠くへ去っていった。

 家のそばまできたら、水やりをしている妻が、家の前の道路にいた。
 おかえり。と言ってくれた。

 普段とはちょっとだけ違う帰宅だった。
 自転車を、門のところの段差をあげて、そして、タイヤがちょっと柔らかかったから、すぐに空気を入れた。

 古い空気入れだったし、久しぶりだったし、最初は、空気の抜ける音だけが聞こえる。ここのところ、小さめだけど、やたらとすぐに刺してくる蚊が何匹も寄ってきて、払いながらも、何度か空気入れとタイヤの接点を調整して、やっと空気が入って、タイヤがいっぱいになって、ちょっとだけ次が楽しみになる。
 


 こうやって自転車に慣れていくと、自分の能力が少し上がったような気持ちになっていくのだろうか、などと、思うが、100キロを語る時に、本当にすぐそこ、みたいな感覚で語るような、かなり年齢を重ねても、本格的な自転車乗りの人には、なれないと、同時に思った。

 あの人たちは、超人だと、改めて思う。



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通りすがりの小学生に、心配されて、ありがたかった話。

いろいろなことを、考えてみました。

「スポーツについて」

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」③ 2020年5月 (有料マガジンです。5月の時の話です。10本の記事が入っています。よろしかったら、読んでください)。

ラジオの記憶④「心に届く声の質感」



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