能楽堂で声をかけられてから、開けやすいペットボトルのことを、考えるようになった。
年に一度くらいは、能楽堂に行く。
中学の同級生が、能楽師になったことを知り、そのことで行くようになって、そのうちに10年くらい経っていた。
その空間は、時間の流れがゆっくりで、それに慣れるまでは、ちょっとつらかったのだけど、そのうちに、その日常との違いが、奇妙に心地よくなっていた。
松濤の能楽堂
東京都内でも何ヶ所か能楽堂があるが、私が通っていたのは観世能楽堂だった。
それも、以前は、渋谷の松濤という、昔からの高級住宅街にあり、いつも渋谷駅から歩いて、途中のローソンで軽食と飲み物を買って、坂道を登って、能楽堂に着く。
そこから、3時間も、4時間も、違う時間の流れの中にいる。
能楽と、狂言の組み合わせは、重さと軽さということもわかってきて、だから、自分だって、それほど知っているわけでもないのだけど、どちらかだけを見るのは、ちょっと違うのではないか、などと生意気なことを思うようになった。
時々、休憩時間がある。
そのころの松濤の観世能楽堂の観客は、かなり年齢層が高く、それなのに、男子トイレには和式便所しかなくて、それは建てられた時代を考えたら、仕方がないのだけど、使うたびに、なんだか疑問はあった。
そして、休憩時間には、ロビーにも人があふれ、座る場所もあるから、人によっては軽食を食べたりしていて、私も一人で来て、隠れるような気持ちで、コソコソと、午後から夜にかけての長い時間だから、少しカロリーメイト的なものを食べていた。
いつもは、能楽堂に行って、観劇して、帰ってくるだけだった。
声をかけられる
ある時、同じように、休憩時間を過ごし、立って、席へ戻ろうとするときに、とても小さな声が聞こえたような気がした。
能楽は、幽霊やもののけが、本当によく登場するので、そんなことも思ったのだけど、次に背中に、何かが当たった気がした。気のせいかと思うくらい、軽いタッチだったけど、何度か同じことがあったので振り向いた。
そこには人がいた。私の背中を、とても軽く叩いていたようだ。
ブロンドの髪で、かなり細かくカールがかかっていて、年配の白人の女性かと思ったけど、話しかけられたら、男性のようだった。
何かを話す言葉の発音が、どうしてかフランス語のように感じたのだけど、そのあとに、しばらく一生懸命話しかけられていたので、その細い声に集中していると、日本語で、内容がやっとわかった。
「これを開けてください」。
その手にあったのは、ペットボトルで、たぶん、中にはお茶が入っているようだった。
そのペットボトルを手渡してもらい、開けて、また返す。
「サンキュー」。
そんなことをしただけなのに、お礼を言われた。
ペットボトルのフタ
松濤の能楽堂はなくなり、銀座の「シックス」の地下に移った。そんな時間が流れていたが、それから、ペットボトルのフタについては、気になるようになった。
ある程度の年齢にいくと、そのフタはとても開けにくい。
そういえば、女性には厳しい時もあるから、妻にも頼まれることはあった。特に今は炭酸が入っている飲料のフタはよりかたいから、開けられない、という。
私自身も、そんなに力があるわけでもないけれど、介護を始めてから、腰を痛めたことをキッカケに筋トレを始め、そして身体介助をするときには、握力が必要だと思ったから、リストを鍛えたら、年齢を重ねても握力は向上するのはわかった。
だから、ペットボトルを開けるには、今のところは不自由していないけれど、いつまで大丈夫かも分からない。
ペットボトルメーカーへの「お願い」
今は、ペットボトル自体の存続も危うくなっている。
素材としてプラスチックを使っているのが、環境のことを考えるとやめた方がいい、というような流れになっていて、それはおそらく止まらないと思う。
それでも、おそらくは持ち歩ける飲料は、なんらかの形で残るような気もするし、どちらにしても、まだペットボトルはあるので、唐突ですが、メーカーの方へのお願いがあります。
ここまでの流れで言えば、もう、お分かりかと思いますが、ペットボトルのフタを、もっと弱い力でも、誰にでも開けられるようなものにしてもらえないでしょうか。
それは、保管性との両立を考えたら、難しいことだとも思うのですが、そうしてもらえることによって、同じ飲料であったら、開けやすいペットボトルの方が販売数も上がると思いますが、どうでしょうか。
もしも、すでに開けやすいペットボトルがあったら、こちらの無知ですみませんが、ペットボトルメーカーの方に届くのは難しいと思いながらも、まずは「お願い」しようと思いました。
(ペットボトルオープナーは、色々とあるようです↓)。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。