テレビについて⑨「セメ」ではなく、「ガチ」の理由。
いつの頃からか、「ガチ」という言葉を、テレビ画面から聞くようになった。
それは、「マジ」に近いニュアンスだけど、それよりもさらに「リアル度」が高く、「リアルガチ」という表現も一部でされるようになった。
などと、こうした言葉は、そんなにシリアスなトーンで語ることではないのかもしれないし、あと何年か経ったら、ほぼ使われなくなってしまうのかもしれないけれど、それでも、「ガチ」を聞いた時に、秘かに「セメ」とは言わないんだ、と反射的に感じ、格闘技の歴史みたいなことを少し思った。
「ガチ」の由来
元々、相撲界の隠語として、八百長の反対の「真剣勝負」として「ガチンコ」という言葉が言われるようになったらしい。
それが、いつの間にか、「本当のこと」や「マジ」の強調表現として「ガチ」と略され、テレビ画面でのタレントもポピュラーに使うようになったのは、個人的な印象としては、ここ10年もたっていないと思う。
ある業界の隠語という「裏の言葉」が表に出てきて、さらに略語になって広がっていく、というのは新しい言葉が定着していく形としては、もしかしたら、一つの主流なのかもしない。
それでも、それが相撲由来の言葉である可能性が高いということを知ると、少し不思議な気持ちになるのは、プロレスのことも考えてしまうからだった。
「セメント」
1980年代の、古い話とはいえ、プロレス界に「革命」を起こした、という表現が、おそらく大げさでなかった存在が、初代タイガーマスクだった。アニメや漫画のフィクションの存在を、実際でも成功させたのは、タイガーマスクだった佐山聡のとんでもない身体能力だったと思う。
その頃、プロレスは午後8時のゴールデンタイムで放送されていて、そのテレビ画面でしか見ていないが、その動きは、古舘伊知郎によって「四次元プロレス」と表現されても、納得してしまうようなレベルと質だった。
だが、視聴者からは、人気絶頂期に、突然、タイガーマスクは、いなくなった、という印象だった。そして、佐山聡が本を出した。
そこでは、相撲と同じく、「八百長」という言葉がどうしてもつきまとうプロレス界のことが語られていた。そして、フィクション的なプロレスを見事に体現していた佐山聡が、実はリアルな格闘技への思いが、もしかしたら最も強いのではないか、ということを、プロレスファンも知ることになった。
そうした流れの中で、少しずつ広く知られるようになったのが「セメント」という言葉だった。これも、プロレス界の「隠語」と言われていて、八百長の反対の「真剣勝負」を指す言葉として「セメント」という表現があると語られていた。
「ガチ」であって「セメ」ではない
その時代から、かなりの年月がたって、「隠語」であったということだから、当初は重い響きとともに使われていたはずの「ガチンコ」という言葉が略されて「ガチ」とライトに使われるようになった。
相撲界とプロレス界の両方で、「ガチンコ」は使われていたらしいけれど、その一方で「セメント」という言葉は、今の時代に至るまで、「セメ」といった略語で、誰かの口から発せられた場面を、個人的には見たことがない。
それは、あまり意味がない仮定かもしれないけれど、「ガチンコ」の表での定着が、不思議でもあるのは、「ガチンコ」も「セメント」も同じような度合いで、「裏の言葉」であったはずだからだ。
相撲の「強さ」
乱暴な分け方になるけれど、「ガチンコ」は相撲由来。「セメント」はどちらかといえばプロレス由来、という印象が強い。
そして、どうして相撲由来の言葉が、よりポピュラーな表現として、(自然に)選ばれたのかを考えると、相撲の方が、今も日常に浸透している度合いが「強い」からではないか、と思えてしまう。
その相撲の「強さ」は、どこから来ているのだろうか。
戦後、日本にプロレスを根付かせた力道山が、相撲出身ということも関係あるかもしれない。
現在は、横綱を含めて、外国人力士に支えられているとはいっても、ちょんまげやまわしや土俵や国技館といった「形」がきちんと決まっていることも、相撲の存在の「強さ」につながっているかもしれない。
さらには、どんな状況になっても、NHKという全国放送で、午後から夕方にかけて大相撲は中継され続けている、という継続は、とても「強い」のかもしれない。プロレスは午後8時のゴールデンで放送され、視聴率も高い時代があったが、他のスポーツと同様に、人気というものの上下によって、今は、午前2時台という深い時間帯に放映されるようになっている。
日常への定着度合いが、より「強い」相撲界由来の言葉といわれているから、「セメント」よりも「ガチンコ」の方が、より「ポピュラー」になっている可能性はある。
こうした推測は、あくまでも想像なので、全く違っている可能性もあるが、これだけ時代が進んでも、そして、表面的には、常に大きく注目されている印象は薄くても、「相撲という存在」の「根強さ」と「しぶとさ」が継続していることが、「ガチ」という言葉が広く使われることにも関係しているのかもしれない。
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