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読書感想 『マチズモを削り取れ』 武田砂鉄 「今の社会の具体的な修正点」

 こういう本は、自分にとっては、少し恐いし、なんとなく後ろめたい。

 私自身が、昭和生まれの中年男性なので、おそらくは批判の対象でもあり、時代が進むごとに更新してきたつもりでも、まだ無意識で分かっていないことが多く、さらに「削り取れ」と言われるべき点も少なくないのを、どこかで自覚しているからだと思う。

 だけど、いじめの構造の中で、「傍観者」という存在が、重大な影響を与えることも明らかになっている。同様に、自分の存在のマイナス点を知らないままだと、直接、加害するだけでなく、「傍観者」として「よくないこと」を放置してしまいがちなので、こういう「微妙に怖さや後めたさを感じる本」も、私自身は、読むべきだと、思うようにしている。

「マチズモを削り取れ」  武田砂鉄

 武田砂鉄は、1982年生まれ。私自身は、自分より若い世代に、それほど多くの知り合いはいないし、過度の一般化は失礼だけれど、この世代あたりから、男女平等が自然に身についている男性が多いように思う。それは、どこかうらやましくもあり、同時に、希望にもつながる気がしている。

 生活のあちこちに転がる、ミニマムに感じられるかもしれないマチズモを放置してはいけない。「男性らしさ」などと、抽象的な説明で語られることの多い「マチズモ」だが、本書では、この社会で男性が優位でいられる構図や、それを守り、強制するための言動の総称として話を進めていく。

 私自身が「マチズモ」的な感覚が完全に抜けないのは自覚しているので、なんとなく、引け目を感じながらも、読み進めることにもなるが、自分だけでは気がつかない点も、数多く提示してくれる。そして、自分のような読者に対して、最後のほうで、励ますような表現にも会える。

ジェンダーの問題が取り沙汰されると、問題を起こした主体への疑問や苦言を、「でも、自分にだってそういう一面があるし……」などと言いながら、引き下げてしまう光景を見かける。どうしてそうなっちゃうのかな、と思う。そういう一面を確かに感じながら、自分なりに受け止めながら、その上で疑問や苦言を投げることは許されないのだろうか。

 開き直り過ぎるのも良くないと感じつつも、そんな姿勢で読み、そして、これからに生かせれば、と思うようになれる。

ルポライターとしての力

 武田砂鉄は、世の中の出来事に対して、観察し、分析する、という方法で、気がつきにくく、新しい視点を提示する、という仕事をしているような印象があって、この書籍でも、その力は存分に発揮されているように思う。

 それは、街の中で、電車内で、システムの内部で、トイレで、不動産の内見で、さまざまな場所で、女性が、どれだけの理不尽な目に遭っているのか。それらを改めて伝えてくれているのだけど、さらには、竹中労への敬意と影響を他の著者でも書いているように、現場の空気を伝える、いってみれば「ルポライターとしての力」を、商社の食堂の描写では、感じさせてくれる。

 商社では、男性社員の方が、女性社員よりも多い。

 群れでやってくるほとんどが、「男性三名+女性一名」や「男性五名+女性二名」くらいの配分になる。

 そこから、おそらくは、そこにいる人にとっては、とても日常的で、気がつかないような現象に対して、かなり正確に精密なレポートがされている。

 耳をそばだてていると、仕事の話があちこちから聞こえてくる。空中戦というフレーズは聞こえてこないものの、セグメンテーションとか、オーソライズとか、よくわからない言葉が空中戦のように繰り出されている。化繊の女性陣がひたすら頷いている。自分は大きな仕事を動かしている自負が食堂に飛び交う。「男性にしか参加できない会話」がベースとして存在し、そこに参加する資格を示せ、と暗に求めてくる。適当に頷き、適当に切り返し、一緒のタイミングで席を立つミッションは、慣れればさほど難しいものでもないのだろう。でも、自分には異様に思える。 

 私自身は、社員食堂があるような企業に勤めたこともないので、こうした風景は見た記憶がほとんどない。ただ、何十年か前も、おそらくは似たようなことがあったことが容易に想像できるので、その変わらなさに、ちょっと絶望的な思いにもなる。

 同時に、この光景の異様さに気がつきやすいのは、おそらくは、この組織に属していない人で、さらには小さい違和感にも敏感で、その上で、正確に伝える表現力も必要だから、「社員食堂」というものの不可思議さは、武田砂鉄によって、もしかしたら初めて正確に記録されたのかもしれない、とも思う。

 ここには「マチズモ」があふれ、中年で、社内的な地位を獲得できた男性「だけ」が心地よく、変わることを拒否している空気が満ちているはずで、ここが変わらないと、社会も変わらないし、社会の変化によって、ここも少しずつ変わっていくのかもしれない、とも考えさせられる。

複数の視点の持つ力

 この書籍は、雑誌の連載をもとにしていて、どのテーマを取り上げるかは、編集者Kさんの檄文がきっかけとなっているようなのだけど、武田砂鉄の能力だけでなく、Kさんの、違和感と怒りを諦めないことをベースにした繊細な感覚(こうした評価的な見方も偉そうで、すみませんが)があってこそ、この書籍が成り立っていることに、特に「高級寿司店」のレポート以降に、より気がついていく。

 とにかく、ジャッジし合うことによって「格別に美味しい」世界を作り上げる不可思議さがあった。ジャッジし合うのは、店と客。総額いくらになるかは客が決めることではなく、覚悟を決め、店は舌の肥えた客に納得してもらえるものを出す。出されたものを食べた客は「なるほどね」といった顔をしながら大将や板前に目をやる。自信と自信がぶつかり、「ここには不安はない、そんなものは存在しない」という認知行為が繰り返される。

 30代男性・ライター武田と、20代女性・編集者Kさんが二人で、「高級寿司店」に訪れたからこそ、その場所の違和感が、複数の視点によって、より露わにされているが、ここに馴染める人は、男性で社会的に、さらには経済的に成功した人間、もしくは男性で、これまでの男性のような成功の仕方をしたい、と強く望んでいるような人間だけだと思った。

理不尽な構造

 そうした人たちにとっては、店にジャッジされ、他の客とのマウンティングを繰り返しながら、少しずつ暗黙のステイタスが上がることが、自尊心を心地よく刺激してくれるから、通い続けてしまうのだろう。そういう意味では、こうした空気感が満ちていること自体が、寿司店にとっては、手の込んだ「営業」であるのかもしれない。

 また、圧倒的な社会的な強者(主に男性限定)に対しては、初見だったとしても、こうした分かりにくい「接待」を、店をあげてしているはずだから、政治の世界で、高級寿司店が、よく登場するのも、考えてみたら、当然のことなのだろう、と改めて思う。

 寿司屋の中でも、高級寿司店は、「マチズモ」の濃度がとても高いのだろうし、いわゆる文壇バーも、高級寿司店とは、そのステイタスの基準違いはあったとしても、その空間で、ジャッジとマウンティングが繰り返されている「マチズモ」な場所のようだ。

 だから、文壇バーも、ステイタスの高い男性だけが、居心地の良い設計になっているであろうことも、この本によって、推測することができた。

 そして、高級寿司屋や、文壇バー独特な評価の高さと、存在のあり方の変わらなさは、ただの飲食店のあり方だけに留まらず、女性である編集者のKさんが、こうした思いを抱かざるを得ない「理不尽な構造」と、かなり密接に関係しているのではないか、ということまで思考が及ぶ。

 会社組織において、入社から出世をへて退社に至るまでの人の動きをコントロールしているのは、人事権を持つ立場にいる人たちで、その多くは男性です。あらゆる局面で、私たちは彼らに評価されるために、尽くしつづけなければならない現実があります。その人たちによって私たちの進退が決まり、私たちの働きやすさ、生きやすさが決まるのだから、その権限の持ち主が男性に極端に偏っているこの状態はやっぱりおかしいし不健全だし、こんな構造の社会で一生を終えるのは嫌だと、しみじみ憤りが湧きます。

おすすめしたい人

 男性、特に、社会的に力があるという自覚がある人が読んでもらえたらと思っています。

 また、私がすすめる資格はないかもしれませんが、何が自分を生きづらくしているのかを、少しでも明確にしたい女性にも、有用な本だと思います。

 これからの社会を考えたい人にも、年齢などを問わず、重要な視点を提供してくれるのは、間違いないと考えています。


(紙の本は、こちらです↓)。



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